木村郁子
ある日、私は時計ばかりを見ていたのを思い出します。担当の園児が発表会の不安でぐずっていたので、早く落ち着いてくれたらとばかり願っていました。その時間に父が亡くなっていようとは思いもよりませんでした。夫の知らせに実家へ車を走らせながらも、治療して家に戻っているだろうと自分に信じ込ませていました。でも、横たわっている父は話しかけてはくれませんでした。
通夜の時に、ストーブの前でウトウトしながら休んでいると、父が元気に「また来たか」と起き上がってくる幻想に何度もとらわれ、その度に父を見に行きました。もう少し早く医者へ行っていたら、もっと早く治療の方法があったのでは、という思いと献体を希望し、何も残さずに逝ったことが余計にまだ何処かに居るに違いないと思い込ませているのでした。
冬も過ぎ、春の永代経でのご法話の中に「仏法は春の雪がすぐに融けるようにいつも新しいが、人間の思いは冬の雪がすぐには融けず残るように、いつまでもいつまでも引きずっている」というお話を聞いた時に、私は百ヶ日を迎えようとしていた父の死の事実が未だに受け止められていなかったことに気づかされました。事実を事実として見られず、人間の身体が有るか、無いかで執着していたようです。父が何処かに居るのではなく自分の問題でした。
都合よく生きたい自分ですが、都合悪いことにも「それは良かった」と答えてくれた父の言葉を忘れずにこれからも毎日の生活の中に聞いていきたいと思います。
小園至
4月1日から5日まで真宗本廟で春の法要が営まれています。今から800年あまり前、1173年4月1日京都の東南、宇治に近い三室戸の里に親鸞聖人は誕生されました。90年のご苦労されたご生涯で我々に「南無阿弥陀仏」のお念仏をいただくご縁をくださいました。
その聖人の御恩を讃ずる御仏事として、本山では、4月1日に親鸞聖人の師徳奉讃法要が厳修されました。
聖人は「仏さまの教えは、真実の教えである」と述べられています。そして、我々は尊い先達からいただいたこの生命を粗末にしていませんか、と問われています。今、日本では残念ながら、尊さを損なう事件があちらこちらで起こっています。自分の都合で、邪魔になった子ども、また親、兄弟等の命が簡単に奪われています。
自分が生んだ我が子に身勝手な都合で暴力を振るったり、食事を与えず餓死させたり、親が孫、子をそして子どもが友を殺すという悲惨な事件が毎日のように起こっています。何故ですか?お父さん、お母さん、一日に一度は挨拶されますか?会話をされますか?子どもたちと一緒に食事をしていますか?子どもと話をされますか?おじいちゃん、おばあちゃんと話をしていますか?子どもを抱っこしてあげていますか?お母さんの温もりを子どもに与えていますか?子どもたちが、人の足を踏んだら、謝りますか?「南無阿弥陀仏」と手を合わせて感謝していますか?阿弥陀仏に合掌礼拝していますか?していなければ、今日「今」から始めてください。
生まれた意義と生命の尊さに目覚めよと仏さまが我々に呼びかけられています。それを真宗大谷派は「生まれた意義と生きる喜びを見つけよう」とスローガンにしています。これからの人生を仏さまの真実の教えを学び「南無阿弥陀仏」を生活の指針としたいものです。
花山孝介
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がありますように、彼岸の訪れと共に新しい息吹を感じる春を迎えることであります。毎年彼岸が来ますと、日頃慌ただしく忙しさにかまけて忘れている方々への想いが思い出されます。それぞれのご家庭ではお墓参りに行かれて、亡き方々に対しお花やお香を手向けて、日頃ご無沙汰していることを謝りつつ、今後ともよろしくというお気持ちでお参りされていることでしょう。
そのような日本の彼岸の風景を見る中で、私は何時も思い出す言葉があります。それは「身をもって、無常教えたまいし、亡き父と母」という言葉です。私たちにとって死は無言の遺言であり、言葉なき教えであると思います。厳粛なる死は、文字通りその人のいのちをかけての語りかけでしょう。
私たちの人生は、何時終わるか分かりませんが、必ず終わりのある人生であります。死は私たちにとって忌み嫌われることであると考えていますが、本当にそうでしょうか。何時死んでも悔いのない人生を生きていますか、誰にも代わってもらえない貴方を生きていますか、繰り返しのできない人生だから、今を大切に生きていますか。私に先立っていのちを終わって逝かれた方々は、何時も私に「人生の一大事」を問いかけておられるのではないでしょうか。
日頃世事に終われて生きている私、しかも自分の都合でしか手を合わせていない私に対し、「貴方の人生は何処に向かっているのですか」「本当に大事なことを忘れて生きていませんか」と、亡き方々は静かに語りかけてくださっているようであります。
土岐昭潤
先日、学生時代の同窓会名簿が送られてきました。早速、友人の近況はどうかと名簿を見ると、名簿の横に物故者と記されていました。先日まで友人であった人がすでに物故者となっているのであります。物故者、つまり死去であります。私は現在50才です。私たちの年代から言えば、友人の死は夭折(ようせつ)となるのでしょうか。夭折といっても幼児、若年者、実年者といろいろあると思います。
法事に行くとよく聞く言葉があります。あるご年配の方が「Aさんは、73才で死んだ。私は71才、順番やと次やな」と言います。この言葉を受けて、もう一人のご年配の方が「確かにAさんは、73才で死んだ。しかし、私は83才、しかもAさんは、私より10才も若くして死んだ。順番ではないで」と言います。そして、「いずれはご住職の世話になるのであるから、どっちでもええがな」と、もう一人の方の話で会話が途切れるのです。この話の中で、順番ということが気になるのであります。『無量寿経』に「顛倒(てんどう)上下して無常の根本なり」(真宗聖典61頁)とあります。順序が逆さまで老少不定である。老少不定、人の寿命は、老いも若きも何時果てる(死ぬ)か定まっていないのであります。つまり、人は日々年齢に関係なく亡くなっていくものと言われています。老少不定は、無常の世界のならいであります。このことから思えば、人のはかなさ、人はこの世に生を受ければ必ず死があるということをしっかり受け止めて、遅かれ早かれ訪れる死、それは今日か明日か分からぬ我が身体であります。
ならば如来さまから賜った寿命(生かされてる)今をしっかりと生きることが大切なのではないでしょうか。自身も次回の同窓会には、名前の横に物故者と記されるのでしょうか。それは分からない。如来さまだけが知っている…自身、物故者となれば同窓会名簿は過去帳となるのでありましょう。(そして、友人たちは夭折と受け止めるのでしょうか)
飯田光子
私は車で出かける住職に声を掛けることがあります。
「行ってらっしゃい。気をつけて」
と、ある時思ったのです。この言葉は本当に相手の身体のことだけを気遣って言っているのかしらと。それだけではなくて、もし事故でも起こしたら、私の身に大変な負担が振りかかるのではないか、との心配から言っているのではないかと。
子どもの高校入試の時もそうでした。
「どこの学校でもいいよ」
と、口では調子の良いことを言いながら、心では少しでも優秀だと言われている学校に受かって欲しいと思っていました。私の虚栄心を満足させて欲しいと願っていました。
私の母に対しても同じです。いつもは余計な手出し、口出しはして欲しくないと思っているのに、ゴミ捨てやトイレを掃除してくれる時は、余計な手出しとは決して思わないのです。何事も、自分の都合でしか物事を考えることのできないのが私の姿です。
そんな私に「それでいいのか」と問うてくださるのが仏さまだと教えていただきました。
自分勝手な思いに縛られて、相手に対して怒ったり疎ましく思ったりしてしまう私に、今日も「それでいいのか」と、仏さまの問いかけが聞こえてきます。
藤岡真
年が改まりまして、2月下旬を迎えました。「もう2月も終わりか、早いものだなぁ」というのが正直な気持ちであります。
「子どもの頃の一日は短いが、その一年は長い。それに対して、大人になってからの一日は長く、その一年は短い」と言われます。なるほど、子どもの頃の一日は短く、特に休みの日に少し遠くへ遊びに出かけた時などは、その感じが強いようです。夕暮れ時になり「そろそろ帰ろうか」と声を掛けると、必ず「もう帰るの」と抗議の声が返ってきます。あっという間に過ぎていく一日の積み重ねですが、その一年は様々な経験をし、様々な点で成長を遂げています。一年を長く感じているようです。子どもにしてみれば「まだ2月」と感じているのかもしれません。
一方、大人になってからの一日は長く、特に急いでする用事が少ない時に強く感じます。ひと仕事を終えて、時計に目をやると「まだこんな時間か」と思うことがあります。そうこうしている間に月末や年末となり、いつでもできるからと、放置してきた些細な用事の多さに驚くことになります。と同時に、できる時に済ませておけば良かったと後悔し、無為に過ごした日々を虚しく感じます。一年は短いと言わざるをえません。
しかし、時間の長さは子どもも大人も同じはずです。それにもかかわらず、時間の長さの感じ方が違うのは、日々の出来事の受け取り方が違うからではないかと思います。子どもは何にでも興味を示し吸収していきますが、大人ではそうはいきません。
さらに、ある出来事は価値の低いもの、為すに値しないものと受け取ったり、あるいは、何かをしている時間は有意義だが、それ以外の時間、無為に過ごした時間には意味がないとする受け取り方がいたずらに長い一日を作り出し、日々の生活を虚しくしているのではないでしょうか。
些細な出来事とは、自分がそう判断したに過ぎず、私の身に起こるすべての出来事は、すべて私の為になるものです。その意味で教えにあった先人たちが「ようこそ、ようこそ」と何事も受け入れた態度をこそ、生活の指針とすべきだと思います。
山口晃生
お寺さんへ参りますと法義相続のポスターが目につきます。法義とは、お釈迦様や親鸞聖人の教えを我が身にいただくことでしょう。では、相続とは何でしょうか。
一般に相続と言いますと相続税、あるいは遺産相続を連想しますが、仏教では「非連続の連続」と理解します。例えば一本の蝋燭(ろうそく)に火を灯しますと、やがて燃え尽きて無くなりますが、消える前に次の蝋燭、また次の蝋燭と炎を移し続ければ永遠に燃え続けます。同じように私のいのちも太古の昔から代々受け継がれ、今たまたま両親を縁として私の番を生かされているのです。
人として生まれ、生きてきた。そして、今も生きている。それはそれで価値のある素晴らしいことではありますが、それだけでよいのでしょうか?
昨年の秋に本山へ参りました。そして動座式以来使われていない御影堂(ごえいどう)の人気のない広々とした畳の上に、たった一人で座っておりますと、改めてその偉大さを実感します。そして、長い歴史の中でどれだけの人がここに集い、合掌し念仏申したことだろう。教えに出遭ったことだろう。また、この本山を命がけで護持してきたことだろうか。そんな先人の思いに触れる時、この度の御修復を私たち門徒の力で完遂させること、そのための浄財を出させていただける時代(とき)に、こうして生きていることをむしろ喜びたいと思います。そして彼らが「真実の拠(よ)り所」として大切にいただいてきたこの真宗の教えを、今一度真剣に聴聞し「生まれた意義と生きる喜びを見つけよう」というテーマを受け止め、念仏の教えを後世(ごせ)に引き継ぐことこそ法義相続であり、いま生を受けている私たちのすべき最も大切な仕事ではないでしょうか。
やがてお待ち受け体制に入っていきます。これを機縁として御同朋の皆様と共に益々聞法に精進したいと思うことであります。
檉歩
昨年4月より桑名別院の列座として勤めさせていただくようになり、正信偈等のお勤めをする声明や法要の儀式・作法を学ぶ機会が多くなりました。その中で声明というものは実に奥深いものだと感じるようになりました。
最近ではカセットテープやCD等でもお勤めの練習ができるようになってきました。もともと声明を学ぶ方法は、口伝だと言われております。口伝とは、人と人との間で直接言葉によって伝わってきた歴史のことであります。
仏教の始まりは、釈尊の教えを聞いていたお弟子が、釈尊が亡くなると、弟子から又弟子へと釈尊の説法が伝えられてきました。ですから、声明も先輩から伝えられたものを後世に伝えていくことが大切だと言われています。
その中で伝わってきた声明は、今もたくさんの先生のいろいろな教え方があります。そのため人それぞれの聞き方、理解の仕方、称え方によって少しずつ変化してくるので、教わる私としては混乱することがよくあります。しかし、先生方の声明も合っているとか、間違っているとかということは言えないのではないかと、最近、思うようになりました。
もともと一つの称え方だった声明が、たくさんの先輩方や時代、地域の中で伝わってきました。私の地域では、他宗派のお勤めと混ざって困惑することもありますが、それはその場所で伝わってきた口伝の歴史ではないでしょうか。
これからたくさんの先生のいろいろな教え方に出会うと思います。その一つひとつの教え方は今日まで人から人へ脈々と受け継がれてきた生きた声明の歴史として受け止め、お勤めをしていきたいと思います。
藤本愛吉
私が初めて生きたお念仏を称えておられる方に出会ったのは、もう30年以上も前のことです。その方は私の通信教育の大学時代の先生でしたが、先生に出会って初めて、私は深い驚きと共に自分に不安を覚えたのでした。
教室の前に立たれている先生の存在、また静かにお念仏を申されながら話される言葉の一つ一つが私を強く引きつけて止まないのです。思わずノートをとらずにおれないような何かが、先生の言葉の響きにありました。
そのお話の中でも、鳥の一生になぞらえた、人間の深い目覚めの生のお話を聞いて、「ああ、私も先生のところにある、深い確かな目覚めをしたいなぁ」と素直に思いました。
先生はインドの詩人、タゴールの言葉を引用されて、次のような話をされたのでした。
「ヒナは自己中心に孤立した卵の殻を破って出て、光と大気の自由を勝ち取り、鳥の生を成就する。殻は、外にどんな広い世界があるかを見えなくしている。その中はどんなに快くても、それは一撃を加えて打ち破らなければならない」(R・タゴール『生の実現』)
こういうお話しを通して私は初めて、人間は目覚めていくものであるという性質があることを知らされ、鳥の生の誕生のように目覚めていくことが、いのちの秘められている願いだと知ったわけです。
その目覚めていくいのちが「無量寿」と言われているのです。「無量寿」について、信国淳先生は「私どもは自我意識に生きる者としていのちを私有化し、私物化しながら、それをそれぞれ自己一人だけの生きる《命》(みょう・いのち)にしてしまっているのですが、しかしそういう私どもも、皆等しく、皆悉く、同じ一つのいのちを与えられてこそ生きることができているのですね。その同じ一つのいのち、それが無量寿といういのちなのです。それがアミダ(a-mita)なるいのち、つまり無量寿と言われるいのちなのです。」と示せれています。
共にここまで目覚めていきたいと思います。
渡辺恵
今年も多くの方が、神社仏閣へと初詣に行かれたことと思います。初詣は、日本人の習慣になっていますので、何の疑問もなく行かれると思います。
そこで、一度初詣の中身について改めて考えてみたいと思います。
初詣の目的は何かといえば、神仏に祈り願うことです。何を願うかといえば、無病息災、商売繁盛などで自分の都合です。願いというと聞こえはよいですが、中身は欲ということでしょう。祈り願うことの中身についての意見が朝日新聞の読者の声の欄に載っておりました。それには「請求書付きの祈り多すぎる」という表現がしてありました。初詣の内容を言い当てられている意見であると興味深く読まさせていただきました。この請求書付きの祈りの内容とは、私の願いで中身は欲ですから、私の思い通りになりたい勝手な思いです。何故思い通りになりたいと願うかといえば、思い通りになることが幸せになれることと思い込んでいるからです。そうなりたいと神仏に対して請求書ばかり出しているということです。
しかし、無病息災を願うということがありますが、考えてみれば現実は老病死の人生を生きているわけですから、無病息災は不可能なことになるわけです。請求書は出すが、それに対する領収書を受け取れないのは、請求書の方に問題があるからです。請求書を出している者自身の問題はどうなっていますかと、逆に仏さまの方からの請求書を受け取らない限り、本当の領収書はいただけないはずです。その領収書とは、自分の思い通りになりたいと請求書ばかり出している私が、請求書を出す必要のない私であったと仏さまの教えを通して気づかされることではないでしょうか。
初詣を縁として我が身の在り方を考えていただきたいと思います。
真宗大谷派(東本願寺)三重教区・桑名別院本統寺の公式ホームページです。