005人生を思う

山﨑滿之

「時代という大きな流れの中で世の中全体が変わってしまう、人生や人の心までもが変わっていく」今日この頃であります。

私は過疎が著しく進む山間の小さな寺を預かる年老いた者であります。私が大人になった頃は「向こう三軒両隣」といったような言葉がり、助け合うという心がお互いの安心を支え、平和で豊かな村であったように思い出されます。今では住民の大半はお年寄りで、若者は生活の場を求めて村を離れ、したがって子どもも少なくなりました。時代という大きな力に流されていく淋しさを痛感しております。

平和と言われるようになり、日常生活には何一つとして不自由のない昨今でありますが、私たち人の生き方はこのようなことで本当の幸せと言えるのでしょうか。私には何か心の中を吹き抜けるすきま風のような淋しさが感じられてなりません。

今の時代は、品物が豊かにある一方で、人間として一番大切な心が失われている時代だと言わざるを得ません。信じ難い言葉でありますが、人間崩壊、家族崩壊と言われる時代であります。テレビや新聞報道などを目にいたしますと、本当に信じられないような事件の数々が、それも自分の欲望を満たすため、親が我が子に、子が親に対し手をかけるといったようなことが起きているのが現実であります。

心の無い人のことを「あれでも人間か」とか「畜生のような人」と言います。畜生にも動物の本能があって、我が子を危険から守るという心があるように思えます。人が心を失えば、他の動物とあまり変わりがないか、それ以下ということになってしまいます。だから、人には心が一番大切なのでしょう。

私たち人間は自分たちをこの世の中の万物の霊長と思い、宇宙の全てを支配しているかの如くに思い上がっています。今こそ、全ての生物の命を犠牲にし、その上に生かされているということ、縁によって生かされているということに目覚めなければならないと思います。「今、いのちがあなたを生きている」と。

今日でも、お年寄りの人たちと会話していると「ご縁をいただいて」とか「お陰さま」という言葉が話の中に出てまいります。このような言葉が無くならないよう、仏法を耕してまいりたいものであります。