030松枯れ

渡邉啓義

昨年の秋、本堂の前にある、樹齢が200年ほどの松の木が枯れました。今又、庫裏の前にある同じくらいの樹齢の松の木が、枯死寸前の状態で、現在樹医さんに治療をしてもらっている最中であります。本堂の前に立っていた松が、松喰い虫にやられて枯れてしまった、惜しいことをしたでは、済まされない感じがします。

1年毎に庭師さんに来てもらって、庭木の手入れを繰り返してきたそのことで、奇麗になった、格好いい庭木に造ってもらったと喜んでいた自分が厳しく問われたことでした。枯れて命終わったその松の木は、毎年必ず芽を出し、やっと大きく伸びたと思ったら、住職に頼まれた庭師さんによって切られ、住職の好みに合わせて形づくられ、その姿を見て良い姿になったと喜んでいる住職である自分には、微塵も、切られた松の木の痛みも、願いも、感じたことが無かったということでした。

切られ、又切られ、台風にも、地震にも耐えて、200年程も、本堂の前に立ち、その下を通って参詣する方々を見守ってきた松、本当に生きるということは、どういうことかを、松自身が身を以って、私が、そのことに目覚めることを願っていてくれたように、思われてなりません。今現にご苦労くださっている法蔵菩薩様の物語が、そのことと重なり合って体の四肢五体に感ずる尊いご縁でありました。自分の本性の無自覚性は、私の命終わるまで毎日続くことであります。

お世話になります。