031報恩講

服部了惠

「報恩講」というのは、私たちの、浄土真宗をお開きくださった、親鸞聖人のご命日の法要のことです。親鸞聖人のみ教えをいただく、真宗門徒にとって、報恩感謝の心を表す、大切な法要であります。

『歎異抄』に「一生のあいだもうすところの念仏は、みなことごとく、如来大悲(にょらいだいひ)の恩を報じ徳を謝すとおもうべきなり」(真宗聖典635頁)とあります。「報恩の心」とは、物や知識によって得られる「所得の豊かさ」ではなく、この私の「存在の豊かさ」に、気づいていくことではないでしょうか。

外国のある詩人が、こんなことを書いています。「もし、あなたが詩人であるならば、この一枚の紙の中に、雲が浮かんでいることを、はっきりと見るでしょう。雲なしには、水がありません。水なしには、樹が育ちません。そして、樹々なしには、紙ができません。ですから、この紙の中に雲があります。この一ページの存在は、雲の存在に依存しています。紙と雲は、きわめて近いのです…この小さな「一枚の紙」の存在が、宇宙全体の存在を表しています」(ティク・ナット・ハン『仏の教えビーイング・ピース』)

この文章にある「一枚の紙」とは、あなたであり、私を指しているのです。私が生きているということは、私以外の、一切のあらゆるものと繋がって、私として生きているのであります。

毎日毎日、目の前のさまざまなことに、振り回され、流されている私たちですが、それを一番根っこのところで支え、私が私として、生きることを成り立たせている、大きないのちのはたらきがあるのです。この大いなる如来の大悲の中に、私が生かされていることに目覚めたとき、初めて、報恩感謝の生活が開けてくるのではないでしょうか。