「平成28年熊本地震」災害における救援金勧募ご協力ありがとうございます。

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教区では、熊本地震発生後、直ちに桑名別院本堂並びに三重教務所に救援金箱を設置しました。4月19日には、教区会参事会・教区門徒会常任委員会で協議し、6月30日を第1次締切として、教区内全寺院に救援金を勧募し、全て宗派に委託することを決定しました。
6月30日、合計10,768,726円が寄せられ宗派へ送金、7月22日には、教区を代表して池田徹教区会議長並びに野崎紘一教区門徒会長が宗務総長に目録を手交しました。
救援金勧募にご協力いただきありがとうございます。教区では、一日でも早い復興を願い、7月以降も引き続き、救援金を勧募し、息の長い支援を行っていきます。引き続き、皆様方のあたたかいご支援を重ねてお願い申し上げます。

救援金口座:郵便振替 口座番号00910-3-23355

加入者名 :真宗大谷派 三重教務所
※通信欄に「熊本地震救援金」と明記ください。

 

 

 

桑名別院7月行事案内

桑名別院7月行事案内

◎ 同 朋 会  休会
講師  田代 賢治(桑名別院輪番)
会場  桑名別院庫裡
会費  500円

◎ 人生講座  3(日)  午前7時~8時
講師  佐藤 義成 氏(長浜市 満德寺住職)
会場  桑名別院本堂
会費  500円     ※毎月第1日曜日
※次回は8月7日(日) 講師 三枝 明史 氏(多度町 空念寺住職)

◎ 定例布教      午後1時~3時
12日(火)       講師 佐々木 惠精 氏(桑名市 傳西寺住職)
13日(水)       講師 小幡 智博 氏(伊勢市 西光寺住職)
27日(水)・28日(木)  講師 木村 大乘 氏(桑名市 蓮敬寺住職)
※13日・28日は午前9時から御日中が勤まります。

◎ おみがき   6日(水) 午前9時

◎ 盂蘭盆会  14日(木)~15日(金)  午後1時~3時
講師  竜田 剛雄 氏(芸濃町 安樂寺住職)
会場  桑名別院本堂

◎ 墓地総経  15日(金) 午前10時
場所  桑名別院本堂

◎ 暁天講座 14日(木)~18日(月) 午前6時20分~7時30分
14日(木) 廣瀬  惺 氏 (同朋大学特任教授)
15日(金) 尾角 光美 氏 (一般社団法人リヴオン代表理事)
16日(土) 草野 顕之 氏 (大谷大学文学部教授)
17日(日) 今井 雅晴 氏 (筑波大学名誉教授)
18日(月) 池田 勇諦 氏 (桑名市 西恩寺前住職)

◎ 晨朝(お朝事)   毎朝午前7時  桑名別院本堂
御文・法話   別院列座

◎ 御命日晨朝  13日・28日午前7時 桑名別院本堂
13日 前住上人   28日 親鸞聖人
御文・法話   別院輪番

◎ 祥月申経   1日~30日午前9時  桑名別院本堂
※13日・28日は御日中法要のため午後1時

◎ お夕事        毎日午後4時  桑名別院本堂

◎ 歴代御命日
前日午後4時御逮夜・御命日午前7時晨朝兼日中
11日(月)  従如上人  第18代
25日(月)  宣如上人  第13代

どうぞお参りください。
真宗大谷派 桑名別院本統寺
℡(0594)22-0652

ペーパークラフト

桑名別院本統寺旧本堂
papercraft ペーパークラフトで再建しよう。
貞享3(1686)年に建立された八つ棟造りの旧本堂は、間口15間2尺(約28m)、奥行14間4尺(約27m)でした。昭和20年の空襲で焼失しました。

組み立て方(1シート PDFファイル319KB)

パーツ(5シート PDFファイル1MB)

 PDFファイルのダウンロードのついて
ペーパークラフトの組み立て方、パーツデータはPDFファイルとなっております。PDFファイルをご覧いただくためには、アドビ社のAdobe Acrobat Readerが必要です。
ご注意ください
このウェブサイトのペーパークラフトは、個人的にお楽しみいただくことを目的に掲載しています。商業目的・営利目的でのご使用、またオークションへの出品等は、固くお断りいたします。

 

 

037あとがき

 テレホン法話集『心をひらく』第三五集をお届けします。
 昨年(二〇一三年)一年間三六名のご法話を収録いたしました。担当者の皆様に御礼申し上げます。

 当方、前幹事の時より、六年にわたって本冊子の編集に携わらせていただきました。
 折々のご法話に随分教えられ学ばせていただきました。その見方や問題意識に大いに肯かされることも再々でした。

 そして、何より自らの信念を言葉にしていく難しさと格闘された皆様の歩みに励まされました。ありがとうございました。

 テレホン法話事業並びに本冊子の更なる充実を願いつつ、次代の編集子にバトンタッチさせていただきます。
                                               合掌

036まことの拠り所

折戸 芳章

 「じぇじぇじぇ」、「今でしょ」、「倍返し」、「アベノミクス」、「お・も・て・な・し」と、今年の流行語大賞候補が他にも多く思い出されます。

 候補にはなりませんでしたが、『広辞苑』にも載っていない「誤表示」という言葉が流行しました。有名ホテルのレストランなどでメニュー表示と異なる食材を使用していた問題で、「偽装」ではなく「誤表示」だと釈明に繰り返し使用したことから生みだされた流行語です。人は思い込んでしまうと、それが偽装であれ、誤表示であれ、間違っていることさえ分からなくなり、自分をも見失ってしまうものなのです。

 今年の『本山法語カレンダー』一〇月で「世の中が便利になって一番困っているのが実は人間なんです」とお教えいただいています。

 私たちは、まさに日常の便利さと幸せを追い求めてきた結果、本当の拠り所までも見失い、間違え、さらには偽装し誤表示していたことに、東北沖地震を発端に原発をはじめとする諸問題に苦慮することで、今になってやっと気づかされたのではないでしょうか。

 「頼りにならんものを、頼りにすることほど一番頼りにならんのに、その一番たよりにならんものを一番頼りにしているから、本当に頼りにならん」のです。
 しかし、頼りにならんものを頼りに生活してきたことは事実であり、のがれられません。          

 いよいよ今年も残り数日となり、来年春には三重教区・桑名別院宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要が勤まります。
 御遠忌を機縁に、私たちの日常の生活形態が偽装と誤表示を拠り所にして、間違った思い込をしていないかを問い直し、私の身の事実を親鸞聖人の教えによって顕かにしていかねばならないのだと思えてなりません。

(南勢一組・法受寺住職 二〇一三年一二月下旬)

035人生にかけられた願い

片山寛隆

  身近な人の死は悲しい
  しかし、その死から何かを問い学ばなければ
  そして、そこから何かを生み出さなければ
  もっと、悲しい

という言葉が、あるお寺の掲示板にありました。

 亡くなった方をご縁として、葬儀、法事を営むということが行われてきました。先立って往かれた方は、自分の生涯を通して、生きるとはどのようなことかということを、身を以てお知らせくださったということです。

 亡くなった方の願いと申しますか、先立った親は残していく子供達に何を願いとしているかということは、我々自身が残していく子供達に何を願うかということを考えれば分かることではないでしょうか。

 子供に何を願うか? やはり、幸せに暮らして欲しいということがあると思います。
 けれども、よくよく案じてみると、お互い自分の生涯を考えてみると、誰だって幸せを願いとするものの、それがいつもいつも叶えられる人生ではなかったということ、もっと言えば、都合のよい人生を送りたいと言うものの、我々が実際に歩む人生というものは、都合通りではないということです。思いがけないことにも遭わなければなりませんし、考えたことのないような災難にも出遭わなければならないというのが人生です。
 そういう生涯を、亡くなった人、先立った人も歩んでこられたに違いありません。

 人生は、お互いの都合ではありません。都合が悪いことが嫌いといっても、その事実を歩んでいかなければならないのが人生です。
 だから、どんなことがあっても、生きるとはこういうことだと、夢を見るのではなく、この人生の事実を踏まえながら、どんな中にも絶望せず、しかも人間に生まれてよかったというようなものを見開いて、生き死ぬ身になって欲しいということが願われているのではないでしょうか。

(三講組・相願寺住職 二〇一三年一二月中旬)

034御遠忌の課題

大橋 宏雄

 来年三月に三重教区・桑名別院宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要が勤まります。
 御遠忌法要は五〇年に一度、それは一生に一度の法要だと言ってよいのではないかと思います。その一生に一度の『時』と『場』としての法要が、私にとってどういうものであるのかを考える一つの手がかりとして、報恩講ということが思われます。

 報恩講はそれぞれの場で年に一度勤められますが、報恩講について「三六五日報恩講だ」ということを聞かせていただいたことがあります。それは報恩講が単に親鸞聖人の御命日の法要ということだけではないということを教えてくださっているのだと思います。

 その「三六五日報恩講だ」という言葉から私が思うのは、「姿勢が問われる」ということです。
 姿勢とは聞法の姿勢ということもありますし、それはそのまま生きる姿勢ということにもなろうかと思います。
 そして、「姿勢」ということで思い起こされるのは、これまで聞かせていただき、今も聞かせていただいている先生や先輩方の姿です。

 そして、その姿に私は「自分をごまかさず問うていく」ということを感じます。それは大変難儀なことではありますが、そうでなければ何も聞こえないのだと思います。

 「御遠忌」ということ、そして「ごまかさない」ということを思う時、これも聞かせていただいた言葉が元なのですが、
 「まるで親鸞聖人のことを知っているような顔をして御遠忌と口にしているが、果たして私は親鸞聖人にお遇いしたといえるのか。お遇いしたいと思っているのか。」
という声が聞こえてきます。それは決して私を否定する声ではなく、私を歩ませる、私の姿勢を問う声として聞こえてきます。

 そして最後に、『時』ということを思うと、今の姿勢を問うということが、これまでを見直させ、これからを見据えさせるのではないか。そのことは、一生に一度の『時』と『場』としての御遠忌が、まだしばらくは生きているつもりの私に、「今」という時を重く突きつけてくるように思います。

(中勢一組・淨願寺候補衆徒 二〇一三年一二月上旬)

033報恩講

諏訪 高典

 今年も一一月二一日から二八日まで、真宗本廟(東本願寺)で、宗祖親鸞聖人の御正忌報恩講が勤まります。そして、二八日の御満座では、

  如来大悲の恩徳は
  身を粉にしても報ずべし
  師主知識の恩徳も
  骨をくだきても謝すべし
   (『真宗聖典』五〇五頁『正像末和讃』)

の、私達真宗門徒が慣れ親しんでいるご和讃がつとまります。このご和讃は、親鸞聖人の兄弟子聖覚法印が、法然上人の六七日に表白されたものによるといわれます。

 親鸞聖人は仏法のご恩は、よき師によって気づかされ、その恩徳の重き、深きことは如来本願の用( はたら) きそのものであるといただかれたことでございます。

 親鸞聖人がお作りになった正信偈。そのお心は、私の口から「ナンマンダブ」、「ナンマンダブ」が出て来た。このお念仏はどこから出てきたんだろう。お念仏のルーツの根源は?

 そうだ、二九歳の時、法然上人に出遇った。あの時、
 「ただ念仏して弥陀にたすけまいらすべし」
というお言葉と共に、あの法然上人の朗かな念仏に遇うた。その時から私の口から念仏がもれるようになったんだナー。
 
 じゃあ、法然上人の念仏は、
 「源信広開一代教」
源信僧都から。

 じゃあ、源信さんの念仏は、
 「善導独明仏正意」
善導さんから。

 じゃあ善導さんの念仏は、
 「道綽決聖道難証」
 
 道綽禅師は?
 「本師曇鸞梁天子」
 
 曇鸞大師の念仏は、
 「天親菩薩造論説」

 天親菩薩は、
 「龍樹大師出於世」

 龍樹大師の念仏は、お釈迦さまから。お釈迦さまは、
 「帰命無量寿如来 南無不可思議光 法藏菩薩因位時」

 私の口から出た一言の念仏のルーツをずっとさかのぼると、遂に「法藏菩薩因位時」までさかのぼり、無量寿、不可思議光までさかのぼった。
 何とありがたいことか、それがあの正信偈をお作りになった親鸞聖人のお心であったと、私はいただくことでございます。

 報恩講は、この親鸞聖人のご遺徳を偲ばせていただき、真実のみ教えに出遇わしていただくための、真宗門徒にとって最も大事な仏事であります。共にこの仏縁に遇わせていただきたいと思います。

(桑名組・了嚴寺住職 二〇一三年一一月下旬)

032諷誦持説

片岡 健

 親鸞聖人はみんなが声を揃えてお勤めできる『正信偈』・『ご和讃』を残してくださいました。私たちは毎朝・毎晩のお勤め、仏事でのお勤め等を通して、そこから量り知れない教えをいただいています。『正信偈』などは本を見なくても読める方が多いと思います。

 『仏説無量壽経』というお経には、「諷誦持説(ふうじゅじせつ)」(『真宗聖典』二〇頁)という法蔵菩薩の願いが出てきます。仏さまの教えを声に出して何度も読み、暗記して、歌うがごとく軽やかに口から出るようにしなさい。私たちにはそういう願いもかけられているのです。

 数年前、門徒さんではないのですが、近所に若いご夫婦が引っ越してこられました。ほどなくご主人のお母さんが亡くなられて、お葬式と中陰のお参りをさせていただきました。六七日のお勤めが終わった後で、奥さんから質問をうけました。「ごえんさん。『帰命せよ』って何ですか」と。「どうして、そんなことを聞くの」というと、「毎日、お勤めをしていたら、気になるようになりました」と。『ご和讃』には「帰命せよ」がいっぱい出てきますからね。私は答えることができずに、「これから一緒に考えていきましょう」と誤魔化して逃げ帰りました。
 そうしたら、これ以後、このご夫婦は寺へお参りになるようになり、聞法されています。この奥さんは、できれば親鸞聖人に直接お尋ねしたかったのでしょう。知ったかぶりをした私などが答えなかったのが大正解だったのですね。

 声に出して諷誦、つまり暗唱できるほど読むと、この奥さんのように、時間と空間を超えて親鸞聖人に触れていけるのではないかと思います。報恩講や御遠忌に向けて、じっくりと地に足を着けて、暗記してしまうくらい教えを声に出して読む。それを通して親鸞聖人に直接お尋ねしていけるようになるといいですね。

(三重組・長傳寺住職 二〇一三年一一月中旬)

031共に、大地に立たん

渡邊 浩昌

 親鸞聖人は三五才の時に流罪に処せられ、遠く越後の国へと旅立たれます。琵琶湖を渡り、北陸に向かい、そして日本海に出られます。その時に、初めて海を見られたのではないかと思います。

 聖人は「海」という言葉を大切にされていますが、九〇才での死去を前にして述べられたと伝えられています『ご臨末の書』には次のような詩が書かれています。

  和歌の浦曲(うらわ)の片男浪(かたおなみ)の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
  一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人(みたり)と思うべし、その一人は親鸞なり。

 法難に対する恩讐の念が寄せては返す波に打ち消され、師・法然上人への想いを一層深められていると思います。

 その後、聖人は豪雪の季節から解放された越後の国に到着されます。そこで目の当たりにされたのは、果てしなく広がる大地とそこに生きる、後に聖人が「群萌」といわれる人々の生き様ではなかったかと思います。
 
 曽我量深先生は『地涌の人』という文章の中で、「いつわりの名誉と、浮世の権力と、小ざかしき智慧と、仮面の道徳を有せない人々」と表現されています。

  我なくも法は盡きまじ和歌の浦
  あをくさ人のあらんかぎりは

『ご臨末の書』はこのように続きます。

 聖人は流罪の地・越後で、大地から涌くがごとくに生まれ出る、共に念仏申す人々に驚かれ、その人々を「あをくさ人」とよばれたのでしょう。

  われら一向に念仏申して
  仏天のもと青草びととなりて
  祖聖(親鸞)に続かん

 故信國淳先生が私達に残された言葉です。

 親鸞聖人七百五十回御遠忌の三重教区のスローガンは「共に、大地に立たん」です。
更なる深まりが私達に求められています。

(員弁組・西願寺住職 二〇一三年一一月上旬)