024誕生死

藤岡真

少し前のことですが、妊娠途中で流産したのでお経を上げて欲しいとの依頼がありました。真宗では水子供養はしないのだが、と思いつつもお引き受けいたしました。そういえば、私には出産後間もなく亡くなった兄がいたそうで、子どもの頃その存在をはっきりと知らされていなかったが、両親がその法事を勤めるかどうかを相談していたことがありました。また、その兄が無事に成長していれば、私は生まれてこなかっただろうを言われた時には、子ども心にショックを受けたものでした。

ともあれ何かの参考になればと「誕生死」という本を読んでみました。この本は、出産前後に子どもを亡くした父母が実名を明かしてその気持ちを綴ったもので、そのあとがきには次のように書かれています。

英語では、お腹の中で亡くなったケースを”still born”と言います。日本語では単に「死産の」と訳されますが”still born”には「それでもなお生まれてきた」という深い意味があり、「死産の」という日本語では、あまりにもそぐわないと私たちは感じてきました。お腹の中で亡くなってしまった場合は、戸籍にも残らずその存在が無かったことになってしまいます。でも、私たちの子どもは、どんな短い命であろうと確かにこの世に生まれたのです。たとえ子宮という小さな世界から、生きて出てくることがなかったとしても、あるいは生まれてすぐに亡くなったとしても、私たちにとっては確かに我が子は誕生したのです。このような私たちの思いを一言で伝えられる言葉が「誕生死」なのです。

この本を読んで意外に思ったことは赤ちゃんを亡くした母親と友人との気持ちのズレが大きいことです。友人が慰めの気持ちを込めて「がんばってまだ若いんだから」とか「今回のことは忘れて、また次ぎ産めばいいじゃない」という言葉は何の力にもならない。かえって「がんばらなくてもいい、悲しい時泣きたい時には泣けばいい」と言った医師らの言葉に安らぎを感じるとのこと。母親としては、赤ちゃんのことを忘れないで欲しい。何らかの形で記憶しておいて欲しいとの思いが強いようです。たとえ生きていた時間が短かったとしても、たとえお腹の中だけの命であっても、一つの命としては何ら変わらないということでしょう。

さて、約束の日がきて読経の後には、この本の紹介をするだけにし、安易な慰めの言葉でかえって相手を傷つけることにないように努めました。杓子定規に水子供養はしないのだと単に申し出を断るのではなく、何故そのような申し出をされるのかを考え直してみることも大切であると教えられたことです。

023釈尊に学ぶ

石見孝道

お釈迦様は、今から2500年前に真理(仏法)に目覚めて仏陀(仏様)となられました。

元々「仏陀」という言葉には「真理に目覚めた人、そして真理に目覚めさせる教えを説く人」という意味があります。ですから、お釈迦様お一人が「さとった」ということだけで終わってしまうのならば、お釈迦様は「仏陀」とは言えません。お釈迦様の教えによって、他の人が「さとり」を得ることがあってこそ「仏陀」が誕生したと言えるでしょう。

お釈迦様は、実に8万4千の法門を説かれたと伝えられています。また、その説法は「対機説法」であったと言われます。「機」というのは「人」のことです。その人に対して法を説く、つまり、同じ一つのことを伝えるのにある人にはこう言うが、別に人には違う言い方をする。その人に対して、最も通じる教え方をされたということです。

人間は顔も違えば能力も違う、感じ方・考え方も違い、誰一人として同じ人間はいません。そのことをよくよく承知の上で、お釈迦様はお一人お一人に向き合っていかれたのです。それは「他の人もさとりを得て共に救われて欲しい」という大きな願いがあったからこそできたのでしょう。願いが本物ならば、どんな苦労も苦労にはならず、逆にその苦労がいよいよ自分を磨く尊いご縁となるでしょう。

さて、私たちはいったい何を願いとして生きているのでしょうか。案外、自分だけのちっぽけな願いを固く握っているのかもしれません。しかし、このことのためならと、自分を捨てることができるほどのものに出会うのならば、その人の人生は本当に生きたものとなるのでしょう。「生き甲斐」と「死に甲斐」は表裏一体です。そういうものに出会うことがなければ、人生はただ空しく過ぎただけで終わってしまいます。実に、お釈迦様は「完全燃焼できるほどの命を生きて欲しい」とこそ願っておられたのではないでしょうか。

またそれは、時代を超えて現代を生きる私たちにも通じる願いなのでしょう。人間は苦悩する存在です。苦悩するからこそ人間と言います。苦悩が無くなるのが救いではありません、苦悩を縁として我が身を知り、いよいよ大いなる願いに立ち返るのです。

終わることのない歩みをいただく、それが人間に生まれた意義ではないでしょうか。

022子ども奉仕団に関わって思う「こども」

藤岡恵子

昨年から本山で行われる『子ども奉仕団』にスタッフとして参加しています。今年も参加するわけですが、その関わりの中で少し思うことをお話させていただきます。

暑い夏休みの最中に全国から参加を募って行われる恒例の奉仕団です。「今の子ども像」に興味がありスタッフとして関わっています。スタッフの中では平均年齢を上げているわけですが、若者の考え方など、自分が若かった頃との比較ができたりして、楽しみながら日々を過しています。

さて、昔の子どもとの違いというと「選択肢の多少の違い」ではないでしょうか?昔は情報というものは自分で見つけないと自分のものにならなかったのに比べ、今は、TVにPCの普及に伴い向こうから情報がやってくる時代です。はたして、このような現象に今の子どもたちは対応できているのでしょうか?疑問ですね。

向こうからやってくる情報に疑問を抱くことのできる子どもは考える力が身につくでしょう。そうでない子どもは善いことも悪いこともそのまま受け入れてしまうことになるでしょう。

子どもたちと二泊三泊一緒に生活していると、個々の家庭でのしつけや学校で先生から習ったことなどが子どもを通して見えてくることもあります。例えば、トイレのスリッパの向きとか、食事中のマナーとかに自然に現われるのです。しかし、子ども同士の会話や生活しているうちに子どもたちの目が輝いてくる何かが生まれるのを実感できるのです。

子どもに限らず、何処に行っても、できが善いとか悪いとか比較されながら生きていくわけです。

子どもと接する中で何を注意しないといけないかというと「劣等感をもたせないこと」だと考えます。「自分は馬鹿だから」と思うようになると自分から積極的に勉強や友だち作りをするということが、自然に無くなるということになりましょう。

大人の言動や行動はもちろんですが、子どもに対する教育がいかに大切かということになります。大人が「善し」と思ってしまっていることが、本当は善くないことでも子どもは大人がしているから善いことで、しても善いのだと判断してしまいます。

このような子どもにとって暮らしにくい世の中ではありますが、この本山で行われる子ども奉仕団において「ほとけの子としていきる」ということが、少しでも子どもたち一人一人の心の中で芽生えてくれることを願いながら、今年の夏も完全燃焼したいと意気込んでいます。

021人生とは

加藤淳

みなさんにとって「人生とは」と尋ねられたら、どう表現されますか?こういうことを日常の生活の中で考える機会は少ないかもしれません。

ワールドカップサッカーの日本代表チームの中心的な存在であった中田英寿選手は、ブラジル戦を最後に自身のホームページを通して『人生とは旅であり、旅とは人生である』というタイトルで引退声明文を出されました。サッカーという旅に出て、喜び、悲しみ、そして試練を与えてくれて、そのことが素晴らしい経験となり糧となり、自分自身を成長させてくれたことが書かれていました。この文章が素晴らしいということで、中学校の道徳の授業に使いたいという依頼が多いようです。

また、現在映画館で上映しているタレントである島田洋七さんの脚本「佐賀のがばいばあちゃん」の本の中に「人生は死ぬまでの暇つぶし、暇つぶしをしながら金もらえるのは仕事だけ」というおばあさんの言葉があり「人生とは」それぞれの立場でいろんな表現をすることができると思いました。

以前、話題になったファンド会社の社長は「お金を儲けることは悪いことですか。お金を儲けたから嫌われた」と記者会見をしました。もちろんお金はないよりもある方が誰もが嬉しいでしょう。私たちは幸せになりたい、豊かになりたいという思いで日常生活を送っています。そして、欲しいものを手に入れたいと、止まることのない欲求を満足するために努力しています。

私の人生は、良いか悪いか、損か得か、好きか嫌いか、目の前にある要求をこなすことしか考えていないようです。

仏教では「人生は苦である」と受けとめます。同じ菰野町の大先輩である訓覇信雄さんは「生きている人間が死ぬのであって、動いている人間は壊れるだけや」という言葉を残されました。人生を楽しむことだけでなく、この現実を受けとめていくことが大切なことではないでしょうか。

020自分に遇う

藤井恵麿

半年前のことです。法友が主催している法座に参加させていただいた時のことです。(ご講師の)法話の休憩時間の時、参加者の一人が向こう方で隣の人と話しており、その内容が聞こえてきました。その方は「近頃よく家内から、あなたは人前では立派なことを言っているが、家では本当にいい加減ではないか」と言われます。しかし、その言葉には「全くその通りです」と頭が下がります。何故ならば、それが自分自身の本当の姿であって、それを家内から教えてもらっているからです。だから「はい、と素直に受け取らせていただくだけです」と、明るい表情で語っておられました。

その言葉を聞き、私はたいへん驚きました。というのは、その法座に参加させていただく数時間前まで、ある別の研修会に出席させていただいておりましたが、そこでの発表で私は失敗してしまい、そのことがずっと頭から離れないでいたからです。「こんな筈ではなかった。もっと上手く発表できたのに」頭の中は、後悔の念が堂々巡りをしている状況でありました。

そのような中で、先ほどの言葉は「失敗した事実を、本当に自分の事実として受け止めることができないから苦しんでいるのではないか」「事実と理想とがいつの間にかひっくり返っているぞ!事実に帰れ」と私に響いてきて身も心も軽くなりました。

それで次の休憩の時に、その方に先ほど私が気づかされたことを話して、お礼を述べさせていただきました。すると、その方は「まず、自分に出遇わなければ、本当に人とも出遇うことができない」と、ご自分の経験を踏まえて私に教えてくださいました。

改めて「自分に遇うことの大切さ」を学ばさせていただきました。

019測り知れない深さ

岡田豊

私は3年前に母を亡くしました。1年3ヶ月ほど、入院したり少し良くなって退院したりしてましたが、咽に食べ物を詰まらせてしまい最後の3ヶ月は、意識不明で呼吸も自分でできなくなってしまいました。お医者さんの話では、回復するかもしれないということでしたが、結局そのまま死亡しました。

毎日のように、病院に見舞いに行きましたが、特に反応するわけでもなく、人工呼吸器や、様々な医療機器の音がするだけで、虚しく感じました。2月、3月するうちに、そんな母の姿を見て、何の反応もしないのに、一体どこに生きている意味があるのだろうかと、ふと思いました。

何かの役に立つ、誰かの役に立つ。そのことはとても大事ですし、素晴らしいことですが、何の役にも立たなくなった人間。それはもはや、生きる意味を失ったのか。もし若くて使えるとしたら、臓器を提供できるという意味しかもたないのか。こんなことが頭の中でぐるぐる回り始めました。

この役に立つ立たないで、人間を見る観点は商品や道具・資源などを見るのと同じ見方ではないでしょうか。利用価値があるか、交換価値があるかどうか、高いか低いか。したがって、そういう価値を失った途端、同時に存在理由をも失い、時としてゴミになってしまいます。

けれども、当然のことながら、役に立つ立たないで私たちは生まれてきたわけではありません。人間をあたかも商品として、道具として見ることこそ、しかも、自分の肉親や自分自身までもそのように見ることこそ、私たちの傲慢さの現われでしょう。

今から考えてみると、そんな浅い眼差しでは、とうてい測り知れない深さを「いのち」はもっているのだと母は声なき声で遺言したのだと思います。

018自然をいただく

折戸芳章

私どもの真宗大谷派は、6月30日が会計年度末で、事務的には師走を迎えつつお正月の準備をする、多忙な時期となります。微力ながら教区や桑名別院の役職をさせていただいております関係上、年度変わりの会議が続く時期で、毎年のことで事務的には自然な時間の流れの時期です。

今年の4月は1日と13日に本山にお参りするご縁をいただき、1日は見ごろと期待した桜があまり観られず、諦めていた13日には各所で観ることができ、京都の春を実感してきました。やはり、異常気象が原因だったかもしれません。

いや、桜はただ大自然がもたらす気象状況にただ正直に従って開花しただけなのです。それを自分の期待していた時期と異なった桜の開花を異常気象の責任にしてしまっているこの私の思いこそが、異常で自然に逆らった思いなのです。

先日「人と自然が調和したまちづくり」と書かれたパンフレットを目にしました。なるほどと何気なく読んでしまっていましたが、よくよく考えてみると「自然に人が調和したまちづくり」なのではないかと…人が自然の中で生きているのでなく、自然の恩恵を頂戴して、自然の中で人が生かされているのです。そう領かされたならば、今年の京都の桜も、ただ自然そのままの桜だったのだと思わずにはおれませんでした。

017真実は

川口昭

イラク戦争が始まって以来3年過ぎましたが、始めた方も抵抗する側もそれが正しいと思うからこそ戦っているのです。抵抗する側の自爆による戦い、私たちには理解しがたい行為ですが、やはりそれも正しい戦い方だと信じて行っているのではないでしょうか。

かつて日本でも、飛行機に爆弾を積んで片道燃料のみで、敵艦に突っ込んでいった歴史がありました。命令とはいえ、若き人が日本を救う道だと信じて行った行為でありました。また、ヨーロッパでは、地球を中心にすべての星は動いているという天動説を誰も疑うことがなかったが、1500年頃地動説を唱える人が出て、地球は太陽の周りを回っているということが分かり、それが正しいということになりました。

このような例を挙げればきりがありません。時代が変われば今まで正しいと思っていたものが、実は誤りであったと変わってしまうのです。しかしながら、そうと分かっていても自分の正しさだけは変わらないと思っているのです。それが人との争いとなり、戦争へとつながっていくのでしょう。

親鸞聖人は『歎異抄』の最後のところで、

「善悪のふたつ総じてもって存知(ぞんじ)せざるなり。そのゆえは、如来の御(おん)こころによしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)、火宅無常(かたくむじょう)の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきゆえに、ただ念仏のみぞまことにておわします」(真宗聖典640頁)

と述べられております。
つまり私たちには、善とか悪とかいう区別をつけることができない。また、私たちが真実の存在になることができないというのであります。しかし、それはまことであるお念仏によってしか知らされないのです。「念仏のみぞまこと」と教えられない限り「自分だけが正しい」という考えで生きている凡夫の姿が見えないのでありましょう。

016仏智のまなこはいずこに

三谷澄子

ある日、ラジオのトーク番組で噺家の方が「目」について話されていました。人の目には動物たちと異なり「黒目と白目」のバランスが取れているので、互いにコミュニケーション、言い換えれば意志を伝え合うための一番大事な部分をもらっている。したがって傷つけ合う前に踏み止まって、たとい瞬時であっても避けて生き合えることも可能なのだと。それなのに生き物の命をもらって生きていることもすっかり忘れ、争いや戦争を一番したがる恐ろしい所があって、残念だと言われてました。目は心の窓とたとえられながら「目の敵」「目くじらをたてる」「目くばせ」という言葉が次々と浮かんできます。

ふと我が家の老犬をのぞいてみました。「白目黒目」は、わかりにくくても穏やかな目をして、こちらを眺めてくれました。小鳥はどうかな?小首を傾けつぶらな目をパッチリと私に向けました。生き物と私たちの関わりはこれからも続くのですが、朝日歌壇に応募されていた芳月さんという方が歌に託されています。「乳牛は 搾乳の間を 目を細め 煉瓦の形の 岩塩なめる」同じく朝日歌壇に応募された有馬さんは詠まれています。「音のない 世界に暮らす 隣人に より添う犬の 深きまなざし」何かしらこみ上げてくる思いがしてなりません。

さて教えを聞いても抜け殻になって目はうつろな私でありますが、智慧のまなこを不穏な時代へと向けてはならないと思います。一人一人の命が大切と言われながら、国と国の争いの犠牲者が数え切れないことからも、今日ある命の尊さを思います。

見えないところから見えてくるものの力を金子みすずさんの『星とたんぽぽ』からも教えられたような気がします。

青いお空のそこふかく 海の小石のそのように 夜がくるまで沈んでる 昼のお星は目にみえぬ 見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ

目先に見えるものを追う中で人の力の及ばぬところの大いなるもの、それは「恵む仏の智慧なり」と受けるところより始まるのでしょうか。

015千の風に想う

池井隆秀

私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています…

これは、新井満氏訳の英語詩『千の風になって』の冒頭の一節です。数年前ラジオの深夜放送から流れてきたこの詩の響きにドキッとしました。早速書店でその本を買い求め、CDも手に入れました。「大切な人を亡くした時に悲しみを癒(いや)してくれるのはこの詩かもしれない」と書評があります。新井氏の友人の奥さんが若くしてガンで亡くなられた。その追悼文集で氏はこの詩に出会われます。最愛の人を亡くして悲しみのどん底にいる時、亡き人からのメッセージがこの詩であるとするならば、これほど残された者に命を吹きかけてくれるものはないのではと思いました。改めて亡き人との出会いが始まっていることを告げてくれているようです。

秋には光になって 冬はダイヤのように きらめく雪になる 朝は鳥になって あなたを目覚めさせる 夜は星になって あなたを見守る 私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 死んでなんかいません 千の風になって 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています…と続きます。

さて、私たちも送る側から、やがて送られる側に回らなければなりません。そんな時、枕元に『千の風になって』のようなメッセージを置いておいたらいかがでしょうか。しかし、ふと私の心をよぎります。はたして、私のお墓の前で泣いてくれる人がいるだろうかと。私たちの日常生活が問われています。前川五郎氏の言葉を紹介します。

うらが死んだ言うて 誰が泣くものか 山の鳥も泣きはせぬ うらが死んだら みなよろこぶだろう 息の出るうち みな泣かせたで すみません すみません ありがとうございました なむあみだぶつ

メッセージをやめて高額の預金通帳にしますか。