木名瀬勝
夫を自死で亡くされた女性がひっそりと隠れるように暮らしている。なぜ死んだのか、なぜ私を残して、なぜ相談してくれなかったのか、なぜ、なぜ、と思いながら。
そこに、周りの人たちの良識ある意見が追い討ちをかける。「辛いわね、早く立ち直ってね」という励まし。「なぜ止められなかったのか」という疑惑。「彼は命を粗末にした」という非難。残された遺族は、助けることができなかったという自責の念に押しつぶされる。
現代のような生きていくことさえ難しい社会になっても、自己責任という呪文によって問題は個人に閉じ込められてしまう。「ゆるし」とはどういうことか、と彼女に詰問されているように感じたのでした。
親鸞聖人が六角堂において観音菩薩より『行者宿報偈(ぎょうじゃしゅくほうげ)』といわれる偈文(げもん)を賜ったのは、あるがままに受け止められたという体験ではないでしょうか。聖人が苛まれていた罪の意識を丸ごと受け止められた時、自分に与えられた生き方を引き受けることができたということです。それによって罪を償う歩みが始まるのではないでしょうか。
自責の念とは、それまで当たり前に生きてきた世界が、差別と偏見と殺意に満ちていることに気づいたことでもあるのです。しかし、それだけでは諦めです。「一切の有情はみなもって世々生々の父母兄弟なり。私が食べてきた生き物たちが、なぜ俺たちを殺すのかと怨むのであれば、私たちが住む場所はありません」とある先生がおっしゃるように、差別と殺意に満ちている社会を支えてきた私さえも許している大地を見出した時、この世界を善くしていこうという意欲が与えられるのです。これは、償う世界の発見です。
内山智廣
それは半年ほど前、私が本山の同朋会館へ嘱託補導として上山した時のことです。お夕事の後、感話の時間になり、ある補導の名前が呼ばれました。通常は上山して来られた奉仕団のご門徒がお話をされることが多いのですが、その日は補導の名前が呼ばれました。何ごとかと思い様子を見ていると、その補導はスタスタと前へ出て「私は謝らなければなりません」と話し始めました。彼は自分が担当する奉仕団の方に感話をしてもらうよう、予めお願いしなければならなかったのですが、そのことを忘れてしまっていたというのです。続けて彼は「このご本山で感話をしていただくという大切な仏縁を、自分がうっかりしておったがために奪ってしまいした。本当に申し訳ありませんでした」と言いました。
その言葉を聞いた瞬間、本当に自分でも訳が分からなかったのですが、不意に目頭が熱くなり涙がこぼれそうになりました。慌てて一生懸命涙を堪えながら、同時になぜ自分が泣きそうになっているのか考えるのに精一杯で、後の方のお話は全く聞きことができませんでした。
少ししてようやく落ち着いてから考えてみたのですが、私も彼と同じ様に、担当した奉仕団の方に感話をお願いするのを忘れていたことがありました。その時、私はどうしたかというと、お夕事が始まってから強引にお願いして話してもらい、事無きを得たのでした。しかし、そこにあったのは「失敗したくない」「よく思われたい」という自己保身の思いだけで、相手のことは考えていなかったように思います。仮にもし感話を引き受けてもらえなかったら、ごまかすか、誰かのせいにしていたことでしょう。
親鸞聖人が書かれた『教行信証』に「無慙愧(むざんき)は名づけて人とせず」(真宗聖典257~258頁)というお言葉があります。「自分が犯した罪や過ちに痛みを感じることがなければ、人と呼ぶことはできない」ということですが、彼の「仏縁を奪ってしまった」という言葉を通して、我が身かわいさに人を傷つけるような傲慢さ、身勝手さを、恥ずかしいと知らせていただいたことでありました。
佐々木達宣
今から40年ほど前、紅顔の美少年とは程遠いニキビ面の私は、弾けもしないのに友だちから無理やり借りたギターを手に、周囲の迷惑も顧みず、当時流行っていたフォークソングを歌い、自己満足の世界に浸っていました。
ガロ、吉田拓郎、チューリップ、岡林信康…。同じくらいの世代の人にはとても懐かしい名前だと思います。その中でも吉田拓郎さんの歌が好きでした。そんな彼の歌の中に「イメージの詩」という曲があります。デビュー曲ということで、とても古い曲なのですが、その歌詞の中にこういう一節がありました。
自然に帰れっていうことは どういうことなんだろうか 誰かが言ってたぜ 俺は人間として自然に生きているんだと 自然に生きてるってわかるなんて なんて不自然なんだろう…
難解な詩で、当時中学生の私には意味など理解できるはずもなく、ただ何となくその言葉が心の中にひっかかったまま、40年の月日が流れて行きました。
最近のテレビCMで「あなたは、あなたのままでいいのだ」というフレーズを耳にします。これは故赤塚不二夫さんのアニメ「天才バカボン」に登場するバカボンのパパが、話の最後に必ず言う名セリフ「これでいいのだ」を引用しているのですが、「バカボン」とはインドの言葉で、世尊つまり仏さまの尊称を表しています。
私たちの生活の基盤は、名誉、貧富、健康など、世間でいうところの価値観の中に存在し、そして、その価値観が、時には他を傷つけ、自らを苦しめることとなっているのです。世尊は、そんな私たちに物差しで人の価値観を測ることの愚かさを説き、そして、常に私たちに寄り添い、人間はその存在こそが尊いと、「あなたはあなたのままでいいのだ」と教えられているのです。
さて、先程の歌の中の「自然」という言葉を「自由」という言葉に置き換えてみましょう。
自由に生きてるってわかるなんて なんて不自由なんだろう…
自由ということを、自然と捉えるのではなく、思い通りとするところに私たちの苦しみがあるのです。
荒木智哉
先日、茨城県を中心とした、親鸞聖人のご旧跡を訪ねました。
聖人は越後での流罪を赦免された後、家族と共に常陸(ひたち)の地(現在の茨城県)に移り生活を始めます。言葉も文化も異なる中での生活はたいへんな苦労があったと思います。聖人の生きた鎌倉時代は土木・灌漑の技術が発達しておらず、一度大雨が降ると川が氾濫し、人家はおろか田畑まで壊滅的な被害を受けました。その繰り返しのため、人々の暮らしはいつも不安と隣り合わせでした。一定量の食料が収穫できないということは生死にかかわる問題です。
その不安は大蛇という形を取って当時の伝説や説話に多く現れてきます。大蛇とは氾濫を繰り返す川の象徴であり、人々は自然の脅威を前にどうすることもできず、大蛇に対してその怒りを鎮めるために供物を捧げ、時には生贄を捧げるといったこともありました。恐らく聖人自身も関東での教化活動で立ち寄った村々でそのような出来事を見たり、聞いたりしたと思います。その一つの出来事の様子が、高田派に伝わる『親鸞聖人正明伝』の中にも出てきます。
聖人は若い頃比叡山で学ばれました。当時の比叡山では中国大陸の最先端の学問を学ぶことができました。今でいう総合大学の機能も備えていました。当時その中には土木・灌漑の技術も含まれており、聖人は多くの最先端の知識と越後での流罪生活での経験をもとに、関東の地で民衆に対して多くの技術を教え、伝えたのではないでしょうか。
伝説や挿話は近代歴史学においては軽んじられる傾向にありました。しかし、そのような伝説・挿話の中にこそ、その時代を生きた人々の様子がありありと描かれているのではないかと私は思うのです。
常陸の人々にとって、聖人はお念仏の教えを説くだけではなく、一緒に田畑を耕し、作物を育て、苦楽を共にしていった、たいへん身近な存在であったと思います。日々の交流を通して、お念仏の教えは自然に人々の生活の一部分となっていき、そして、その生活は今日まで綿々と受け継ぎ、伝えられてきたのです。
ご旧跡を巡る中で、人々に教えを説く聖人と同時に、人々とその生活の中に共に生きていった聖人という、二つの聖人像を感じました。優しいまなざしの中に秘められたどっしりとした力強さ、「となりの聖人」という人物像を私は感じずにはおられません。
あるご住職が言われた「私たち常陸の国の門徒は」という言葉が印象的でした。
山﨑滿之
「時代という大きな流れの中で世の中全体が変わってしまう、人生や人の心までもが変わっていく」今日この頃であります。
私は過疎が著しく進む山間の小さな寺を預かる年老いた者であります。私が大人になった頃は「向こう三軒両隣」といったような言葉がり、助け合うという心がお互いの安心を支え、平和で豊かな村であったように思い出されます。今では住民の大半はお年寄りで、若者は生活の場を求めて村を離れ、したがって子どもも少なくなりました。時代という大きな力に流されていく淋しさを痛感しております。
平和と言われるようになり、日常生活には何一つとして不自由のない昨今でありますが、私たち人の生き方はこのようなことで本当の幸せと言えるのでしょうか。私には何か心の中を吹き抜けるすきま風のような淋しさが感じられてなりません。
今の時代は、品物が豊かにある一方で、人間として一番大切な心が失われている時代だと言わざるを得ません。信じ難い言葉でありますが、人間崩壊、家族崩壊と言われる時代であります。テレビや新聞報道などを目にいたしますと、本当に信じられないような事件の数々が、それも自分の欲望を満たすため、親が我が子に、子が親に対し手をかけるといったようなことが起きているのが現実であります。
心の無い人のことを「あれでも人間か」とか「畜生のような人」と言います。畜生にも動物の本能があって、我が子を危険から守るという心があるように思えます。人が心を失えば、他の動物とあまり変わりがないか、それ以下ということになってしまいます。だから、人には心が一番大切なのでしょう。
私たち人間は自分たちをこの世の中の万物の霊長と思い、宇宙の全てを支配しているかの如くに思い上がっています。今こそ、全ての生物の命を犠牲にし、その上に生かされているということ、縁によって生かされているということに目覚めなければならないと思います。「今、いのちがあなたを生きている」と。
今日でも、お年寄りの人たちと会話していると「ご縁をいただいて」とか「お陰さま」という言葉が話の中に出てまいります。このような言葉が無くならないよう、仏法を耕してまいりたいものであります。
加藤淳
昨年の10月、自坊に於いて蓮如上人五百回御遠忌法要、本堂修復落慶法要を厳修いたしました。自坊では31年ぶりに稚児行列も出て、たいへん賑々しく法要が終わりました。
稚児行列参加の募集をしている時、ご門徒さんから「稚児行列には3回出るといいんですね」との質問が多くありました。「どうしてですか」と問い直してみると、ほとんどの方から「人から聞きました」とか「みなが言うから」という返事が返ってきました。その返事に私は「ご縁があれば4回でも5回でも出ていただいてもいいんですよ」と答えさせていただきましたが「3回出たからいいです」と断られる方もありました。
この「3回出るといいですね」という言葉はどこから来ているのか分かりませんが、あるご門徒さんから「私も小さい頃お稚児さんに3回出させていただきましたが、良いことは何一つなかったです」と発言されたことが印象的でした。
私たちの日常は、幸せになりたい、豊かになりたいという思いから、一生懸命に努力をしています。しかし、仏教の基本は「人生は苦である」と教えてくださっています。時には「どうして自分ばかりがこんな目に会わなければならないのか」と、現実そのことを受け止めることがなかなかできません。都合が悪くなると「3回お稚児さんに出しておけばよかった」などと、お稚児さんの回数が気になり、問題の原因を外に向けて探しているのが私たちの生き様なのではないでしょうか。
「稚児に3回出なかったから、こんな目に会うのでは」ということではなくて、迷っているのは人間です。やがて老いて、病んで、死んでいく我が身を、いかに生きていくか、どのように生きていくことができるのか、そのことを私たちに問われているのが仏法の基本的な課題であると思います。「調子の良い時だけが自分ではなくて、都合の悪い時も、悩んでいる時も、全てが本当の貴方なんですよ」と問いかけられています。現実そのことを引き受けながら生きていく勇気をいただくのが仏法ではないでしょうか。
山田初美
平成15年は我が国の犬と猫の飼育数が15歳未満の子どもの人口を初めて上回った年です。現在ではその差がさらに広がっているでしょう。飼い方も変わってきて、昔はペットを飼うのは家の外が普通でしたが、今は自宅の中で飼っている方が多く、寝る時も同じベッドという飼い主さんもいらっしゃいます。ペットを飼っているほとんどの方にとって「ペットは家族の一員」であり「我が子同然」の存在なのです。
先日、友人宅の13歳の犬が亡くなりました。長年可愛がっていた犬をお花や好きだったオヤツやオモチャと一緒に段ボールに入れ、泣きながら公共の焼却場に持ち込んだところ、ゴミ扱いされたというのです。「家族同然の犬が廃棄物」とは、ショックを受けた彼女は、ペット火葬から供養までしてくれる業者に頼みました。そこでは、お葬式に加え、年忌法要まで行ってくれるというのです。お葬式をして骨を拾い、ペット仏壇も買って手を合わせているそうですが、何もやる気が起こらない。ペットロスにかかり毎日泣いてばかりいるそうです。彼女は亡くなった犬に命の尊さを教えてもらったのでしょう。
「生きているものはみな同じいのち」とお釈迦様は教えてくださいます。人は、自分だけが得をしたい、人よりも良い暮らしをしたいなど、数えきれないほどの欲を抱えて生きています。犬にはそんな欲はありません。純粋でピュアな心をもっています。人間は煩悩に悩まされているからこそ念仏が必要なのだと思います。
さて、我が家の3匹の犬が亡くなったら自分はどうするだろうか?命の尊さを教えてくれた犬たちに手を合わせ「南無阿弥陀仏」と称えると思います。
岡田寛樹
2008年にノーベル物理学賞を受賞された京都産業大学の益川敏英教授は、あるテレビ番組の中で「物理の実験において証明されたことは、事実として受け止めなければならない。つまり、現実で起きている事柄は事実である以上、好き嫌いではなくて信じなければならない。たとえ、嫌いであっても認めなければならない。納得しなければならない」と話されていました。このことは私たちが普段目にする光景でも、同じようなことが起きているのではと思います。
ついこの前まで元気だった人が病に臥していく、亡くなっていく、若くて元気だった人なのに、随分と老けてしまわれた。そのような人たちをたくさん見てきているはずの「わたし」なのに、どこか「他人事」として見ている自分がいます。人が老けていくのを、亡くなっていくのを見て「そのうち、いつかは、自分も」と思ってしまう自分がいます。たとえ、突然に亡くなられた方の存在を知っていても「自分はまだ大丈夫」とか「まだ関係ない」と思ってしまいます。「自分も」という言葉の前に「そのうち、いつかは」という言葉が付き、先送りにしている自分がいます。
たくさんの人が「わたし」の前で、生きていくことや老いていくこと、そして、命を終えておくことを、予め「わたし」に見せてくれています。けれども「まだ他人事」として見過ごしてばかりもいられない自分に「わたし」は本当に気づいているのでしょうか。知ってはいるものの、理解はしているものの、どれだけ「わたし」のこととして実感しているのでしょうか。
「他人事」として捉えずに「わたしのこと」として捉えないといけない。これは自分の心に留める現実なのだと思います。確かにそういったことを思い始めると、この世を去る時の未練や恐怖感が出てきます。でも、それらのことを受け入れることができるようになった時、未練や恐怖感は無くなり、生きていることの素晴らしさを心の底から実感できるのかもしれません。
橘秀憲
謹んで新春のお慶びを申し上げます。昨年は、変動の年でありましたが、みなさまにとってはどのような年でしたでしょうか?
昨年12月、「ハンセン病問題を共に考える集会」に参加させていただきました。ハンセン病については、1996年「らい予防法」が廃止されましたが、法の廃止だけでは「何も変わらなかった」と回復者の方々に言わしめた私たちがいました。差別や偏見が根強いのは、それだけ間違った政策や社会の強制が、長い間、徹底していたということの現れでもあろうと思います。
一昨年2008年6月、「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」、通称「ハンセン病問題基本法」が成立し、昨年2009年4月に施行されました。その歩みの中で、療養所のない三重県においても、この問題の解決に向けて、取り組みや課題を広げようという意味で立ち上がったのが、上記の「ハンセン病問題を共に考える会・みえ」です。私自身も今後の歩みに賛同していきたいと思います。また、輪が広がり、共に解放される日が一日も早く訪れるように共に歩んでいきたいと存じます。
岡山県にある長島愛生園の入所者であり、真宗大谷派の僧侶であった故藤井善さん(本名・伊藤教勝氏)の「人間回復のためには、隔離された人間も隔離した人間も、共に解放されなくては本当の解放ではない」という言葉を改めて受け止めさせていただきました。
一月一日の修正会でお勤めの後に拝読いたします蓮如上人の『御文』の一帖目一通には阿弥陀如来の世界に生きる大切な仲間として御同朋、共に南無阿弥陀仏の人生を歩む友としての御同行ということが、親鸞聖人のお言葉をあげてお示しくださっています。(真宗聖典 760頁)
「何も変わっていない」と彼らに言わしめてきたこの社会の中で、今立ち上がりチェンジしなければ(変わらなければ)ならないのはこの私であったと改めて考えさせられます。
御遠忌法要に向けて残すところ1年3ヶ月足らずになりました。「共に、大地に立たん」の教区スローガンを確認し、歩んで行く。そのような機会にしていきたいと思います。
真宗大谷派(東本願寺)三重教区・桑名別院本統寺の公式ホームページです。