022お盆 

鈴木勘吾

お盆は、『盂蘭盆(うらぼん)経』に由来するもので、目蓮尊者(もくれんそんじゃ)と母親の話が説かれています。

釈尊の弟子の目蓮尊者が、亡くなって餓鬼道に堕ち苦しむ母親のことを知って、自らの神通力でもどうにも救えないことから、釈尊に教えを請うたところ、安居(あんご)(雨期の間の聞法会)が終わった時、衆僧を招いて供養(衣食を布施)することを教えられます。目蓮尊者はその通りにして、その功徳により母親が救われたと説かれています。

この説法が起源となって、仏・法・僧の三宝に供養する法会がもたれるようになり、後に特に先祖を供養する行事と変化してきたのです。

ある方のお話です。

「戦時中に芋の切れ端を見つけた時に、直ぐに拾って袂(たもと)に隠して、走って家に帰って子どもに食べさしたよ」

親は子を育てるために、時には鬼のようにわが子を叱り、時には他人を押しのけてでも「我が子だけは」という思いで、周りを顧みずに突き進むものでしょう。この偏った愛情とも、利己主義とも取れる様(さま)が、餓鬼道に堕ちていく原因なのでしょう。そして、このように育てられた子どもが、やがて親に餓鬼道の心を見出し、自らを省みることもなく親を否定するのです。

目蓮尊者は仏縁に遇うことで、母親が餓鬼道に堕ちているその原因が自分にあることに気がつかれたのです。そして、餓鬼の姿をした母親に、自分自身が今まで母親に餓鬼の姿を見ていたことを気がつかされたのでしょう。

お盆の仏事の意味は、父母に出会い、「先祖」のご苦労をいただき、阿弥陀さまに出遇う仏事です。そして自分の姿に気づかせていただく喜びです。

お寺で法座がある場合は、ぜひお参りください。それが、最も大切な本来のお盆の意義でしょう。