025夏の出会い

海老原章

長かった夏休みが終わり、まだまだ残暑の厳しさを体感する中にも、お彼岸も間近となり、秋の虫の鳴き声が気持ちだけでも涼しさを運んでくれるようになりました。

暑い夏の季節には、強烈な太陽の光のもとで、昆虫や植物など、夏の生きものたちが躍動しています。秋には、立派な実をつけようとしている果樹や、堂々とした風格、そして生命感に溢れて咲くひまわりの花などは、私自身に積極的な生き方を示してくれて頼もしくさえ感じられます。

また、蝉も夏の生きものとして欠かせないものですが、蝉は、ご承知のように、長い間土の中で過ごし、そして成虫になってからわずか数日間で死んでしまいます。

夏には、やかましい程に懸命に鳴く蝉の鳴き声が暑さを増すようにも思いますが、鳴き尽くしながら一生を終える蝉の生き方は、いかにもはかないものがあります。このような蝉の一生は、周知の事実ですが、こういった生きものの在り方が、改めていのちというものを考える指針になるのではないでしょうか。

いくら短くとも生きものが精一杯生きる姿を目の当たりにした時、いつまでも生きることができるかのように思い、その日その日を無駄に生きてはいないかと、私に問われているような気がします。蓮如上人は、「仏法には、明日と申すこと、あるまじく候う。仏法のことは、いそげ、いそげ」(真宗聖典874頁)と万事に油断し、生活している私たちを戒められます。梅雨になれば「うっとうしい日が続く」と言い、夏になれば「暑い、暑い」と愚痴をこぼす。人それぞれに季節を受け取る思いは異なりますが、夏はエネルギッシュにいのちが燃える時期でもあります。こういった中で、大事なことを忘れて日々を過ごし、「明日も明後日もある」と油断し、惰性のように繰り返している私自身の生き様に、夏の主役たちが一つの生きる方向を教えてくれたような気がします。