カテゴリー別アーカイブ: テレホン法話2016年

015 お盆の過ごし方

米澤典之

お盆のルーツをたずねていくと、お釈迦さまがご在世の頃、 弟子の目連に語ったエピソードが伝えられています。

それは、安居が終われば僧伽にお布施をしなさいというものです。

「安居」はインドでは「雨期」を指しますから、雨期が明けた頃です。日本ではそれに倣って梅雨が明けた七月中旬、 新暦の八月中旬として定着したと考えられます。

ところで「僧伽」は、仏法に集う仲間のことで、この時期は雨をしのいでお釈迦さまの教えを聴聞する大切な時間でした。では、どうしてお釈迦さまは僧伽へのお布施を勧めたのでしょうか。その理由がお盆の由来です。

「おぼん」のことを「盂蘭盆」といいます。この盂蘭盆は、もともとサンスクリットの「ウランバナ」を漢字に表したもので、それが日本に伝わりました。問題はその意味です。

「ウランバナ」は「さかさまになっている状態」を表す意味があります。

お釈迦さまが僧伽に施しをせよと言ったのは、目連がやっていることがウランバナ、やっていることがさかさまじゃないですかとの指摘だったのではないでしょうか。

目連がやっていたのは「施餓鬼」です。死んだ母親を餓鬼道に見出して供物を施していた。それが「さかさま」だと。救われなければならないのは死んだ母親ではなくてあなただと。そのためには死んだ母親に供物を施すのではなく僧伽に施しをしなさい、と。

お盆は、私たちが日頃思っている供養のあり方を確かめる行事です。

先祖や亡き人のためにという供養の方向性が問われ、仏さまの救いの対象がじぶんであったことに気づかされてはじめてお盆がお盆になります。そのことがはっきりしないと、いくら時間的なお盆を過ごしてもお盆にはなりません。

八月のお盆は終戦記念日と重なって、慰霊や鎮魂といった表現が支配的です。亡き人を慰めるべき霊と見出すのか、また鎮めるべき魂と見るのか、迎え火や送り火を焚き、また精霊と呼び、餓鬼と呼んでお膳を並び立てなくては落ち着かない私たちの「さかさま」を自覚させられたときに、ごめんなさいのお念仏となり、また、救いの対象がこのじぶんであったと知ったときにありがとうのお念仏となります。

(南勢一組・常照寺住職二〇一六年八月上旬)

014 「日本と原発 4年後」を観て

大谷 泰

今年の二月十四日、津市で自主上映された「日本と原発 4年後」を観て、ぜひ松阪市でも自主上映したいと思い立ち、その三ヵ月後の五月八日に、『農業屋コミュニティ文化センター』で、午前・午後と二回上映し、約八百人近い人に観ていただくことができました。

私自身、映画を観て、アメリカの国策である「原子力の平和利用」の名目で、被爆国である日本に持ち込まれた原発ですが、その事故の背景は、便利な生活、経済優先を求める私たちの貪欲さと、偉大な自然も、科学技術の進歩で、すべて制御できると過信した、人間の傲慢さが生み出した、起こるべくして起こった事故ではなかったかと思いました。

人間のすることに絶対安全などということはありえないと思います。事故に対する反省は、堤防を高くするよりも前に、私たちの在り方を問うことが先ではないでしょうか。

便利さや経済性は、限りなく欲を膨らませます。「欲を少なくして足るを知る」つまり、「少欲知足」に舵を切るときです。人間も大自然や大宇宙の中のほんの一部であることを忘れています。

当たり前のことながら、日々の生活の場で忘れられていることを、改めて考えるよい機会になりました。

松阪市での上映会に当たって、多くの後援や、中勢・南勢の大谷派寺院に、多大なご協力をいただきました。

松阪市近辺に住む、小・中学校時代の同級生、自坊や代務寺院の門徒さんたちも、惜しみない協力をしてくれました。

一緒に活動してくれたスタッフの人たちや、その他にも実に多くの人に支えられながらやり遂げることができました。 有難うございました。

(南勢二組・西善寺住職 二〇一六年七月下旬)

013 法事は誰のものか

長崎 直

ご家庭で年忌法要を勤めることになると、法要の日取りなど、当然ひとりでは決められませんので、家族・親戚、そしてお手次の寺院との日程調整をすることになりますね。

ですから、そのようなことでご主人がお寺にきて、「今度の何回忌の法要の日を決めたいのだけれど、ご都合はいかがですか」とご相談されるわけです。

その時に、かなりの確率で気にされるのが、

「ごえんさん、遅いのはダメやけど、早いのはええんやな?」ということです。つまり法事を命日よりも後の日につとめるのは良くないのでしょう? ということを確かめたいのです。

そこで、「なぜ遅いのはいけないのでしょうか?」と返してみますと

「そりゃあ、遅れると忘れられてたと思われて、ご先祖に怒られますでなあ」

といった類の返答をいただきます。

「誰がそんなことをおっしゃってました?」と重ねて尋ねますと、

「そんなもん、みんなが言ってござるよ」と。

どうでしょうか。こういったやりとりを耳にされたり、あるいは自ら身に覚えがあったりしませんか?

そこで、「命日の先か後かで、良し悪しなどはありませんよ」と、このようにお伝えするのですが、そんなやりとりを経て、仮に命日よりも後に日取りが決まったとすると、家に帰ってから、このような説明が付け足されていませんか?

「大丈夫。ごえんさんが、やってもいいって言っとったから」

一体、誰の何を恐れて年忌法要をつとめるというのでしょうか。

法事をつとめるということは、私が仏さまの教えに出会うということです。

教えに出会うということは、わが身の事実をいただきなおし、わが身にかけられ続ける願いをいただきなおすということに他なりません。

いただきなおすということは、いただいていたはずのものがいつの間にかこぼれ落ちているということです。そして日常生活の中で再び見失っていませんか?と問いかけられているということです。

年忌法要の折には、冒頭、表白がこのように読み上げられます。

「有縁の同朋集いてこの法縁にあいたてまつる」

「いま幸いに同信同行の縁、茲(ここ)にむすばれ歓喜胸に満つ」と。

法事に出会っているのは、他でもないこの私であった。

亡き人に何かを差し上げるつもりで参ったが、実はいただいて帰るのは私たちの方であった、ということです。

そのようにいただきなおしてみますと、年忌をつとめるにあたって大切なのは、「日が早いか遅いか」とか「みんなが言っているやり方」に気を割くことではなく、「そのご縁に遇うこと」そのものだったと気付かされます。

亡き人は、今を生きる私たちに、仏法に遇うご縁として命日を残してくださっているのです。

そのこと一つを慮り、亡き人を訪ね、私が願われているという事実に深く頷いていくことが、法事の本来の在り方なのではないでしょうか。

(長島組・善明寺住職 二〇一六年七月上旬)

012 お寺の掲示板

お寺の掲示板

加藤 文子

私の住んでいるお寺は田園の広がるのどかなところです。忙しく通り過ぎる場所ではなく、小学生の集合場所であったり、小さな子どもさんの遊び場であったり、犬の散歩の通り道であったり、わりとのんびりとできるところに伝道掲示板はあります。

「今回の言葉はよかったよ」「考えると難しいなあ」などと声をかけてくださる方、読んでもすぐに忘れてしまうから書いておこうと家に紙と鉛筆を取りに帰られる方など、いろんな方が読んでくださっています。ある朝「おばちゃん、全然変わってないね」と六年生の男の子が私に声をかけてきました。「あら、そう?」と喜ぼうとしたとき、変わらないのは掲示板の言葉だと気が付きました。そういえば、ほぼ一か月掲示板の言葉はそのままになっていました。私の都合で書いている掲示板でも、読んでくださっている人がいることを改めて知らされました。

 

努力して後悔した人を見たことがない

練習して下手になる人もいない

勉強して馬鹿になる人もいない

何かをして変わった人はいても、何もしないで変わった人はいない

 

お子さんが自信を無くされて、毎日励まし続けておられたお母さんから、掲示板の言葉に元気をもらったとお礼を言われたこともありました。

生きているということは良い事ばかりではないのですが、掲示板を見てくださる方に少しでも元気が与えられればいいなと思います。

掲示板を書いている私も当然不調になり、何もしたくないときもありました。そんなとき友達が

 

笑顔に勝る化粧なし

 

と掲示板に書いて励ましてくれました。

 

言葉には温度がある

 

という言葉を書いたときは、何気なく使っている一つの言葉の持っている力の大きさを感じました。

二月の初旬、私の誕生日に父が亡くなりました。徐々に弱っていく父に対し、ただ見守ることしかできませんでした。老いて、病んでいる姿を見るたびに、「一日でも長く生きてほしい」という願いと「治らないなら仕方がない」という気持ちで看病してきました。

 

まわりに求めていた やさしさを

私は誰かに与えたことがあるだろうか

自分の苦しさを思うばかりで

人の苦しさを思いやることがあるだろうか

東井義雄

 

その時に東井義雄さんの詩に出逢い、お寺の掲示板に書きました。今まで私の身に起こった面倒なことを「仕方がない」で片づけてしまい、見ないように聞かないように、時として自分中心で生きてきましたが、父の死を通してこの言葉の意味を、身をもって受け止めることができ、私の考えと違う人とも共に生きているということを感じさせていただきました。

来年から私の誕生日は父の命日にもなりました。命日はいのちの日と書きます。「いのちの日」、いのちを考える日です。私の受け止めた念仏を掲示板の言葉を通して表現できたらと思います。

(三重組・盛願寺坊守 二〇一六年六月下旬)

011 反省

鈴木勘吾

一九九〇年代に、テレビのコマーシャルで流行した言葉です。

サラリーマンが様々な問題を起こした場面で、平身低頭言い訳し、謝罪している。その隣で、横目で眺める人の額に、 「反省だけなら、猿でもできる」の文字が浮かびあがります。

それを受けてか、別の会社のコマーシャルでは、当時人気の猿回しの調教師・太郎さんが「反省」と一喝すると、ニホンザルの次郎くんが、太郎さんの立てひざに片手を付いて、首をうな垂れる姿が話題になりました。

「反省だけなら猿でもできる」

この言葉の内実は、私たちの在りようを言い当てられた気がします。

それでは、「反省する」とは何でしょうか。辞書には「自らの行いを省みること」「過去の行いについて批判、評価をすること」とあります。

親鸞聖人は仏様の智慧を通して、自身のあり方を次のように表現されました。

 

誠に知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし、傷むべし、と

(『真宗聖典』二五一頁)

この言葉から、親鸞聖人は、自身の生き方について、恥ずかしく、嘆かわしいことであると反省されています。

こうした親鸞聖人の反省感を通して、改めて感じるのは、どこまでも自身の貪(むさぼ)り、瞋(いか)り、邪(よこしま)さ、欲望そのままの心で自らの行いを省みるならば、それは不誠実なあり方であり、省みるどころか却って眼を曇らせるものなのでしょう。

親鸞聖人は自信の足元を見なさい、どこに立っていますかと、問いかけてくださいます。

(四日市組・法藏寺衆徒 二〇一六年六月上旬)

010 誰のために、何のために、頑張るのか

五瀬 房子

先月、新学期を迎え、私の子供たちも新しい学年へ進級しました。

上の息子が中学生になり、普段出かける事の少ない私も、卒業式、入学式と慌ただしく過ごしました。

「当日は何を着ていく?」が、あいさつのようになり、何度もタンスの中を見たものです。

日が経つにつれ、なかなか卒業式で着ていく服が決まらず憂鬱になり、気が付くと息子の服が決まっておらず大慌てでした。

イライラしながら息子に「あなたが恥ずかしい思いをしないように頑張っているのよ」と言うと、息子は、「はいはい。頑張って」と軽い口調で返されました。

入学式でも同じことの繰り返しで、結局、当日の父兄の服装は似たり寄ったり、大騒ぎしていた自分が疲れただけでした。

「主役は息子」と頭では分かっているのに、いつの間にか「私が主役」になっていました。

息子に言われた「頑張って」という言葉は、「誰のために、何のために、頑張るのか」を問われたような気がします。

その後の生活の中でも、同じ事をくり返している事があります。「あ、また同じことで悩んでイライラしてるな」と思いますが、以前に比べて少し立ち止まると、力が抜け、自分に笑えてきます。

(桑名組・佛乘寺 衆徒 二〇一六年五月下旬)

009 義援金と義捐金

梅田 良恵

去る四月一四日、熊本県を中心に最大震度七の地震が起き、未だに余震が続いていることは、皆様も御承知のことと存じます。被災地の様子はマスコミを通じて全国、全世界に発信されています。またそれに伴い、各地から救援物資が届き、義援金、支援金なども集められています。

さて私事ですが、五年前の東日本大震災の折、私の先輩に教えられたことがあります。最近は義援金の「援」の字は援助の援を使うが、本来はそうではない。どんな字かというと「手偏を書き、その右に、上に口、下に月を書いた字」を使っていたと教えてくれました。調べてみると、その「捐」の字は、「捨てる、捨て去る」の意味である、とありました。当用漢字に採用されなかったため、現在は援助の援の字が「代用」として使われることになったとのことです。

意味の違いにこだわれば、以前使われていた「義捐金」は義をもって捨てるお金であり、最近は義をもって援けるお金となります。

その字がもとで、私は改めて布施とは何かを考えました。今皆さんはお布施というと、法事などお参りごとを依頼するときに、お寺に支払う「お金」のことだと思うのではないでしょうか。本来、布施は、布施行といって、仏道を歩むうえでの修行のひとつなのです。自分の持っているもの、それはお金でも物でもいいし、また何かをしてあげる行為でもいい、それを相手に施すのです。そこで注意しなければならないのは、布施をする側、される側は、布施をする物、または行為に対して、執らわれる心を捨てなければならない、(執着をしてはいけない)ということです。例えば、する側は、こんなに大量に食料を持ってきたから喜んでくれるだろう、朝から夜遅くまで働いてあげたから感謝されるだろう、と思ったとしましょう。またされる側は、もっと持ってきてもらいたい、明日も明後日も働いてもらわなければ家が片付かない、と思ったとします。しかしそれは、布施という意味では、本来の布施行為にはなりません。

ボランティア活動をされる方が「被災者の笑顔を見ると、自分も元気をもらいました」と言っている場面をよくテレビで見ます。そうなんです。布施とはただ相手に施すだけでなく、施した行為によって、布施をした側も得るものがあるのです。お互いに与え合う、ということです。

義捐という言葉の中に、私は布施という意味を見ます。これは私たちが仏教という教えをもとに助け合ってきた歴史を物語っているのではないでしょうか。

手偏に、口、月を書いた、捨てるという意味の「捐」の字を使った「義捐金、義捐物資」という言葉を、私は今こそ復活したいと思います。

 

(三講組 圓琳寺住職 二〇一六年五月上旬)

008 人生のコンパス

箕浦 彰巖

サクラの花も散り始め、青葉が目立ち始めています。四月八日は、お釈迦様が誕生された「降誕会」花まつりが、宗派をこえて様々なお寺で開かれました。

さて、お釈迦様が説かれました仏教も含め、皆さんは「宗教」というものをどのように受け止めておられるでしょうか。

 

パンの為、職責の為、人道の為、国家の為、富国強兵の為に、功名栄華の為に宗教あるにはあらざるなり。人心の至奥より出づる至盛の要求の為に宗教あるなり。

(『清沢満之全集 第七巻』)

 

この言葉は、京都にあります大谷大学の初代学長、清沢満之先生の言葉です。

清沢満之先生は明治時代、日本全体が富国強兵・殖(しょく)産(さん)興(こう)業(ぎょう)という様に、国を強く豊かにしていく事が盛んであった中で、人間の確かな拠り処、生きる立脚地を明らかにするために、東京巣鴨の地に真宗大学、今の大谷大学を開きました。

人心の至奥とは、人の心の最も奥底という意味です。そこからわき起こる要求の為に宗教はあるのだと、清沢満之先生は言います。

では、その要求とはどのようなものなのでしょう。

私たちは、日々の生活の中で一生懸命生きています。様々な仕事をし、家族の為、会社の為、社会の為と様々な思いを巡らせて今日を生きています。

しかし、ふとした切っ掛けで、今までの私の人生は何だったのかという空しさや、不安に襲われることがあるのではないでしょうか。

「何が君の幸せ 何をしてよろこぶ わからないまま終わる そんなのは嫌だ」

これは、アンパンマンの作者である「やなせたかし」氏が作詞された「アンパンマンのマーチ」の歌詞の一部ですが、私たちは、何が自分の幸せで、どうなることが本当の満足であるのか、どのように生きることが本当の喜びなのかが、分かっているようで実は分かっていないのが実情ではないでしょうか。

この問題を明らかにし、私の心の奥底から沸き起こってくるものに応えてくれるものが宗教であると清沢満之先生はおっしゃっていると思います。

宗教の「宗」という字は、「根本とするもの」「おおもと」という意味を持ちます。つまりそれは、私にとって最も根本となる教え、人生のコンパスとなるものなのでしょう。

しかし、その「宗」が不確かでは、まわりの風潮に流され、私の上(うわ)ついた表面上の思いのままに生きて、結局は人生が空しく過ぎるのではないでしょうか。そこに本当の意味で人生の喜びは生まれないのではないかと思います。

(三重教区駐在教導 二〇一六年四月下旬)

007 私との出会い

伊藤 華

私の父は高校生の時に網膜(もうまく)色素(しきそ)変性症(へんせいしょう)という目の病気を発症しました。

徐々に中心が見えなくなり、視力を失うこともある病気で、現在も治療法は確立されておらず、六十歳を過ぎた頃からほとんど視力を失いました。

そんな父のことを私は少し羨ましいと思った時期がありました。私は学生時代、将来の進路について悩んでいた時、劣等感や自信の無さから、相手から自分が馬鹿にされているとか、嫌われていると感じて対人恐怖症になったのです。父は私とは全く逆の性格で、門徒さんの家に行って沢山の方と色んなお話しをするのが本当に楽しそうでした。ですが、父のこの性格が羨ましいと思ったわけではありません。

当時私は父に、「いいなぁお父さんは目が見えないから、人の反応を気にすることなくお話ができるから。私も目が見えないほうがいいわ」。

すると父は、「わしは、耳で見ているんだよ。よく見えるよ。怒った顔、笑った顔、悲しい顔。あんたはもっと色んな人と出会いなさい」と言われました。目は見えなくても耳からの情報で脳の視覚(しかく)野(や)は働き、脳の中で映像を見ているそうです。以前まで、私は目が見える分、父より世の中のことを知っているし、目が見えないくせに何がわかるのだ?と思うことが多々ありました。しかし父の言葉を聞いて、ひとつひとつの出会いに、想像以上に神経を研ぎ澄まさせているのだろうと感じ、私は今まで自分の評価ばかりを気にして、人と話をする時、しっかり相手の顔を見て、相手の発する言葉にちゃんと耳を傾けてこなかったと痛感しました。

嫌いな人、苦手な人、気難しい人、良い人・・・勝手に決めている自分がそこにありました。人生で出会うすべての人々から様々なことを教えられます。それぞれの出会いにおいて相手を評価するのではなく、その出会いをご縁として私が私に出会わせてもらっていきたいと思います。

(桑名組・晴雲寺衆徒 二〇一六年四月上旬)

006 当たり前って

高野昭麿

暖冬と言われていた冬ですが、3月に入り段々と暖かくなってきました。

今年は本山の大修復が終了しての最初の春の法要をお迎えします。

さて先日、国勢調査の集計が発表になり、これまでの調査以来、初めて日本の人口が減少したとニュースになっていました。

その一方で携帯電話の契約回線数は、年々人口よりも多くなり、本当に身近な道具となりました。

寺にかかってくる電話も、これまではほとんど固定電話からでしたが、最近はほとんど携帯電話からです。電話番号を登録しておけば間違い電話をかけることなく相手と電話が出来ますし、スケジュール管理なども出来ますので、手帳を持ち歩く必要がなくなってきました。私はスケジュールも全て携帯電話に保存していますので、携帯が無ければ予定が全くわかりません。

そんな私の携帯がつい先日、突然壊れてしまったのです。落としたり、水没したのなら壊れても仕方のないことだと思うのですが、インターネットをするために携帯を触っていて突然画面が真っ黒になり何が表示されているのかわからない状態になりました。色々と携帯電話を直そうと試しましたが一向に直りません。アドレス帳やスケジュールを紙に記録していませんでしたので焦って途方にくれてしまいました。

普段の生活の中で、毎日使っている便利な道具が壊れるなんて考えることはあまりありません。しかし、今回の様に壊れることが突然起こります。機械ですから「永遠に壊れることはない」とは思ってはいませんが、今壊れることはないだろうと思ってしまっています。

この思いは、人間にでも同じ感情になることがあるのではないでしょうか。人間と機械を比べることは出来ませんが、元気だった方が突然倒れられて亡くなる事が多々あります。

しかし、そういう時ほど、残された家族や知人、友人は、焦って途方に暮れ、後悔だけが残るということがあるのではないでしょうか。

蓮如上人のお書きになられた御文の中に、『白骨の御文』と呼ばれるものがあります。その文中には、「我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず」と私たちの日常感が語られ、そして「人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば」と、老いるから、若いからと決まっていない、いつ死ぬかわからない生まれたものの事実を噛みしめておられる部分があります。

いつこの世との別れが来るかわからない「今」を私たちは生きているのです。そんな身を生きる中で、確かな安心を得た生活を送りたいものです。

仏事の場とは、そういった自分を見つめ直す場ではないかと感じます。

(伊賀組・專稱寺住職 二〇一六年三月下旬)