013 無常の風に吹かれて

箕浦 彰巖

私たちはこの世に生まれてからこの方、実に多くの出会いと別れを経験しているのではないでしょうか。

「人生は出会いと別れの繰り返し」

この言葉を、いつ誰が言い出したのかは知りませんが、しかし誰しもがこの言葉に頷き、様々な感情を巡らして人生を歩んでいると思います。

私もここ数年、多くの方との別れを体験いたしました。それは、身近な家族から、縁遠い知人に至るまで様々なのですが、こみ上げてくる悲しみは抑えることはできません。

この岸に生まれた者は死なねばならぬ、出来たものはこわれねばならぬ、盛んになれば衰えねばならぬこの世の矛盾

(『蓬茨祖運選集 第十四巻』二二〇頁)

この言葉は、蓬茨祖運師の書かれた『良子の宗教』の中に出てくる一文です。

私たちの生きているこの世界は、常に移ろい変わります。しかし、そこに生きる我々は、自分にとって都合の良くないこと以外は、どこか永遠を求めているのでしょう。

でも、この世の現実は、そういった私たちの思いを打ち破ってくるのです。

その現実に真向かいになる時、私に呼びかけられている教えに出遇う大事なご縁だと蓮如上人は御文の中で説かれます。

すでに無常の風来たりぬれば…中略…たれの人も早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。

(『真宗聖典』八四二頁)

有名な『白骨の御文』の中にある一節です。「無常の風」は常に私たちに吹き続けています。しかし、いくら理屈で知っていても、日々の暮らしに追われる私たちは、それに気付くことが中々出来ません。ですから蓮如上人は、「きたりぬれば」と、その風を実感したならば、いよいよ阿弥陀仏に出遇い、自分の生き様を、生きる方向を問い直し、人生を歩み直しなさいよと言われているのではないでしょうか。

(三重教区駐在教導 二〇一七年七月上旬)