伊藤誓英
本堂を新築して約十年になります。それが今年の六月頃より鳩が来るようになり、虹梁(こうりょう)と呼ばれる横柱などにとまりだしました。その結果、おびただしい量の糞害です。鳩の糞にはたくさんの病原菌が含まれているそうで、お寺にご参拝されるご年配の方々に健康被害が及ぶことも考えられますし、小さな子どもを連れてお墓参りに来られる方もみえますので何とかしなくてはなりません。
それまで鳩との間に何の利害もなく、私にとってはよく見かける動物の一種であり、犬や猫を見かけるのと同じでした。しかしこの時より、私にとっての鳩は駆除すべき存在になりました。別に私は鳩を殺すつもりはなく、ただ鳥除けが取り付けられるまでの間、竹竿で追い払っているだけですが、もし卵を見つけてしまったらどうするかです。保護しても、人工的に孵化させ、育てるのは困難だそうです。見逃せばきりがない、でも生まれてきた命。仏さまの「不殺生」という教えが耳に痛く感じます。
昨今、「いただきます」という言葉が失われつつあると聞きます。一般家庭だけではなく、学校給食でも不要ではないかと言われる事があるそうです。どうしてそのような問題が起こってくるのでしょうか。それは他のいのちを奪うことで、自分のいのちが保たれていることに目を背け、大切な事実を伝えていくことをやめた結果ではないでしょうか。
「不殺生」や「いただきます」など、私に届けられている大切な言葉があります。しかし、それに背き、忘れてしまう現実があります。その事実に気づかされた時。その狭間で「申し訳ない」と痛む心に、常に照らしてやまない仏さまの大悲の心が見えてくるのだと思います。常にあるべき在り方、生き方を忘れるなとのメッセージではないでしょうか。
(二〇一五年九月上半期 桑名組明圓寺住職)