025いつも今 

藤井恵麿

9月に入りましたが、日中は、まだまだ暑い日が続いております。振り返ってみると、今年も早くから全国各地で猛暑が続き、元気なのは蝉の声だけではないのかと思いました。私自身、暑いのは苦手で、人と会う挨拶の中で、何度も「本当に毎日暑いですね、昨年よりも今年の夏のほうが暑いのではないですか?」などと言い、それに続けて「早く涼しくならないか」とも言っておりました。

そのような中で8月末のある日、境内にたくさんの落ち葉が落ちていたので、久しぶりに掃除をしました。するとびっくりするほど大きくなった雑草も所々に生えておりました。それを見て「この猛暑の中でよくここまで大きくなったものだなぁ」と一瞬抜くのを躊躇したのですが、結局はすべての雑草を引き抜きました。

掃除を終え、綺麗になった境内に満足をしている時です。あれほどうるさかった蝉の声がいつの間にか遠くに聞こえるようになり、それに絡むかのようにバッタの鳴き声が近くで聞こえました。そして夜にはコオロギの鳴き声も響いてきます。なんだか急に静寂な秋の気配を感じ、寂しさのようなものが感じられました。

しばらくその感慨に浸っている時にハッとしました。以前はあれほど早く涼しくならないかと言っていたのに、いざ秋の気配が感ぜられると、寂しいと感じ、そこに落ち着くことのできない私は何処に立って生活をしているのか?この件に限らず、総てにわたり、いつも何かしら不満を抱え、一度も今という事実に立ったことがないのではないか。

「ああ無限にして真にあらず、寿夭(じゅよう)にして保ちがたし。呼吸の頃(あいだ)に、すなわちこれ来生(らいしょう)なり。一たび人身(にんじん)を失いつれば、万劫(まんごう)にも復せず。この時悟らずば、仏もし衆生をいかがしたまわん。願わくは深く無常を念じて、いたずらに後悔を胎(のこ)すことなかれと」(真宗聖典183~184頁)のお言葉が静かに響いてきます。