川瀬智
故郷を離れ50半ばで一人暮らしの友人が『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』という映画を観たそうです。
その映画は、母との半生を綴った実話で、本において200万部を超える大ベストセラー、二度もテレビでドラマ化されました。「昭和38年、小倉に主人公の〈ボク〉は生まれ、3歳頃両親は別居、貧しくとも、母〈オカン〉の深い愛によって、育ち、15歳の時、美術学校へ行くため家を出た。さらに東京の美術大学へ進み、オカンのことを気遣いながらも、自堕落な生活を続け、やっとイラストレーター等の仕事ができるようになった頃、母のガンが発覚した。手術は成功、だが完治はしていない。そんな母を故郷に一人残しているのが心配で、オカンを東京に呼ぶ。そして東京に何の憧れもないオカンは東京タワーの麓で、東京タワーに上ることもなく息を引き取ってゆく、というあらすじです。
さて、友人は原作を読んだり、幾度も違う役者が演じるドラマを観て、故郷を思い「自分が両親に何をしてあげたか、一人暮らしの母に何ができるかを考えさせられ憂鬱になった」と語りました。
以前、寺に住する私が「住職として生きることに憂鬱を感じる」と先輩住職に話し、「憂鬱になるということだけが、人間がそのことに真剣に関わろうとしている証だ、責任感が憂鬱にさせる」その時「憂鬱を大切にしろ」と言ってくださった言葉を思い出しました。
『観経』では浄土に生まれたいと願う者は、先ず「父母を大切にしなさい」と教えられます。「せねばならぬと知りつつ、一番身近な親孝行ができない自分に憂鬱になる」そんな「いずれの行もおよびがたき身」の私を案じていてくださる阿弥陀仏の御心に「憂鬱」を通して出遇わせていただくのです。