藤岡法水
私の勤めております小学校では、毎年地域のゴミ拾いを実施しており、今年も空き缶やたばこの吸い殻など、大人が捨てていったたくさんのゴミが落ちていました。中にはエアコンの室外機やソファーなど子どもたちの手では拾いきれないゴミもたくさんありました。そのことについて話し合った時、子どもたちは「どうして大人なのに平気でゴミを捨てるんだろう」ということから始まり、「自分の家の庭だったら捨てないはず。だから自分のことしか考えていないんだ」「でもゴミを捨てることによって環境を破壊しているということは、自分たちが住んでいる地球を破壊していることになる」「つまり、ゴミを捨てることは自分の生きる土台を破壊していることになるわけで、自分のことしか考えていないようで、実は自分のことすらも考えられていないということだ」というように考えが進んでいきました。
あまりに自己中心的に生きているために、生かされている自分が見えなくなっている我々の姿が重なりました。地球が美しくなければ我々も生きていくことはできないし、そこにおける他者との関係性を抜きにして自己は存在し得ないのです。多くの命の上に、私の命が成り立っているという自覚があるかどうか。
今を生きる我々が自分の足下が見えているのか、そしてまた、自己の命に対する責任をどうとっていくのかという問いが見えてきます。
それがとても曖昧になっているのが今の日本の現状なのではないでしょうか。
しかし、子どもたちは、ポイ捨て防止を訴える看板や環境保護ポスターを立てたり、町役場に訴えたり、学校の行き帰りにゴミを拾ったりと行動を起こしています。自分たちのふるさとを守るために。そして「地球人」である自分たちの命の源である地球を守るために。それは子どもたちの命の願いだと私には思えるのです。