032報恩講のこころ

森英雄

家を造って便所を作らないと人は住めません。人生における便所は何か。要求、怒り、愚痴、ねたみ、恨み、劣等感、敵視など様々な感情も含めた複雑な心であろうかと思います。この便所から臭いがするようでは、家に居ても落ち着きません。臭いの元を絶たなければ、人としてお付き合いもできません。その為に便所には浄化槽というものがあります。

私たち人間にはお念仏の道が仏さまから用意されています。この恨みつらみの宿業(しゅくごう)を嫌っていては、自分で自分が好きになれませんし、相手を警戒しながら付き合うことにもなり、安心して生きてはいけません。この「ただ念仏一つで助かる」という尊いみ教えも自分の姿を思い知らされるということがなければ絵に描いた餅にしかなり得ません。

では、どうするのか。恨みつらみのその感情が起こってきた時、この時がチャンスだとおっしゃる訳です。普段何もない時、私たちは感情が平穏ですから、他人が怒りにまかせてものを言っているのを聞いた時、「そんなに怒らなくてもいいのに」と相手を非難します。そのように、上から解ったような顔をするように仏さまが私たちの心に入ってくださって、どんなに傲慢かを教えてくださっているのです。このお心に気づかされた時、私たちは生まれて初めて自分の本当の姿に驚きをもって出会うこととなります。

この時初めて、仏さまが私の業の中に入って、長い間苦労されていたこと「五劫思惟(ごこうしゆい)の本願」が身にしみて感じられてまいります。

そうなって初めて自分の業を拝める身にさせていただけるのです。

自分の業の身を誰でも拝めるようにさせてくださる用(はた)らき仏さまといい、そのお仕事を身に感じて、その尊さを忘れないようにと報恩講が、毎年勤められています。