007 私との出会い

伊藤 華

私の父は高校生の時に網膜(もうまく)色素(しきそ)変性症(へんせいしょう)という目の病気を発症しました。

徐々に中心が見えなくなり、視力を失うこともある病気で、現在も治療法は確立されておらず、六十歳を過ぎた頃からほとんど視力を失いました。

そんな父のことを私は少し羨ましいと思った時期がありました。私は学生時代、将来の進路について悩んでいた時、劣等感や自信の無さから、相手から自分が馬鹿にされているとか、嫌われていると感じて対人恐怖症になったのです。父は私とは全く逆の性格で、門徒さんの家に行って沢山の方と色んなお話しをするのが本当に楽しそうでした。ですが、父のこの性格が羨ましいと思ったわけではありません。

当時私は父に、「いいなぁお父さんは目が見えないから、人の反応を気にすることなくお話ができるから。私も目が見えないほうがいいわ」。

すると父は、「わしは、耳で見ているんだよ。よく見えるよ。怒った顔、笑った顔、悲しい顔。あんたはもっと色んな人と出会いなさい」と言われました。目は見えなくても耳からの情報で脳の視覚(しかく)野(や)は働き、脳の中で映像を見ているそうです。以前まで、私は目が見える分、父より世の中のことを知っているし、目が見えないくせに何がわかるのだ?と思うことが多々ありました。しかし父の言葉を聞いて、ひとつひとつの出会いに、想像以上に神経を研ぎ澄まさせているのだろうと感じ、私は今まで自分の評価ばかりを気にして、人と話をする時、しっかり相手の顔を見て、相手の発する言葉にちゃんと耳を傾けてこなかったと痛感しました。

嫌いな人、苦手な人、気難しい人、良い人・・・勝手に決めている自分がそこにありました。人生で出会うすべての人々から様々なことを教えられます。それぞれの出会いにおいて相手を評価するのではなく、その出会いをご縁として私が私に出会わせてもらっていきたいと思います。

(桑名組・晴雲寺衆徒 二〇一六年四月上旬)