024 経糸(たていと)はよく、横糸を貫きたもつ

池田 徹

「経(きょう)」といふは経(けい)なり。経よく緯(い)を持ちて匹(ひつ)丈(じょう)を成ずることを得て、その丈用あり。(『観経疏』)

―お経というのは、経糸(たていと)です。経糸は、横糸をよく貫きたもち、布を織り上げ、その織った布には、それぞれのはたらきがあります。

善導大師は、「お経(教え)とは、経糸である」と言われます。私たちの人生を一枚の布に譬えられます。布は経糸をしっかり張ることによって、横糸を渡すことができるそうです。経糸がしっかり張られていないと横糸をどれだけ渡しても、その布は用きを成さない、完成しないということです。あらためて、自分には経糸が張られていないことを教えられます。その場しのぎの、一貫性のない人生であると、炙り出されます。

仏教では人間のことを「機」と表現します。それは、「はずむ」ということです。「縁を生きる」我々は、「はずみ」の存在です。どこへ転ぶか、どんな自分に出会うのかは分からないのです。だから不安です。そんな「私」の生きる主体となるものこそが、経糸としての「経」(教え)だと言われるのです。

また、その経糸(教え)は、同時に「よく横糸を貫き持つ」という用きがあるのです。横糸とは、私が刻んできた歴史であり、歩みであります。しかしその重ねてきた時間は、「いたずらにあかし、いたずらに暮らして年月を送るばかりなり」(『御文』)と教えられるように、重大なことがあっても「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、毎日の生活に追われて、忘却し続けているのです。大震災も、原発問題も、大切な人の死も、すべて自己関心の中で「通過」させてしまうのです。無関心、個人性に終始してしまうのです。その「通過」の人生を立ち止まらせ、問題を思い起こさせ、課題として保たせる用き、促しこそ、経糸であるお経(教え)です。その、お経(教え)に出遇うことによって、個人性、閉鎖性を知らされ、関係性、人間性を取り戻していくのではないかと思います。

今年は戦後七〇年、この国の方向転換が行われました。しかし、またそのことも時間と共に忘れてしまう日常の中で、その課題を思い起こさせ、向き合い直す視点こそお経(教え)であります。

間もなく今年も終わります。皆様は、どんな歩みを刻んでこられたのでしょうか?年の瀬にあらためて、「教え」を聞き、仰ぐ、という生活の大切さを憶います。

(桑名組・西恩寺 二〇一五年十二月上旬)

023 戦後七〇年、非戦を誓う

訓覇 浩

師走に入り、戦後七〇年という節目の年も残すところあと一月となりました。この「戦後七〇年」という言葉は、日本においては七〇年間、戦争によって、一人の人も殺されず、一人の人も殺さなかったということを表します。このことは、この上なく稀有な、また尊いことであると言わねばなりません。

ではなぜそのようなことが私たちの上に起こりえたのか。

それは「日本国憲法」、とりわけ戦争放棄を謳う第九条が、日本にはあったからだと思っております。

この「日本国憲法」について、かつて、鈴木大拙先生は、「「日本国憲法」は世界の他の国々のものと違ひ、自国の人々と他国の人々との血を流して書き上げられたもの」であり、戦争放棄の条項は、「戦争中に言語に絶した苦しみ悩み惨めさを体験したその心理の結晶と論理の帰結とに外ならない(全集六巻)」と語られています。

この言葉からも、戦争放棄は、戦争でいのち奪われた方々の、苦しみと悲しみ、またいのちを奪ってしまったものの痛み、苦悩から、私たちが「与えていただいたもの」と受け止めることができるのではないでしょうか。日本国憲法という形となった「非戦への願い」が、戦争を欲してやまない、人間の闇を照らし続け、ぎりぎりのところで、奇跡的ともいえる七〇年を生み出したのだと思っております。

しかし、現在の状況は、日本においても、戦争がそこまで迫ってきていると言わざるを得ません。今年初めの日本人人質の虐殺は、生々しく人々の脳裏に記憶され、連日報道されるテロ事件と、それに対して、多数の国が軍事行動に参加するさまは、もはや世界戦争前夜の相を呈しています。それに伴い、人々のこころも荒廃し、憎しみは憎しみを呼び、テロへの怒りは、敵とみなす人間への怨みを増幅させ、ついには人のいのちを奪うことまで正当化し、人を殺すことの罪悪感さえ奪っていきます。戦争放棄に結実した悲しみの力を踏みにじった「安保法案」が成立し、ヘイトスピーチなど、そしりの言葉が巷にあふれています。人が人でなくなっていく過程を、私たちはまさしくいま歩みはじめようとしています。

「非戦」とは単に戦わないということではなく、人を人でなくす戦争というものの絶対否定です。いかなる理由があっても戦争を否定する。私たちは、いま、戦争でいのち奪われた方々からの「非戦の願い」に、いま一度「私の非戦の誓い」として応えていくことが求められているのだと思っております。

(三重組・金蔵寺 二〇一五年十二月上旬)

022 仏法は聞法に極まる

花山孝介

親鸞聖人は、今から七五〇年ほど前の弘長二年(一二六二)十一月二八日に九〇年の生涯を閉じられました。当時としては、破格の長生きをされた聖人ですが、その人生は決して順風満帆ではありませんでした。

無実の罪を背負わされたり、家族を持つ中で様々な心労や苦難を経験されました。「何故私だけが・・・」という愚痴が出たことも想像できます。しかし、そのような人生であっても、自分を見捨てることなく最後まで生き尽くされました。何故、その様な人生を歩めたのか。そこには法然上人との出遇いを通して、人生の灯となる「ただ念仏せよ」という真理の言葉との出遇いがあったからです。そして、私に呼びかける仏陀の言葉を聞き続けながら、人生を完全燃焼されました。

迷いの原因も知らず、ましてや深い迷いの中にいることさえも知らず、ひたすら自分の都合にあうご利益のみを求めたり、平生は仏の教えにも耳を傾けることもせず、不都合が起これば一喜一憂しながら、その場しのぎ的に祈っている私に対し、「本当に今のままでいいのですか?」「自分の人生を大事にしていますか」と呼びかけられている親鸞聖人の教えに、今こそ人生を尽くす道を聞き開いていく時だと思います。そのために、まず「聞法」の第一歩を踏み出すことが大事です。

(員弁組・遍祟寺住職 二〇一五年十二月下旬)

021 薪能を観て

渡辺浩昌

先日、名古屋にて薪能を観劇しましたが、以前にも歌舞伎は観たことがあり、同じように分かりにくいものかと思っていました。しかし、その能楽がはじまる前に「分かろうとしないで下さい。感じて下さい」という説明がありました。

演目は『船弁慶』でしたが、観ていると、鼓、太鼓、笛等の楽器、そして謡(うたい)の発声、更には舞と大変迫力のあるものであり、本来変化するはずのない能面の表情がそれらの楽器等によって様々に変わるのです。語られる言葉は分かりませんでしたが、表現しようとするものが目や耳、肌を通して伝わってきました。事前の説明にあったように、日本の文化は頭で分かろうとするものではなく、感じるものかと思いました。

後日、名古屋にある能の歴史や伝統などを伝える能楽堂で多くの能面を見学する機会を得ましたが、その中でも『姥捨て山』を演じる時に使用する姥の面に心を惹かれました。その表情は微笑んでいるようにも見え、悲しんでいるようにも見え、老人ホームに入っている私の九七歳の母親の顔にも似ていました。能面とは見る者自身の心を写し出すものかもしれません。

ある本には、「姥捨て山」の伝説は単に老婆を捨てるということだけでなく、人間が生きていく上で作らざるを得ない罪業性を象徴していると書いてありました。

他の能楽は観ていないので分かりませんが、能楽とは古来より人間が生きる上での歓び、悲しみを多くの人々に表現してきた歴史をもつものでないかと思いました。

昨今はかつてない仏像ブームともいわれ、京都やら奈良のお寺へ足を運ぶ人が多くなっているといわれます。ひょっとしたら、仏像、菩薩像に見失いがちな自分自身を取り戻そう、感じ取ろうとしているのかもしれません。

(員弁組・西願寺前住職 二〇一五年十一月上旬)

020 吹けば飛ぶこの命

海野真人

私たちは、普段忙しさに紛れて生活していますから、いつの間にか「生きていて当たり前。今晩寝たら必ず明日目が覚める。」と疑わずにいます。ですから、私たちが人間の身を持って今ここに存在していることの裏には大きな背景がある事を忘れてしまいます。私を支えてくれる背景を見失ってしまうと、すべてが当たり前になり、思い通りを求める自己中心的で独りよがりな考えになってしまいます。

たとえば、私の胸では今心臓が動いてくれています。これが止まると私の命も終わります。でもそのことを意識することはまずありません。黙々と動いていてくれることに感謝する事もあまりありません。人間の体は六十兆個の細胞で出来上がっているそうですが、その一つ一つがどんなはたらきをしているか、頭では把握もできません。でも、それぞれがそれぞれのはたらきをしてくれているお陰で、こうして存在することができています。

体が健康であっても、私を取り巻く環境が整ってなければ生きてはいけません。私たちがいるこの地球は、太陽から絶妙な位置にあるおかげで空気や水をはじめとして、生きていくのに不可欠な物が揃っています。もし、太陽がなくなったら五分と生きてはいられないでしょう。こうして一つ一つ挙げていけば切りがない、とてもすべてを見通すことのできない無数の条件によって私達は存在していられるのです。まさに吹けば飛ぶような命です。米沢英雄師にこのような言葉があります。

「吹けば飛ぶこのいのちを生かすのに 天地宇宙総がかり」

と。私が今ここにこうして人の身を持って存在していることの背景はこんなにも大きいのだと、知らせていただける言葉だと思います。しかし、背景といい、お陰さまといい、表には出ないのですね。あくまで「背中」であり「陰」なのです。自分の背中は鏡がないと見えません。陰は光がないと陰だと気づきもしません。鏡も光も自分の中にあるものではありません。鏡のはたらき、光のはたらきをしてくれるのは仏様の智慧のはたらきです。

仏様の智慧のはたらきを実感できるように、これからも聞き続けていきたいと強く感じています。

(二〇一五年十月下半期 中勢二組法因寺住職)

019 今のすがた

種村茂

私はこの十月で六十四歳になります。在家の者で現在家族は妻と娘そして知的障害の妹と四人で暮らし、息子は社会人となって県外で一人暮らしをしております。私は六十歳で会社を退職し身軽の身となりました。今の生活は早朝の静かなひとときに、今までのいろんな方から教わった体操などを一時間くらいかけてゆっくり行い、そのあと趣味のクラッシックギターを弾いて楽しみます。普段は諸用事をこなしつつ空いた時間が出来たりすると、しゃがんで草抜きや庭先の畑で少しの家庭菜園や園芸をします。

今思えば父は施設・病院と六回くり返し、その都度検査して、そして六年前に病院で亡くなり。母は、その後しばらくして施設に入ってもらって、三年前に施設で亡くなりました。私は母が亡くなる頃から十キロくらいやせだし、私なりに大変な時期がありました。今ではぐっすり眠れるようになり、とても有難く目覚めの時は感謝です。また自宅での朝夕のお勤めは都合でできない時もありますが、ほとんど毎日のごとく称えております。

今振り返ってみると、私が三十代後半の頃お手次の住職に声をかけていただき、その流れのまま仏法の場へ行って推進員となり。聞法の場では講師の先生をはじめ先輩や同年代の方々との出会いがあり、そのおかげで仏法の場が広がりました。今も手探りで迷いつつ今しかないという気持ちが仏法へと聴聞出かけております。

(二〇一五年十月上半期 浄泉寺門徒)

018 過疎化地域に生きる

山崎信之

私が生活している多気町土屋というところは、過疎化が進み、高齢の方が増え、若い方が少ない地域であります。となりの松阪市内まで出るには車でおよそ三十分かかり、何をするのにも不便な地域なのです。ですので、仕事のため出ていかれた若い方々は外で所帯を持ち、帰って来られる方もとても少なくなり、現在生活されておられるほとんどの方が年金生活を送られている方になります。

そんな環境の中でも、これまでのようにとご門徒と協力しながらお寺をなんとか支えていますが、お寺の役員をお願いできる方も近年では、お寺の役以外に地区の様々な役を重ねて引き受けられるというのが現状で、例年通りしてきたことが徐々にできなくなり、お参りに来られる方も少しずつ減少傾向にあります。

しかしそんな中でも、お参りはさせていただきたいとお寺に足を運んでくださる方もおられます。その根底には、親鸞聖人より有縁の方々を通して私達へと本願念仏のみ教えが届けられているというまぎれもない事実があるのだと思います。

御同朋御同行の言葉の通り、念仏申す者、親鸞聖人の教えに学びたい者、各々が自分の関わり方でお寺に関わって下さる。それがお寺という場を実現し続けているのだと私は感じます。

現在、私のお寺には『同朋の会』と言える集まりはありませんが、一緒に歩んでくださるお同行の方々と、苦労を共にしながら、お寺を中心に、この過疎化した地域で生き抜く道を歩んで生きたいと思います。

(二〇一五年九月下半期 南勢2組 福壽寺住職)

017 鳩

伊藤誓英

本堂を新築して約十年になります。それが今年の六月頃より鳩が来るようになり、虹梁(こうりょう)と呼ばれる横柱などにとまりだしました。その結果、おびただしい量の糞害です。鳩の糞にはたくさんの病原菌が含まれているそうで、お寺にご参拝されるご年配の方々に健康被害が及ぶことも考えられますし、小さな子どもを連れてお墓参りに来られる方もみえますので何とかしなくてはなりません。

それまで鳩との間に何の利害もなく、私にとってはよく見かける動物の一種であり、犬や猫を見かけるのと同じでした。しかしこの時より、私にとっての鳩は駆除すべき存在になりました。別に私は鳩を殺すつもりはなく、ただ鳥除けが取り付けられるまでの間、竹竿で追い払っているだけですが、もし卵を見つけてしまったらどうするかです。保護しても、人工的に孵化させ、育てるのは困難だそうです。見逃せばきりがない、でも生まれてきた命。仏さまの「不殺生」という教えが耳に痛く感じます。

昨今、「いただきます」という言葉が失われつつあると聞きます。一般家庭だけではなく、学校給食でも不要ではないかと言われる事があるそうです。どうしてそのような問題が起こってくるのでしょうか。それは他のいのちを奪うことで、自分のいのちが保たれていることに目を背け、大切な事実を伝えていくことをやめた結果ではないでしょうか。

「不殺生」や「いただきます」など、私に届けられている大切な言葉があります。しかし、それに背き、忘れてしまう現実があります。その事実に気づかされた時。その狭間で「申し訳ない」と痛む心に、常に照らしてやまない仏さまの大悲の心が見えてくるのだと思います。常にあるべき在り方、生き方を忘れるなとのメッセージではないでしょうか。

(二〇一五年九月上半期 桑名組明圓寺住職)

016 気づけてない私への喚(よ)びかけ

藤嶽大安

食事をするとき、「いただきます」と、言います。私たちは、動物や植物の尊い命を頂くことによって、命をつないでいます。こうしたことから、動物と植物の命を頂くということに、感謝するという気持ちで、「いただきます」と、称えることが大切なことであると教えられてきました。

さて、お釈迦様は、誕生された時、「天上天下 唯我独尊」と言われたと伝えられています。

これは、ただ私だけが尊いとか偉いという意味ではなく、「この世に、誰とも、代わることの出来ない唯一の存在として、しかも何一つ、付け加えることなく、この命のままに、尊い存在である。そういう尊い命を賜って生きている。」ということを表わしている言葉でしょう。

動物も植物も、このような尊い命を頂いています。また、私たちも同じように、尊い命を頂いて生きています。

しかし、このように同じ尊い命を賜っているにもかかわらず、目の前においしそうなごちそうが運ばれてくると、目先の事に気をとられて、「共に尊い命である」と、いうようなことは、すっかり忘れてしまっている私。

そんな私に「おおーい、大丈夫ですか。大切なこと、見失っていませんか」と、仏さまから、喚びかけられています。

でも、その喚びかけにも、気がつかないでいるので、食前に、「いただきます」という言葉を発することで、「動物や植物も、それを頂く私も、共に、かけがえのない尊い命を頂いているのであったな。忘れていたな」と、気づかせて頂くご縁を、仏さまから、つくって下さっているのではないでしょうか。

(三講組・敬善寺住職 二〇一五年八月下旬)

015 私と桑名別院「暁天講座」

伊藤たね子

今年で四九回目の暁天講座が終わりました。七月末の五日間、朝六時半から七時半の一時間桑名別院の本堂でいろいろな方のお話を聞きます。阿弥陀様に向かって座り、静かに耳を傾ける大切な時間です。

私は若い頃、農業をしながら三人の子育てに走り回っていた頃、不平・不満のつぶやきを親友によくこぼしていました。そしてさそって下さったのが別院の暁天講座だったのです。

その時の講師は、北陸の米沢英雄先生でした。日常の悩みや迷い、苦しみを仏法を通してわかり易く話されました。帰りには心も軽く明日への元気もわいてきて、こころが穏やかになっており、次回が待たれる講座でした。それ以後、なんとなく気後れしていたお寺へ行くのも、自然体で正面の阿弥陀様にきちんと正座して合掌することができるようになりました。

この暁天講座の出会いが今の私を支えるありがたいご縁となっています。本堂に集う様々な方を目にしますと、いつの間にか私はこれでよいのだろうかと、自分を見つめ、考えているのです。そしていつの間にか力がわいて来て「さあ、やろうか」と、一歩が出ます。

お寺は私にとって心の拠り所です。これからも一回でも多く手を合わせることが出来ますように、来年の暁天講座に出会えますようにと願っています。

(長島組寶林寺門徒 二〇一五年八月上旬)