木嶋孝慈
初春を寿(ことほ)ぎ、新年のご挨拶を申し上げます。本年も、旧(きゅう)に倍(ばい)しましてのご指導をお願い申し上げます。
さて、昨年は私ども真宗門徒にとりまして、「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌」をお迎えするというたいへん重要な年でありました。みなさま方も、宗祖としての親鸞聖人にお遇いいただくことができましたでしょうか。
第一期御遠忌法要が勤まります数日前の3月11日、東日本で大震災が起こり、大津波によって未曾有の大災害が発生いたしました。今なお多くの方々が行方不明になっておられます。そして、多くの方々が不自由な避難所生活をされておられます。加えて、福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染も深刻化を増す中、「想定外」という言葉が脚光を浴びました。政治家や、政府関係者も次々に「想定外」という言葉を使い、様々な見直しを進めておられるようでございます。
一見いいように思いますが、「想定内」であれば、すべていいのでしょうか。
お釈迦さまは、今から二千五百年以上も前に「無常」という道理の一つに気づかれました。「諸行無常」であります。「この世の現実存在はすべて、姿も本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができない」ということであります。しかしながら、その本質に気づかないまま、我々人類は幸せになりたいと思い、浅はかなありとあらゆる知識でもって、未だに自然を破壊し、幸せを獲得しようとしているのではないでしょうか。
親鸞聖人は、天親菩薩が著された『浄土論』の「観仏本願力(かんぶつほんがんりき) 遇無空過者(ぐうむくかしゃ)」(真宗聖典137頁)をいただかれて、
本願力(りき)にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海(ほうかい)みちみちて 煩悩の濁水(じょくしい)へだてなし(真宗聖典490頁)
と詠われました。
「空過(くうか)」とは、「むなしく過ぎる」ということですが、「本願力という仏さまの智慧の働きに遇うことができれば、むなしく過ぎることはない」と言い切っておられるのであります。
我々は、仏さまの智慧の働きというものがどのように及んでくるのか、なかなか分からないことでありますが、素直に敬う、素朴に感謝するという気持ちを今一度、取り戻す必要があるのではないでしょうか。
弥陀をたのみて御たすけを決定(けつじょう)して、御たすけのありがたさよとよろこぶこころあれば、そのうれしさに念仏もうすばかりなり。すなわち仏恩報謝なり。(真宗聖典857頁)