花山孝介
『阿弥陀経(あみだきょう)』の一節に「青い色には青い光、黄なる色には黄なる光、赤き色には赤き光、白き色には白き光あり」という言葉があります。これは、阿弥陀さまの浄土に咲く蓮華について述べられた部分です。言葉の意味はそれぞれの色に光があるということですが、このことが一体、私たちに何を教えようとしているのでしょうか。
私たちの日々の生活は、何時も何かと比べて生きています。例えば、今の私たちはやたらと変身願望が多いように思われます。流行に敏感な若い人たちの様子を見ていると、カリスマ性をもった人にあこがれ、その人のように近づけば幸せになれると思っている人が多いように思います。流行に乗っていることが、時代を先取りして生きている証みたいになっています。しかし、本当にそうでしょうか。流行に執着し他人と比べてだけ生きていれば、やがて主体性を失い、そのうち自分さえも捨てて生きることになるのではないでしょうか。
浄土に咲く蓮華にそれぞれ光があるということは、「私は私のままで、生き生きと生きたい」という私たちの願いを表していると思います。何かと比較して自分を立てるのではなく、「その人にはその人でなければならない大事な人生がある。それを生きよ」と教えているのです。
青は青のままに光る。青でなければならない光がある。そのような人生の歩むべき方向を教えているのが浄土の教えです。