高野昭麿
お盆とは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と言い、逆さに吊るされている、本来転倒しているのが、我々人間なのだという意味です。この「盂蘭盆会」は、目連尊者(もくれんそんじゃ)の母親が餓鬼道に堕ちているのを救うため、釈尊に教えられて法座をたてたことに由来しています。それは、目連自身が仏法を聞く縁に遇って、亡き母を餓鬼道に墜としていた、我が餓鬼の根性に気づかされる尊い仏縁でありました。
ある方は、母親をとても軽蔑して育ったと言います。それは、小さい頃母親は金儲けにかまけて、育児は他人に任せっきり、軍人だった父が戦死しても、軍人恩給が入るので左うちわ。しかし、下士官の軍人恩給が戦後一時停止、預金は封鎖となり、急にお手上げの状態となりました。
当時6歳のその人に「お前だけが頼りだ」とすがりつく始末。今までの生活が閉ざされる中、自分の実家からも見放され、戦死した連れ合いの実家に身を寄せた母の姿は、子どもながらに凄く惨めに映ったようです。その惨めなまま昭和22年、母も亡くなりました。「死んでもあまり悲しくなかった。かえって縛られなくて済むくらいにしか感じなかった」と言われます。父親が立派で、母親が人間失格と思いながら五十年が過ぎ、あるところで仏法の縁に遇われました。
そして、惨めと映った母の姿は、自分たち子どもを何とかして食べさせてやりたいと、必死で生きる母の姿であったことを初めて知らされたそうです。初めて死んだ母に五十年ぶりに出会った気がしたそうです。「済まなかった、申し訳なかった」と今でも泣いて訴えられます。その時初めて母の姿ではなく、その母の心に出会ったと言われるのです。
外見ばかりが目に映り、格好でしか判断しなかった我が身の愚かさに、本当に頭が下がったと言われます。母を問題視し、嫌っていた自分が、一番問題であったと気づかれたようです。このような仏様からのメッセージに出会うことで、目連尊者も母親に出会い直されたのではないでしょうか。
真宗門徒として、自分自身に出会ったお心を大事にされましたら「お盆」も亡き人との出会いの場になりますし、家族の今を大事にする心に通ずるのではと思います。そういう意味で念仏申す「お盆」になればと思います。