005サルから人間へ

大賀光範

冬の寒い時期は鍋がごちそうですよね。鍋奉行が取り仕切って、おいしく煮えた料理をみんなに取り分けたりして、楽しく時間を過ごせますよね。

ところで、鍋をみんなで囲めるのは人間だけだそうです。チンパンジーやゴリラなどの類人猿ならこういうわけにはいきません。ひとに食べ物を渡すなんてことはもってのほか。鍋の中のものを独り占めしようとして怒り出してしまい、楽しい時間などあり得ません。大分県の高崎山でのエサやりの時間は、まるで戦争のような状態です。どれだけ自分の食べ物を確保できるか、あちこちで取り合いのけんかが始まってしまいます。

人間とサルとでは、なぜこのように大きな違いがあるのでしょうか。

先日のテレビで、サルから人間への進化について紹介がありました。人間の祖先はアフリカのジャングルで生活していましたが、他のサルとの生存競争に負けて、草原で生活せざるを得なくなったそうです。森は食べ物が豊富な場所で、手を伸ばせば果物であれ木の葉であれ、何でも手に入りますが、草原ではそういうわけにはいきません。森で生活していたときのように、個人の力だけで自分のエサを探していたら、力の弱いものや小さいものが先に飢えてしまい、子孫を残すことはできません。食べ物が乏しい過酷な環境の中では、助け合わねば生き残ることができないのです。たまたま食べ物を平等に分け合うことができたグループだけが生き残り、サルから人間への第一歩を踏み出したということでした。

自分のものをひとへ分け与える行為を、仏教では「布施(ふせ)」といい、大切な修行と位置づけています。食べ物や知識、大切な智慧など、自分の持っているものをひとへ与えること、これが「布施行」です。

昨年の大震災の時、日本中の人たちが義援金や救援物資を被災地へ送りました。みんなで力を合わせて助け合いたいという心が表に現れ出ての行動ですから、これは布施行の実践ができたことになるのです。

自分さえよければいいという変わり方、相手を突き放すような冷たい生き方から、助け合い、「絆」を深めあう暖かい人間の生き方へ、大震災という悲惨な出来事が縁となり、私たちの生き方をあらためて方向付けしてくれたのではないでしょうか。

004千両蜜柑(みかん)

岡田寛樹

古典落語の中に『千両蜜柑』という噺(はなし)があります。

心の病を患った若旦那は、食事も取らず床に伏せてばかり。大旦那は普段から仲の良い番頭に頼み、若旦那の悩みを聞き出します。聞いてみると蜜柑が食べたいとのこと。番頭は蜜柑を買ってくると約束したものの、季節は真夏。番頭は必死の思いで蜜柑を探し出し、一つ見つけたものの、問屋では「この蜜柑、一つ千両」と言われ、そのことを大旦那に伝えると「息子の命が助かるなら…」と千両出して一つの蜜柑を受け取り、若旦那に差し出します。蜜柑を手にした若旦那は大事そうに食べるのですが、その傍らで番頭はこの親子の様子に呆れかえってしまいます。そして、蜜柑を食べている若旦那を見ながら「あの蜜柑の皮だって五両はするんだ。そして、一袋は百両だ」と番頭は思い始めます。若旦那は三袋残し「これを両親とお前に」と番頭に渡します。渡された番頭は「一袋百両…、いま手元には三百両。どんなに奉公したってこんなお金は手に入らない。旦那さまには申し訳ないが…」と蜜柑を手に店から姿を消してしまうという噺であります。

恐らく、この番頭の行動は番頭自身、真剣に考えた末の行動なのでしょう。しかし、その話を聞いている客、また演じている噺家はことの愚かさに気づいているのであります。

本来の価値を見失い、勝手に価値を付けてしまうが故の出来事は、バブル経済と言われた時代の地価、土地の値段にも表れています。ついこの前までは「この土地五千万円」だったのが、いつの間にか五百万円となっており、あの時に付いた価値は何だったのだろうということもありました。今でもこうしたことは繰り返し続いていており、本来そこにはない価値を付け加えてしまうことで、有り難がってみたり、誇らしげに思ったり、喜んでいる姿があります。それはモノや数字のことだけでなく、地位や名誉、肩書でも同じことが言えるのかもしれません。

「浄土和讃」の中に「無明の闇(あん)を破するゆえ 智慧光仏となづけたり」(真宗聖典479頁)と出てきます。

阿弥陀さまのからの光は、迷いや苦しみを破ってくださり、智慧を授けていただき、本当のことを分からせてもらうみ光となって私に届くのです。本来ないはずの価値に振り回されるのではなく、そこに色々な価値を付け加えるのでもなく、目の前にあるそのものをそのまま見る、真を見る目であれ、と智慧の光に照らされて、初めて気づかされることが分かるのです。

003悩みごとはないですか?

佐々木治美

先日境内の掃除をしていると、一人の女性が入って来られました。そして、「子育てで何か悩みごとはないですか?」とおっしゃいました。突然のことで呆然としている私に、「どんな悩みごとでも解決してくれる先生が来るんです」と続けます。私は、少し意地悪な気持ちで「どんな悩みごとでも解決してくれるなんて凄いですねぇ」と答えました。すると、「悩みが起こらない、起こってこない方法を教えてくれるんですよ」という返事が返ってきました。悩みが起こらない?そんなことはありえないでしょ?と思いながらも、返す言葉を失ったまま、その女性の後ろ姿を見送りました。

私にとって“悩み”という言葉でまず頭に浮かんでくるのは、20年程前のことです。その頃、私の母は更年期障害で苦しんでいました。あちらこちらの病院へ通いましたが、一向に症状は改善されません。最後に辿り着いたのは、少し遠くの医大病院でした。そこの医師からまず聞かれたのが「何か悩みごとはないですか?」という言葉だったそうです。そこで、母は「長女(私)が、結婚しないことです」と答えたと言うのです。

娘の目から見ても決して楽ではなかったであろう母の半生を考えて「もっと他に悩みはあるでしょう?!」と反論すると、「だって、他のことは悩んでもどうにもならないから」ときっぱり言い返されました。確かに、私が思う母の苦は、悩んだところでどうすることもできません。只々受け入れるしかないのです。

それでは、人は自分の力で解決できそうなことで悩むのでしょうか。私自身、今年の4月には長男と二男がそれぞれ高3と中3になります。いわゆる受験生です。私がいくらヤキモキして「勉強しなさい」と怒鳴ったところで、本人たちがやる気にならない限り成果は上がらないでしょう。その事実を受け入れられず悩むこともあるのです。

こんな身近な悩みから、昨年の東北を襲った未曾有の被害、その復興の遅れと、また、いっこうに脱原発へと動き出そうとしないこの国のあり様も、悩ましい限りと感じる私がいます。

なぜ、人は悩むのでしょうか。それは、私たちが無明の闇を生きているからでしょう。その闇を照らすのは、やはり「法(真実の教え)」しかないのです。人が生きていく上で、悩みがなくなることはありません。その度に仏法に依って、我が身を知らされていく、その繰り返しではないでしょうか。新年に当たり、ますます聞法の必要性を感じています。

002御遠忌に遇う

林政義

みなさん明けましておめでとうございます。私は桑名組明圓寺の門徒です。僧侶でない私が法話というおこがましい話はできませんが、私なりに宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要に出遇い、感じたことを話させていただきます。

昨年3月11日に東日本大震災が起こりました。8日後に控えた御遠忌はどうなることかと心配しておりましたところ、本山から連絡がございました。取りあえず第一期法要は取り止め被災者支援のつどいとして、四月第二期法要から始め、五月第三期法要とし、御正当報恩講を御遠忌法要として勤められるとのことでした。

いよいよ4月19日から御遠忌法要が厳修されました。私たちは、28日の御満座法要に役職参拝としてお参りさせていただきました。初めて坂東節の勤行に出遇わさせていただきました。身体を大きく横に振り、前後に振りながらの勤行でした。親鸞聖人が流罪で越後へ流された時、舟の中で波に揺られながら勤行されているお姿と聞きおよんでおります。なお、11月の御正当報恩講の御満座にもお参りするご縁をいただきました。50年に一度の尊いご法要に二度も遇わせていただいた宿縁を大切にしたいと思っています。

御遠忌に出遇い、日頃、信心の浅い私ですが、親鸞聖人のお念仏の教えをさらに聞き深めていきたいと思いました。ある住職から「真宗の寺はお参りするだけではない。聞くところである。即ち聞法の場である」と、お聞きしました。

この御遠忌に出遇えたご縁を大切に、なお一層、聴聞に精進し、お念仏の暮らしをしたいと思います。

001年頭所感

木嶋孝慈

初春を寿(ことほ)ぎ、新年のご挨拶を申し上げます。本年も、旧(きゅう)に倍(ばい)しましてのご指導をお願い申し上げます。

さて、昨年は私ども真宗門徒にとりまして、「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌」をお迎えするというたいへん重要な年でありました。みなさま方も、宗祖としての親鸞聖人にお遇いいただくことができましたでしょうか。

第一期御遠忌法要が勤まります数日前の3月11日、東日本で大震災が起こり、大津波によって未曾有の大災害が発生いたしました。今なお多くの方々が行方不明になっておられます。そして、多くの方々が不自由な避難所生活をされておられます。加えて、福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染も深刻化を増す中、「想定外」という言葉が脚光を浴びました。政治家や、政府関係者も次々に「想定外」という言葉を使い、様々な見直しを進めておられるようでございます。

一見いいように思いますが、「想定内」であれば、すべていいのでしょうか。

お釈迦さまは、今から二千五百年以上も前に「無常」という道理の一つに気づかれました。「諸行無常」であります。「この世の現実存在はすべて、姿も本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができない」ということであります。しかしながら、その本質に気づかないまま、我々人類は幸せになりたいと思い、浅はかなありとあらゆる知識でもって、未だに自然を破壊し、幸せを獲得しようとしているのではないでしょうか。

親鸞聖人は、天親菩薩が著された『浄土論』の「観仏本願力(かんぶつほんがんりき) 遇無空過者(ぐうむくかしゃ)」(真宗聖典137頁)をいただかれて、

本願力(りき)にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき

功徳の宝海(ほうかい)みちみちて 煩悩の濁水(じょくしい)へだてなし(真宗聖典490頁)

と詠われました。

「空過(くうか)」とは、「むなしく過ぎる」ということですが、「本願力という仏さまの智慧の働きに遇うことができれば、むなしく過ぎることはない」と言い切っておられるのであります。

我々は、仏さまの智慧の働きというものがどのように及んでくるのか、なかなか分からないことでありますが、素直に敬う、素朴に感謝するという気持ちを今一度、取り戻す必要があるのではないでしょうか。

弥陀をたのみて御たすけを決定(けつじょう)して、御たすけのありがたさよとよろこぶこころあれば、そのうれしさに念仏もうすばかりなり。すなわち仏恩報謝なり。(真宗聖典857頁)

037あとがき

テレホン法話集『心をひらく』第33週をお届けします。昨年(2011年)1年間の36人の法話を収めました。今改めて通読しますと、3月11日に発生した東日本大震災に触発されたお話が多いことに気づかされます。自身の実存を揺るがされて、教えを再確認しようと苦闘されたご苦労の跡が窺われます。人間が本当に救われるということはどういうことなのか、真宗の救いとは何なのか、誰もが問い直そうとされたのではないでしょうか。そして、私たちは今もその問いを抱えながら3・11以降を生きています。行動されている方、思索を深めておられる方、生き方はそれぞれですが、皆さまの歩みが言葉となって語られることを期待しています。私事に紛れて発行を大幅に遅らせてしまったことを深くお詫び申し上げます。

036未曾有のいのち

折戸芳章

本年を振り返ると、3月11日の東日本大震災を想い出される方がほとんどだと思います。震災後9ヶ月余りが過ぎて、今なお数千人の方が行方不明のままで「いのち」の確認が取れていません。

この度の大震災を未曾有の激甚災害と言いますが、地球誕生後の何億年の歴史からみれば、このような大地震が何度も繰り返されて現在の地球があるのだと思います。それに比べて、私たち人類の歴史は浅く、3月11日の大震災を今までに一度もなかった出来事と捉えておりますが、私たちが経験していないだけで、地球規模からすれば、大自然がもたらすおよそ千年に一度の繰り返しの出来事の一つなのでしょう。しかし、大震災で犠牲になられた一人一人の尊い命は、地球誕生の何億年前から今日に至るまで、誰一人として存在することのなかった、まさに「未曽有のいのち」なのです。

宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要厳修直前の出来事で、法要が中止と変更される仲、御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」を私に如実に知らせる出来事でした。今年11月の本山報恩講は御遠忌法要の一環として勤まり、法要は終了し、来年2月には御遠忌の総括がされますが、テーマは今後も私の課題としていかなければなりません。

池田勇諦先生が、今年度、三重真宗教学学会総会の挨拶の中で、「大震災を縁にして、御遠忌法要とは何かを問い直すべきであり、千年に一度の大震災だとすると、千年に一度の御遠忌のご縁であった」と述べられていました。50年に一度の御遠忌ですが、未曾有の御遠忌であったのだと思います。私たちは、日常生活の中の些細な一つ一つの出来事さえもが未曾有の出来事であるのに、毎日同じことの繰り返しをしていると錯覚に陥っています。
今一度、大震災と御遠忌を縁にして今年を振り返ってみることができるならば、未曾有のいのちを賜りながら、また新たな一年を迎えさせていただくのだと、この一年に感謝しながら今年を閉じることができる自分でありたいと思います。

035友人の死を通して

山崎信之

3年ほど前、私に自分自身と向き合う大きな出来事が起きました。当時私は、九州は大分県にあるお寺に法務員として勤めさせていただいておりました。自分にとっては大学を卒業したばかりの年であり、いろんなことが初めてという環境で、日々学ぶことの多い生活を送らせていただいておりました。法務員のいるほどのお寺なので、日々の法務は忙しく、葬儀も多いお寺でした。

そのような生活を送り始めて半年と少々、ようやくいろんなことに少しずつ慣れてきた頃、私にとってある大きな出来事が起こりました。大学時代、最も仲が良かった友人を交通事故で亡くしてしまったのです。当時の私は、何が起こったのかということが理解できないような、少しパニック状態に陥ってしまいました。葬儀、通夜も訳が分からないような状態で過ぎていきました。この事故で友人が亡くなる2ヶ月ほど前に、休暇をいただいて再会を交わし、「また今度」と次に会うのが当たり前のように別れたばかりだったのです。この時に初めて、法務での葬儀、通夜と自分が亡くなった方の関係者としてお参りするものとでは、全く違うものであるということを知りました。「白骨の御文」では「我やさき、人やさき」とありますが、どれだけ私たちが普段この言葉を我が身のことであるというように受け取ることができないかと痛感いたしました。それとともに命の尊さの本当の意味を知り、いかに自分自身が無知であるかということを知らされたように思います。

当時はこのようなことは考えることができませんでしたが、この友人によって、私はとても大切なことを教えていただきました。私たちは今日を当たり前のように生きておるように思います。ですが、これがいかに尊いことであるかということを多くのいのちから問われているのではないでしょうか。

034金儲けより大切なこと

山口晃生

仕事仲間から「お前はアホか」と言われたことがある。儲かる仕事を捨ててまで地域のために頑張っているのだから、ある意味アホかもしれない。

しかし、これには訳がある。もう30年以上も前になるが、PTA役員を引き受けた。そして、ドッジボールの選手を選ぶ事になった。ドッジボールなら誰にでもできるし、簡単なことだとお願いするのだが、仕事で行けない、都合が悪い等、5、6人に続けて断られた。「おかしいなぁ」と思いつつ、次に、「Aさん」に電話をすると、二つ返事でOKとの事。しかも、メンバーが足らなかったら連れ合いにも言っとくので、二人分名前を書いとけばと言われた時の嬉しかった事。それ以来、頼まれたら頼む側になってできるだけ引き受けようと決心する。

それからというもの、補導委員、消防団員を始め、地区自治会長の大役も歴任した。中でも一番たいへんなのが消防で、季節や天候に関係なく、火事となれば、仕事中だろうが風呂に入っていようが寝ていようが現場へ急行、鎮火するまで帰れない。また、消防と聞くと、消火活動だけかと思われるが、東北での大津波や県南部を襲った豪雨による水害で消防団員の活動が報道されていたように、台風や大雨で警報が出れば、家の事は二の次にして地区内を巡回し倒木の除去や河川の増水点検も行う。それらすべて本業より優先で、しかも奉仕だからたいへんである。こんなたいへんな役を引き受け頑張っている私を、母はいつも喜んで見守っていてくれた。だが、その母が急死。それがご縁となり、同朋会に参加するようになった。そして、仏法を聞いていくうちにそれまでの「役だからしてやるんだ」から、させていただける力を授かっていた事を知り、その喜びが感謝の気持ちへと変わり、2年任期の処、13年間も勤め上げた。その結果、人との出会いや絆、地域との繋がりを深め、「友」という大きな財産を得ることができた。

以来32年、途切れる事なく地元の役や門徒会等、現役で仕事を持ちながら続けられたのも、あの時「いいよ」と引き受けてくれたAさんのお陰。Aさんは私にとって善知識なのである。

033大掃除

森英雄

年末になると大掃除が始まります。普段、手を入れていないところを丁寧に磨き上げると気づかされることがたくさんあります。

例えばお風呂掃除。普段でも排水溝や床は磨くことがありますが、天井部分や換気扇を外すことはありません。洗面台の裏にも水垢がたくさんたまっていて真っ黒になっています。水は流れる性質がありますが、でこぼことしたところでは、流れが澱みますから結構カビが生えています。目に見えるところは洗って落とせますが、見えないところには目も手も届きません。

まさにそこに光が届くのが仏さまの十二種類の光でしょう。

無量で無辺な光とあります。いつの時代も誰の所へも届かないところはないという意味でしょうか。お掃除をする心まで教えてくださいます。自我がするお掃除は「してやった」がありますから、他人に評価をおねだりする心です。自分だけがすることには抵抗があります。そんな心でする仕事ですから、どうしても雑になりますし、手を抜くことばかりが頭をよぎります。評価を期待しながら手を抜く心。まさに地獄を作り出す心です。

そういう自分に呆れかえる、その一点が仏さまの光に触れる原点です。自分が自分に呆れるのですから、仕事をすること自体が満足となります。南無の門とは、自分に呆れるところに始まる世界が無限に展開するということでしょうか。まさに「無碍(むげ[どんな障害物も越えて働く智慧の光])」と言わずにおれないものに遇うことでしょう。

自分に賜った弥陀の智慧の光、これを「信心」と名づけます。

せめて1年に1回だけは、その総点検をすることが大事です。それを信心の溝さらえとして、勤めてきたのが報恩講ではないでしょうか。

未だ智慧の光に出会っていない人は、日頃の心がどこから出ているのかを深く問い詰め、自分に呆れ、びっくりすることが必要でしょう。そして、既に光に召された人は、分かった立場に留まって、感動を失っていないかを総ざらいする大掃除が必要なのではないでしょうか。

亡くなって750年の時を超えてハタラク、親鸞聖人の慈悲と智慧の心に出会わなければ、あいつが、こいつがと言っている間に火葬場に行くことになってしまい。一生が空しく過ぎてしまいます。