加藤淳
7月27日よりロンドンオリンピックが開幕し、日本のメダル獲得のニュースが毎日報道されています。銅より銀、銀より金とメダルを取ることを要求しているかのようにも聞こえます。
7月21日にお寺での「青年の集い」に参加してくれた参加者の一人から、今年1月に行われた全国高校サッカー選手権で準優勝した時の銀メダルを見せてもらいました。銀メダルはずしりと重く、手にしたときには感動をしました。応援していた時は、私もぜひ優勝して金メダルを取って欲しいという思いでいっぱいでした。スポーツをしている多くの人がメダルを獲得することを目標とし、日々練習に励んでいることでしょう。
2年前に、ある議員が「2位ではダメですか」という質問をして話題になりました。それに対して様々な意見が出されましたが、みなさんはどう思われたでしょうか。
メダルは大会や競技会に参加し、成績が優秀でないと手にすることはできませんが、私たちの日常生活も何らかのメダルを目指しながら生活しているのではないでしょうか。ある意味、家内安全、長寿延命、無病息災というメダルを手に入れるために日夜努力しているのではないでしょうか。
しかし、メダル獲得を最終的な目標に掲げると、病気や事故に遭った時には、「どうして自分ばかりがこのような目に遭わなければならないのか」と愚痴をこぼし、自分のおかれている現実を受け止めることができません。病気になるのも、事故に遭うことも、これもまた自分の人生だと受け止めることが大切です。
「無有代者(むうだいしゃ)」という言葉が『無量寿経』にあります。誰も代わることのできない、代わってもらうことのできない我が身であるということが説かれています。
仏法を聴聞していくということは、「あなた自身は本当のあなたを生きていますか」と常に問われていることです。オリンピックの表彰式を見るたびに、喜びまたガッカリする自分を聞き続けていかなくてはなりません。