007独生独死 独去独来

原田 憲昭

 近年の医学の進歩は眼を瞠(みは)るものがあります。昨年は京都大学の山中伸弥教授によるiPS細胞の発見に世界が驚きました。この発見で多くの病気で苦しんでいる人たちが希望を持たれたことと思います。
 
 仏教では人の一生を『仏説無量寿経』の中に「独生独死(どくしょうどくし)独去独来(どっこどくらい)」(『真宗聖典』五九~六〇頁)とお釈迦様がお示しくださっております。
 これは「独り生じ独り死し、独り去り独り来りて」ということです。人は誰しも最終的に死と直面しなければなり
ません。

 私は今から一三年前に大きな体験をしたことがあります。ある日、声が出なくなり、耳鼻咽喉科へ行き診察していただいたところ、喉頭癌と診断され愕然となりました。一〇日後に他の病院で精密検査を受けることになりました。その間、家族のことや先のことを考えたら食事も喉を通らず、打ち萎(しお)れる毎日でした。
 
 『歎異抄』の第九条に「死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり」(『真宗聖典』 六二九~六三〇頁)とありますが、死の岸頭に立ちながらも、あれも、これもと思う心に、私はなんと欲の深い人間かと思いました。

 数日して死と向き合った時、今まで人と出会って気付かなかった人の尊さや、自然の風景が光り輝いていることに気付き、涙が溢れて止まりませんでした。

 親鸞聖人は「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」(『真宗聖典』六二七頁)と申されております。

 仏様の慈悲を願い信ずる外に道はないと思いました。
 幸い検査の結果悪性でないと判明しました。現在私は六八才になりますが、二〇代の頃にご門徒の家に月命日のお参りに行った時、仏壇の部屋で床に横たわっておられる六〇代の奥さんから、「自分は医者から見離され、どうしたらいいのか不安でなりません」と言われ、その方に何の返事も出来ずに逃げるように帰ってきたことを今思い出しております。

 私の周囲でも色々悩み苦しんでいる方々がおられますが、その方の側に寄り添って、仏様の教えを共に聞いていきたいと思います。

(中勢一組・託縁寺住職 二〇一三年三月上旬)