三浦 統
先日、新聞を見ておりましたら、「あの年も酉年だった平和の日」という俳句が掲載されていました。今から七十二年前、終戦を迎えた一九四五年もまた、今年と同じ酉年であったのです。
酉年といえば、親鸞聖人が、「愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」と、宗祖の主著であります『顕浄土真実教行証文類』にて、振り返られた年です。
建仁辛の酉の暦とは、西暦一二〇一年、今から八一六年前の酉年のことですが、その年、親鸞聖人は、二十年もの修行を積んだ比叡山を下りて、法然上人の元へ赴かれました。宗祖の生涯においての大転換が起こった年なのです。
その大転換とは、「雑行」、つまり、救われていくための様々な修行を棄てて、念仏の教えに我が身を聞き、本願によって救われていく道を歩み出されたということです。
善い行いを積み重ねて、立派な人間になって、救われようとするのではなく、そのような行いなど、何一つとして成し遂げることのできない私の在り方に目覚め、阿弥陀仏にお任せするよりほか救われる方法がない、本来の〈私の姿〉に出遇われたということでしょう。
当時宗祖は二十九歳でしたが、本願に帰すより他に助かる道がないという、この人間理解こそ、九十歳まで生きられた宗祖にとって、終生変わることのない人生の指針であったのです。
酉年であることは七十二年前と同じであっても、平和とはかけ離れ、様々に混迷を深める現代の私たちこそ、宗祖の人間理解、人生の歩み方に、私自身のあり方を学ぶべきではないでしょうか。その学びなしには、闇夜を打ち破る酉の鳴き声は聞こえてこないと思うのです。
(員弁組・覺通寺住職 二〇一七年四月下旬)