佐々木顯彰
先般の新聞に、三重県の「子供白書2012」が載っており、現在の子どもたちの生活実態や考え方の調査結果が出ていました。
悩み事を相談する相手は友達が64%、母が55%、父は26%であることから、友人関係を重視している姿がみられました。
親子関係で嫌なのは、他人と比較されていろいろ言われた時が、41.4%であり、生活についてあれこれ言われた時39%、自分がやりたいことを反対された時35%と出ていました。
注目すべきは他人と比べることにあります。一人では決して生きて行けないという関係の中で比較せずにはいられない自分がいるということを表しています。
最近、同級生との会話で共有できる話題が2つあって、いつの間にかそのような会話から相手と自分を比較しているあり方に気づきました。「身体の具合はどうや」という病気のこと、「いくらもらえるの」という年金の話です。最後は「君は僕より働いた年数が長いもんな。当然やろうな」で、その場を納得させている自分に気づきます。
身体の調子や受給金額の差を、自分と比較する話題ですから、皆さんも経験されているのではないでしょうか?
親鸞聖人は、そんなあり方を「正信偈」において「邪見憍慢悪衆生(じゃけんきょうまんあくしゅじょう)」と教えてくださっています。「邪見」とは、自分の都合の良い考え方、つまり自力の計らいであり、「憍慢」とは、そんな考え方から来る思い上がりの心であります。
さらに、親鸞聖人は、
凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく 、
いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして
臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず(真宗聖典545頁)
と、自身と自身も含め、私達の姿を「凡夫」といただかれておられます。
そして、如来の本願の働く場所は、このような人間の生活の上にこそ、真実の願いとして働いてくださるものと、『歎異抄』の第一条で、
罪悪深重(ざいあくじんじゅう)煩悩熾盛(ぼんのうしじょう)の衆生をたすけんがための願にてまします。(真宗聖典626頁)
といただかれているのです。