026一人と出会う

長崎 直

この8月に開催された「同朋ジュニア大会」に、私もスタッフとして参加してまいりました。

子どもたちの底なしの体力には当然かなうはずもなく、激しい消耗と筋肉痛を伴いながらでしたが、とても楽しいひと時を過ごし、忘れ難い思い出をたくさんいただいてきました。

「一人と出会う」というテーマをいただいて過ごした日程の最後、閉会式で「参加証」の証状を頂戴しましたが、その証状にはこんな文章が綴られていました。

「あなたは同朋ジュニア大会に参加しました。『一人と出会えましたか』これからも一人と出会うことを大切にして下さい。」

この、「一人と出会えましたか」という問いは、普段自分の都合でしか生きられない私たちに大切なことを教えて下さっています。

出会うということは、その数の多さに価値があるわけではありません。まして、その数を他人と競い、例えば友だちの数で勝っているなどと言って安心するような材料でもありません。

そんなことは当然だと思い込んでいても、誰にも替わることのできない一人が、今まさに私と出会ってくださっているという事実は、普段は薄められているような気がしてなりません。

出会いというものは、時に大きな喜びとして受け止められますが、はるかな懺悔として刻まれていくほど重く厳しいものでもあるはずです。それなのに、いわゆる嫌な事実には目を背け、遠ざけることで出会いを薄め、それによって一人を見失ってしまいます。都合ということで言えば、それこそ都合の悪い出会いなど出会いではないと思いたいからです。また、そうすることで、都合の悪くないことを、当たり前のことと置き換えて、喜びを切り離していきます。

先日80歳で亡くなられた俳優の米倉斉加年(まさかね)さんの著作に『おとなになれなかった弟たちに・・・』という絵本があります。故人を偲ぶ新聞の記事で紹介されたこの絵本の一節に心をとらわれました。

「戦争末期に生まれた米倉さんの弟に、お母さんは満足に母乳もやれなかった。配給のミルクが命の綱。だが、そのミルクを米倉さんは、ひもじさのあまり盗み飲みしてしまう。弟はやがて静かに息を引き取った。栄養失調だった」

(『おとなになれなかった弟たちに・・・』偕成社)

米倉さんは、自らのさるべき業縁と向き合いながら、深い懺悔の中で、尊い一人として弟と生涯出会い続けていかれたのでしょう。

私たちは、思いはからいの及ばないご縁をいただきながら私という人生を歩ませていただいています。それは、誰とも替わることのできない「私」が「私」となる歩みであり、一人ひとりが比べることのできない尊い歩みであると教えられます。

それにもかかわらず、私たちは、一人ひとりを自分の都合で、選び、嫌い、見捨て続け、あまつさえその事実を認めようともしません。

このような自分中心の世界が打ち破られていくことに「出会い」の本当の意味があるのではないかと、ジュニア大会の証状は問いかけてくださっています。

果たして、子どもたちは来年も会いに来てくれるでしょうか。そしておとなたちは来年も不都合な筋肉痛と笑顔で付き合えることでしょうか。出会うとは、出会い続けるということです。今から来年の大会が楽しみになっています。