030これでいいのだ

片岡健

天才バカボンなどで有名な漫画家の赤塚不二夫さんが去る8月2日に亡くなられました。赤塚さんの葬儀ではタレントのタモリさんが弔辞を読み、テレビでノーカット放送されました。その弔辞を少しだけ引用させていただきます。

あなたはすべての人を快く受け入れました。そのために騙されたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち「これでいいのだ」と。

以上が弔辞からの引用です。「これでいいのだ」は天才バカボンのパパの台詞ですが、私たちはなかなか「これでいいのだ」と、物事を受け入れていくことはできませんね。何か不都合が起こると、私たちは後悔したり他人を恨んだりします。「あいつが悪い」「あいつさえ居なかったら」などと恨みと憎しみがいっぱい出てきます。そして自分自身を「重苦しい陰の世界」に閉じ込めてしまっています。

どんな状況になろうとも「これでいいのだ」と受け入れる。もっと言えば「これでいいのだ。南無阿弥陀仏」と受け入れる。これはお念仏の世界に生きるということではないかと聞かせていただいたことでした。

029祖母の死

海雄二

今年の夏に祖母が亡くなった。

医師の診断によると老衰であり、水を飲まず食事をとることもなく、2週間ほど意識はなく、ただ、心臓のみが動いている。個人の意思とは関係なく、もう十分ではないかと思っても、止まることはない命。

その傍らで看取る私は、子どもと一緒に、祖母が息をしているのか不安に見守る中でも「腹が減った。何かないの」と自分中心で自分自身の力で生きていると錯覚していることにさえ気づかず、ただ毎日を送っている。そんな中での祖母の死。子どもたちは、最後まで祖母のそばにいて、人の死に出会った。

しかし、火葬場で火葬された祖母を見て息子は「おばあちゃんは、恐竜の化石と一緒だね」と無邪気に皆の悲しみを吹き飛ばし、娘は娘でどの部分がどんな骨なのか興味津々で観察していた。

その後二人には、あの瞬間について特に何も聞いてはいない。けれど、きっと何か感じていただろう。あの時、共にいた私自身は祖母の姿を見て恐れていた。自らが老い、そして死ぬ不安から目をそらしてしまいたかった。

しかし、逃げることはできない。逃げられない。それは、生まれ、老い、病み、死ぬことが私自身であるのだから。そのことを、自分自身の事実として受け入れていかなければならない。

このような日々の生活の不安や病老死への恐れに惑わされる生活から、事実を事実として見つめ生活していくには、何が必要なのだろうか。

蓮如上人はこのような言葉を残されている。

仏法には、明日と申す事、あるまじく候う。仏法の事はいそげいそげ(真宗聖典874頁)

この言葉は、祖母の死を通して自らを省みた時に、日ごろの忙しさに紛れる中でお念仏を忘れ、惑いの中にいる自分自身の在り方を問い、聞法していく生活が、あなたにとって大切な出発点であるのだと私に呼びかけている。

028「聞く」ということの大切さ

石川加代子

「ねぇ、ねぇ、ねぇ…」

彼岸花が燃えるように咲く坂道で、少し耳の遠くなった祖母に駆け寄りながら、何度も何度も呼びかけた幼い記憶がよみがえります。やっと振り返った祖母は、満面の笑顔で私の目の高さまで顔を近づけて「耳が遠くなったけんね。しっかり向かわな聞こえんよ…」
あれから数十年。夫からも子どもからも、家族全員の「ねぇ」に追いかけられる毎日です。でも、忙しさという大義名分を振りかざし、聞く前から耳をふさいでいるような有様です。

あの時、本当に聞こえ辛くなっていた祖母と、実際は聞こえているのに聞こえないふりの私。中途半端で聞いているから聞こえなかったり、自分の思いでしか聞かないから、ひどい誤解が生じたり、話の腰を折るようなことを平気でしたり、つまり、いつも自分の都合でしか聞いていない私です。

「しっかり向かわな、聞こえんよ」

毎年、田の畔に群生する彼岸花を見るたびに、その圧倒的な存在感を示す紅色とともに、祖母の言葉が呼び起こされます。いつも言い訳ばかりしている私に、生活の中で「聞く」ということを通し、自分のありようを、改めて問い返されたようでした。

真宗では「聴聞(ちょうもん)」の「聴」と「聞」の意味について述べる時、特に「聞」は「聞こえる」という時に用います。「おのずと聞こえてくる」という意味から「聞即信(聞こえた時が信ぜられた時)」と言われるほど重要な意味合いをもつそうです。

「思いを越えてそこに私があるという事実」その大切な呼び声にさえも、すっかり耳をふさいでいたようです。今一度、そのことに真摯に向かい合い、彼方からの声に耳を傾けてみたいと思いました。

027桑名別院

荒木智哉

私が桑名別院の法務員になって3ヶ月が経ちます。勤務をしていると参拝に来られる方々の前で、桑名別院の歴史についてお話をさせていただく機会があります。歴史に触れる中で、別院がこの地域に生活する人々にとっていかに重要な場所であったかということを改めて考えさせられます。

まだ織田信長と一向一揆勢が激しい対立をしていた頃、別院は「今寺」と呼ばれていました。伊勢・尾張・美濃の三カ国の要(かなめ)の地である長島には「願証寺」という、この地域における儀式・教学の中心地とされる寺がありました。しかし、その願証寺が信長によって滅ぼされると、その役目は桑名別院に引き継がれました。

真宗高田派に伝わる『親鸞聖人正明伝』には、親鸞聖人が桑名の地を訪れたという話があります。桑名で一泊された時、地元の漁師が「殺生に携わる仕事を商いとしている私たちはこのような罪の身で助かるのでしょうか」と尋ねます。すると聖人は「弥陀の本願を信じて、お念仏を申せば善人悪人を問わず、あらゆる人々は救われます」と答えられたという話です。もしかしたらこの漁師は親鸞聖人の初めてのお弟子であったかもしれません。

その後も桑名別院は重要な役割を果たしていくのですが、昭和20年7月17日未明のB29の空襲によって市内の八割が焼け野原となり、別院は本堂も含めて跡形もなく燃えてしまいます。しかし、驚くべきことに戦後間もなく、まだ自分たちの家さえも建たず、日々の生活もままならない中で、桑名別院は5年後に再建されます。そこに込められた門徒の方々の願いとはいったいどのようなものだったのでしょうか。

私はこう思うのです。みなで勤行し、親鸞聖人の教えを聞くことを通して、日々の生活における悩みや不安など、それぞれが抱えている問題を皆に聞いてもらいたい、それに対して話し合いたいという思いが湧きあがり、その中心として別院という場が必要となってきたのではないかと。

私にとって別院はどのような場であるのか、そこに関わる者としての問いをいただいた気がします。

026「生」の公開と「死」の隠蔽

米澤典之

妻の出産に立ち会いました。

夫が分娩室に立ち会うことが一般的でなかった時代からすれば、限定的ではありますが、その現場が公開されるようになったといえなくもないのでしょう。そのような意味で誕生の現場が公開されてきたのに対して、臨終の現場はどうでしょう。

現代は「死を隠蔽(いんぺい)する社会」だという表現があります。かつて、畳の上で家族に看取られながら迎えた最期の時は、いまひっそりと病院の個室で迎えるのが一般的です。さらには通夜も葬儀もしない直葬や家族葬が流行し、友人や知人、果ては親族の死の事実を年末の「喪中葉書」によって初めて知るような現実です。「死の現場」がますます隠されている現実です。

出産の現場に立ち会うことで、「生」と「死」の現場のギャップが引っかかってきたのです。家族の臨終を看取るということは、見ておかずにはいられない、知らずには生きていかれない大切な姿として、その厳粛な場に立ち会わされるということです。その現場から離れるわけにはいかないような間柄を、関係をいただいているのです。

また家族を看取ることは想像できても、看取られる側となればどうでしょう。その姿を見せたくない、見られたくないという思いもあるかもしれませんし、現実的には子や孫がそろって臨終に立ち会えるような状況を整えることは困難なのかもしれません。たとえそうだとしても、せめてその遺体に触れる場が欲しいのです。その現場に立ち会うことでしか、その触れた感覚でしか伝わらないことがあるのです。

「死人」を遠ざけてはいけない、同時に「老人」や「病人」を遠ざけてはいけない。それを私自身が実践していかなければなりません。若く健康なつもりでいるときはそう言えても、老いは老いのまま子の手を握ってやれる、病には病のまま孫の手を握ってやれるような自分であるかが問われてきます。いつまでも若く健康でいたい、またそうやって見られたい自分なのでありましょう。

だとすれば、氏を隠蔽しているのは社会ではなくて、老いを隠そうとし、病を隠そうとし、若く振る舞い、健康がすべてであるかのごとく振る舞おうとする私こそが、死を隠蔽する張本人として見出されてきます。

「生」を公開し「死」を隠蔽するというのは、どこまでも「生」と「死」を切り離したところの発想です。オギャーと生まれてきた生命は、誰一人として例外なくそのまま「死」が約束された生命です。私たちは「生」と「死」を切り離さず、「死」に裏付けられている「生」と、「生」に裏付けられている「死」を見つめる視座をいただいています。

025老いを生きる

伊藤宣章

若くして亡くなった方のご法事にお参りさせてもらった時のことです。亡くなられた方のご兄弟が遺影を見ながらこのように言われました。

「ずるいよね」

その一言があまりに意外で、どうしてずるいのかお尋ねしたところ、「思い出の中でいつまでも若いままの姿で微笑んでいるのに、私はこうして自分の体に悪い所や不自由なところが出てきてどんどん年老いていってるんですよね。それでずるいと思っちゃうんです」と答えられました。他の兄弟たちも頷いています。聞けば、「いつまでも思い出の中で若いのはずるいという気持ちと、それに引き換え自身は年老いていくのが寂しいという気持ちは同じようにあるんです」とのことでした。

兄弟みんな仲が良くお互いの家族も一緒に食事に行ったり旅行に行ったりしていたそうです。ずっと一緒に生きてきた人が先にいなくなり、残された自分自身のことを思わずにはおれないのでしょうね。正直なお気持ちなのでしょう。若いままの亡き人を羨ましく思い、年老いていく自身は残念であると。

しかし、若さが羨ましく老いが残念ということが決まりであれば、必ず年老いる私たちはこの世に残念無念の人生を送るために生まれてきたということになってしまいます。年老いていけば若い時には気にもならなかったことが心配になってくるでしょう、不安にもなってくるでしょう。「今のまま」がいつまでも続くとは思えなくなるのです。

そんな私たちが亡き人を通して「残念無念の人生のためにあなたは生まれてきたのですか?」というメッセージをいただいたのです。メッセージをいただいた私たちには「このままでいいのだろうか」といった思いが湧いてきます。

その昔、老病死の姿を見た王子は世の非常を悟り、道を求めて釈尊となりました。生死出ずべき道を求めた青年は後に親鸞と名告(なの)りました。

「このままでいいのだろうか」という思いは、実は大切なことなのかもしれません。

024『女犯偈(にょぼんげ)』に思う

酒井誠

親鸞聖人の肖像画の一つに『熊皮(くまがわ)の御影(ごえい)』があります。たいへん厳しいお顔のその肖像画に『女犯偈』と一般にいわれる文が書かれています。

行者宿報(ぎょうじゃしゅくほう)にてたとい女犯すとも、我玉女の身となりて犯せられん。一生の間能(よ)く荘厳して臨終に引導して極楽に生ぜしむ(真宗聖典725頁)

という文です。その文は私たちに何を教えているのでしょうか。

女犯は性に関わることですが、私たちは性をタブーとし直視しようとしません。性を語る時には恥ずかしさや自分の品位を落としてしまうのではないかと感じたりします。また性を語りすぎると煩悩の固まりと言われたりします。性欲ということもありますが、愛という姿でお互いを求めていく場合には美しさももちますが、同時に支配欲とか嫉妬というドロドロとした面もあります。そして他人を排除することさえあります。思い返せば私たちの人との関わりは煩悩においての関わりなのでしょう。

つまり自分の都合のいいように人を利用します。その関わりの中でも特に女犯、性に関しては、食欲や睡眠欲、物欲に比べ人を求めますから、煩悩が渦巻きます。それが私たちの裸の人間存在なのです。そのことに自己嫌悪という形でかすかに気づくことはありますが、その時は暗くなってしまいます。

『女犯偈』が私たちに教えていることは、「煩悩の我が身を汚い醜いと貶(おとし)め嘆く必要はない。煩悩の身のまま明るさと歓びを回復していく世界へ促してくださる。それが如来のお心だ」ということです。そのお心に触れて人と人とが共に出遇い、共に敬える世界が開かれるのでしょう。

023本当の言葉

三枝明史

「生きていてくれてありがとう」これはある映画の中の台詞です。自分は生きていてはいけない人間なのではないかという罪悪感を抱えて、周囲の人々とも積極的に交際できなかったヒロイン。そんな彼女が好意を寄せる男性に、自分の身の上や心の苦悩や葛藤や思いの丈をぶつけます。その時、男性の口をついてこぼれ出たのがいまの一言でした。この一言によって、彼女は自分は生けていてもいいのだと、初めてこの世界を信じることができたのです。そして、彼や周囲の人々に対して心を開いていくのでした。

「生きていてくれてありがとう」という彼のこの一言が、どうしてヒロインの心を変えたのでしょうか。それはこの言葉が無条件の言葉だったからでしょう。彼女の過去も苦悩も、彼女のすべてをそのままに受け止めて、そのままに肯定する。そこには「こうすればよかったのに」とか、「そんな考え方は間違っている」とかというような感想や批判は一切ありません。ましてや変な計算などもありません。その人の存在のすべてを無条件に認めて包み込む、そんな言葉だったからではないでしょうか。彼女の「いのち」はこの言葉に出遇うことをずっと待ち望んでいたのかもしれません。そんなふうに私は思いました。

仏教では「染汚(ぜんな)」といって、人間の言葉や行動に厳しい見方をしています。行動は計算絡み、言葉は条件絡みであると。だから汚れているのだと、人間であることの罪を指摘しています。確かにその通りで、「百点を取ったら良い子である」とか「製品のコストはいくらで」とか、この世界の言葉は条件付きばかりです。私たちはそんな言葉に振り回されるばかりで、いつしか心をすり減らし、生まれてきたこの世界や人間を信じられなくなったり、憎んでいったりするのでしょう。

人生のどこかで私たちの全存在をそのまま認めるような、そして無条件に認められていると信じられるような、そんな言葉に出遇えるならば、私たちの世の中に対する構え方も変わるのかもしれません。

私たちの阿弥陀如来のご本願は「私の名を呼ぶすべての人を、その人のそのままで、救わずにはおかない」という無条件の言葉です。本当の言葉との出遇いこそが本当に人を救うのではないでしょうか。そして、現代こそ本当の言葉が切に必要とされているのではないでしょうか。

022子育てに学ぶ

山田智津子

先日、地域の奉仕作業があり、近所のおじいさんがお孫さんを連れて参加されました。おじいさんはお孫さんに金バサミの持ち方や使い方、ごみ袋の持ちやすい方法など一つ一つ丁寧に教えておられました。お孫さんの母親は「家のおじいさんは子どものこととなると小さなことまで世話を焼く」と不満そうに話されたことがあります。母親の言葉を思い浮かべながら、なるほどと眺めていました。しかし、目の前の子どもがおじいさんに教えてもらった方法を繰り返し楽しそうに実行する姿を見ておりますと、自分は子どもの立場ではなく、母親の立場から見ていたことに気づきました。

分かっていることを何度も言われると口うるさい、やかましいと反発をされそうですが、経験の浅い子どもたちには口うるさいほどのきめ細かい手ほどきが大切なのです。できて当たり前と思うことも初めは教えないと分からないのです。近所の人たちも「車が来たから危ないよ」とか「草の上は滑るよ」とか会話しながらも、目線は子どもに向けられておりました。立場を変えることによっていつも目にしていた光景が違って見えてくるのです。自分の都合で人の善し悪しを見て、自分の受け止め次第で善き人にも悪き人にもなってしまうのです。

以前、すべての方が自分を育ててくださる「親さま」であると聞いたことを思い出しました。核家族化が進み近所との付き合いも薄れ、子どもが育つ生活環境が大きく変わってきたこの頃、周りの人に助けられ支えられて育つことの大切さを痛感いたします。しかし、振り返ってみますと私自身も口うるさいやかましいと反発しながら、このように育てられてきたのです。そして今現在も煩わしいと感じる人間関係を、実は自分を育ててくださるご縁としていただいているのでしょう。「親さま」という言葉に込められた意味を子どもの姿から教えられ、共に喜び合う「ありがとう」の言葉が増える人間関係を築きたいという願いが起こってまいりました。

021蜂

鈴木勘吾

先日、アパートの外で子どもが騒いでいました。「お父さん、蜂がおるに!」私は慌てて殺虫剤を手に走り出て軒下を見ると、足長蜂が巣を作っていました。殺虫剤をシュート振りかけて、落ちてきた蜂を靴で踏みつけ、巣も棒で突いて落としました。子どもたちが刺されなくて良かったと安心しました。「蜂は人を刺すで、退治せなあかんのや」と長男の声がしました。それは私の本音でもありましたが、おや?と疑問に思いました。蜂は悪くありません。私の都合に合わないだけです。私に不利益を与えるかもしれないので、予防措置として駆除しました。そのことを子どもに伝えました。

「蜂は悪くないよ。お父さんが刺されたくないから、先に退治しただけ。もし家の近くに巣を作らなかったら、退治しなかったよ」子どもは自分が叱られたのかと、怪訝な顔をしながらも「ふーん」と答えました。

蝶や甲虫なら捕まえて虫かごで飼うでしょう。蟻ならそのまま捨て置くでしょう。虫に良し悪しはありません。自分にとって良く見えたり、悪く見えたりするのは「こうあって欲しい」」という自分の都合で見るのであって、思い通りなら「良い」そうでなければ「悪い」と決めてしまいます。「良し悪し」を決めるのは私の思いでした。

物事が思い通りになれば「当たり前」としてやり過ごしますが、当てが外れると、落ち込み、怒り、時には自分以外のものを攻撃します。挙句、自分の思い通りになる世界を夢見ていたことに気づかされました。

真宗大谷派(東本願寺)三重教区・桑名別院本統寺の公式ホームページです。