006迷信

栗田龍麿

今年の正月過ぎ、50才前後の女の人が相談があると言って訪ねてみえました。この女性は、東北出身で1年程前私たちの地区へ引っ越してきた方で、去年、東北地方に住む母親と妹が相次いでで亡くなったそうです。

それで妹さんの看病に行った際、なぜこんなに不幸が続くのかと、占い師の所に行ったところ、占い師から「水子の霊がたたっている」と言われたそうです。この女性は若い時に流産しており「本当にそんなことがあるのですか」と相談にみえたのです。

それでいろいろ話し合ったのですが、私が「あなたは子どもや親に悪いことがあるように思ったことはありますか」と尋ねたところ「そんなことはありません」という返事でした。「それならこの世に生まれなかった子どもも、あなたとは親子の関係であり、親の不幸を願っていることはないのでは」と話したところ「ああそうですね」と納得して帰られました。

私たちは日常生活の中でいろいろな問題にぶつかります。それを背負いきれないため原因を外へ外へと求めていくことによって、ますます苦しみの中へ入っていくのではないでしょうか。いろいろなことが起こって、うろうろするその自分を法に問うのが聞法です。

安田理深先生は、信仰とはすべてのことを背負える肩を与えられることだと教えておられます。

005俄雨(にわかあめ)の如し

長崎慶麿

親鸞聖人が書かれた『高僧和讃』の中に「濁世(じょくせ)の起悪造罪(きあくぞうざい)は 暴風駛雨(ぼうふうしう)にことならず 諸仏これらをあはれみて すすめて浄土に帰せしめり」という和讃がございます。(真宗聖典494頁)五濁悪世の衆生が、互いに自分の考えを正当化し、他人を非難して、他の立場に耳を傾けようとしない。そのことによって、人間不信に陥り自分中心にしか生きられなくなってしまう。人々は不健康になり、人として生きる喜びがもてなくなって本当は幸せを求めているのに、かえって不幸の因ばかりつくっているような、そういう我々の生活は、暴風駛雨の如くであると。暴風は台風のこと、駛雨は俄雨のこと。その暴風駛雨ということと我々の生活と全く同じことだといわれるのです。

同じ事柄であっても、我々の根性は、機嫌のいい時には素直に聞き入れることができるが、機嫌の悪い時は素直に聞き入れることができない。例えば、今まであんな善い人はいない、本当に信頼することができる人だと言っていたのに、ちょっとしたことから、その人を疑ったり憎んだり、陥れようとしたりします。本当に我々人間の根性はお天気のようなもので、何時どうなるか分からない。まさに「俄雨の如し」ではないでしょうか。

今日、イラクへの支援問題・北朝鮮の拉致問題・その他の諸問題も、国の為、人の為という美辞麗句を並べ立てて、対処しようと努力しているようですが、その中身というと、国対国、人対人との思惑がからみ、虚々実々の駆け引きの中で、自国を、自分を善しとする私心でもって対処していることも、暴風駛雨に異なることがないと、諸仏は見抜いておられるのです。そういう哀れな生き方しかできない我々のあり方を「お前らよ、本当にそれでいいのか」「どうか本当のことに出遇ってくれよ、お念仏申せよ」と叫び続けてくださっておられるのが、このご和讃ではないでしょうか。

004浄土往生

北畠知量

往生とは、往って生まれると書きます。もちろん、それは浄土に往って新たな人間として生まれるということです。けれども、そのことが具体的にどういうことを指すのかは、今日ではきわめて分かりにくくなっていますね。

浄土真宗でいうところの往生とは、今ふうに言えば、「自我の世界」から「自我に執着しなくてもよい世界」に往って生まれるということになるでしょうね。

私たちには「自我」というものがあります。私たちは表によそ行きの面を着け、内では様々な計算をめぐらし、生き甲斐なるものを求めてがんばって生きています。その生き甲斐の中身をよくよく考えてみると、要するに、元気で長生きして威張りたいということに尽きるようです。

親しい人が亡くなると、悲しいけれども元気で生きていることを密かに喜ぶ自分がいます。つましく暮らしている人を見ると、「そこまで倹約しなくてもいいではないか」と思い、自分の何気ない贅沢にかすかな優越感を感じます。「人さまに喜んでもらえたらそれでいい」というボランティアでも「何もしない人よりはましだ」と威張っているものです。それが私たちの自我の姿なのです。

往生とは、そんな自我の生き方に執着せず、そんな生きざま全体を笑って見ておられるような心の世界に往くということなのです。私たちは、心の底から響いてくるいのちの声に耳を傾けながら、浄土往生を願うべきであります。そして生きているうちに、一度は浄土に往生すべきであります。自力を棄てれば、往生は決して難しいことではありません。

003お年玉

藤井慈等

親鸞聖人の書かれた『教行信証』の「信の巻」に、『涅槃(ねはん)経』という経典の言葉が引かれています。それは「慙愧(ざんぎ)あるがゆえに、父母・兄弟・姉妹あることを説く」(真宗聖典258頁)という言葉であります。

慙(ざん)も愧(き)も「羞(は)じる」という意味ですから、慙愧というのは「頭が下がる」ことだと教えられています。つまり頭が下がるところに、人と人との本当の繋がり、出遇いが生まれることであります。

私は今、一週間ごとに、昨年暮れに亡くなったあるおばあさんの中陰のお逮夜にお参りしております。実はそこで、この「慙愧」という言葉を紹介したのです。そうしますと、それを聞いておられたおばあさんの息子の一人が、こんな話をしてくれました。多分、お葬式が終わった後のことでしょうが「おばあさんもこれで楽になったんじゃないか」と、夫婦で話をしていたそうです。ところが、それを聞いていた子ども、おばあさんの孫が、「あんたら、何ということを言うとるんや!」と、泣いて怒って抗議したというのです。そこで、このおばあさんの息子は「子どもの一声で親のほうが教えられました」と、語ってくれました。

私はそれを聞きながら「あんたら、何ということを言うとるんや」という孫の言葉が「楽になった」ということと、その人の一生涯をどう受け止めるかということとは、問題の相が違うということを照らし出す「いのちの叫び」に聞こえました。実際、その人になってみなければ分からない、一人ひとりの重い人生を生きています。ところが、その生涯に頭が下がるというよりは、いろいろと評価し、意味づけ、それによってむしろ自らを無罪放免にする、限りない自己否定が覗いてくるのです。

いくらかの人生経験や聞法経験を答えとして、そこに腰を下ろしている私たちの小賢しさを「あんたら、何ということを言うとるんや」と一喝する、そんな仏さまからのお年玉をいただいたように思いました。

002願いに気づくと「頭が下がる」

田代俊孝

「南無というは帰命なり、またこれ発願回向(ほつがんえこう)の義なり」(真宗聖典840頁)

蓮如上人の『御文(おふみ)』に再々引かれる善導大師のお言葉です。理屈ではともかく、この言葉の意味こそが私には長らく頷けませんでした。なぜ、南無が発願回向なのでしょう。

ある時、大学へ行っているわが子たちの振る舞いを見ていてふと感じました。毎月の仕送り以外にも、あれこれとお金をねだるこの子たちは、親をどう思っているのだろうか。親は子を育てて大学へやるのは、当たり前だと思っているのではないだろうかと。親は子に奉仕するものと思っているのではないだろうかと。

思えば、この私も学生時代にそう思っていました。この歳になってようやく、親の願いに気づいて頭が下がります。田舎の小さい寺の住職をしていた父が、どうして男三兄弟を大学まで行かせることができたのでしょうか。今、自分が子を持ってようやく親の願いが受け止められました。

仏の願いもまた同じことかもしれません。南無とは梵語のナマズで、インドの人は、今でもナマステと手を合わせてお礼をします。中国の言葉ではそれを帰命と訳します。帰命とは「頭を下げる」のではなく「頭が下がる」との意味です。仰ぐべきものに出会った時に、自ずと頭が下がるのです。私たちは自分の力で生きているんだと力んでいます。その私の自我が砕かれ、絶対無限の妙用(みょうゆう)に生かされ、支えられていると気づかされた時、つまりその大いなる願いに気づかされた時、南無と頭が下がってくるのでしょう。

南無とは、まさしく法蔵菩薩の発願された願いが回向されてきた姿だったのです。もちろん、そこに報恩の情も湧いてくるのです。

001呼応するいのち

出雲路善公

新年明けましておめでとうございます。皆様方は昨年どういう年を過ごされましたでしょうか。私たちを取り囲む社会状況にはずいぶん様々なことがありました。年頭の言葉として、「呼応するいのち」ということを述べました。昨年師走に入り、一年間を振り返るにあたり、心に浮かんだ言葉です。

例年のごとく年末が近づいてきますと、あちらこちらから「喪中につき年始のご挨拶は失礼いたします」という寂しい便りが何通かまいります。その便りを手にしました時、思いは種々動きますが、年頭の挨拶は年に一度の挨拶である場合でもありますので、私は申し上げることにしております。かつて金子大栄先生が「この年になると、年々親しい老若男女が亡くなっていかれます。年々彼の土はにぎやかになりますなあ」とおっしゃっていたことを思い出します。先生が亡くなられてからずいぶん久しいことですが、年末年始になりますと、いつも思い出される言葉です。生きてある人々に思いをはせ、すでにこの世には亡き人々を憶念されている先生のご心情が偲ばれるお言葉です。いのちは、人の思いを超えたものだと教えられておられます。その通りだとうなづかされます。思いを超えたいのちであるならば、生死をも超えているに違いありません。生死をも超えて呼応するのは当然のことでしょう。思い、分別を超えてあるいのちに垣根があるはずがありません。にもかかわらず私たちは老少善悪、貴賎上下、軽重大小などの差別視しかできない自分自身を否定できません。年々歳々、垣根を築き上げ、それを一生懸命に補強している、わが身を恥じずにはおれません。蓮如上人は、歳末のお礼に来られた人々には「歳末の礼には、信心をとりて礼にせよ」とおっしゃり、年始の挨拶に道徳には「念仏申さるべし」と応えられたそうです。年末、年始は心改まる時といわれます。その時にまでも、分別・名利の垣根を築き上げてしまおうとするわが心根を戒め、帰命に身をすえ、この一年を過ごして参りたいものです。

037あとがき

『心をひらく』第25号をお届けします。
最近、お世話になった先生がよく口にしていた「姥捨て山」の話が思い出されます。
お話は、単なる道徳的な例え話ではありません。
息子は、村の掟で捨てに行くのだからとか、親が長生きすると子どもの食べ物が少なくなるので仕方がないのだという理屈をつけて、内心は気が進まないけども仕方がないのだと姥捨て山に母を捨てに行きます。なるべく家に帰ってこられないようにと分かれ道を右へ左へと曲がると、必ず曲がったこところで枝を折る母。「家に帰るつもりか」と思い、更に山奥深くまで母を背負っていく息子。母を捨てる場所が見つかって、最後に一言尋ねる息子。「母さん、どうして分かれ道にくると枝を折ったのか」「お前は日頃山に来たことがないから、帰り道迷わないように家の方へ向けて枝を折っておいたよ」と応える母。
殺される者が、殺す息子の心配をしていた。この事実が身に響いた時、母親の思いの中に息子の理屈が吸い込まれてしまった。そこで初めて自分の位置が決まったのです。山に向かっていた足が、具体的に母を背負って主体的に里に向かったのです。理屈や掟を越えて担う主体が誕生したのです。させていただいて喜ぶ主体が誕生した、心がひらかれた瞬間です。このひらかれた心に導かれて、私も生活していきたいと思います。

036生きる目的とは

片山寛隆

慌しい師走が押し迫りました。毎年一年が過ぎるのを早く感じるのは私だけでしょうか。
今年も想像をもしなかったことが次から次へと起こり、その起こったことを問い返す間もなく、次に関心が奪われていくといった時間に追われているのが、我々の日常になっています。

先日も、ある壮年の方が法要の席で「もっとゆとりをもって人生を考え、今を大事にしなければならないことは分かっていても、現実は生活に追われ、それどころではない」と言われました。

日常、生きるということは、厳しく大変な時代であります故に、経済と時間に振り回されていると言っても過言ではありません。一分でも遅れると取り返しのつかないことになったり、また或いは、一分一秒変化する株式市場の報道に一喜一憂するという社会です。

だから、現代を生きるということは、好む好まざるに関わらずそこを生きねばならぬ、故に時間と経済こそが絶対のものであるということがあります。確かに、我々が生きるということの上で、経済は大切であり、最も必要欠くべからざるものの一つでありますが、我々の先人は、このことを「お金は生きる上の大事な手段であって、生きる目的とはならない」と仰っています。

目的とはならないものを目的としてきたと気づかされてはじめて、手段としての経済や時間を見ていく眼をもつことなのではないでしょうか。そのような眼すべてを見て、受け止めてこられたのが、真宗門徒として生きてこられた先人から教えられることであります。

035人身(にんじん)受けがたし

池井隆秀

新聞を見ると、氏名の横に黒い線の入った記事に目がいくようになりました。そして、その人の年齢を自然と見てしまうのです。自分も近づいてきたのかと。

毎日が慌しく、サラリーマン生活を送れば、いよいよ日々の過ぎ去ることの速さを通感します。朝起きて、一日が始まり、職場に出勤し、また我が家に帰宅する同じパターンの毎日、そんな生活をしていると月日は凄い速さで流れていきます。それは、そのまま「空過」(空しく過ぎる)ということに繋がっていきます。そして、そこから生じる大きな問題は、あらゆる事柄に無関心・無感動・無批判な生活に流されることではないかと思います。一度立ち止まって考える時間をもちたいものです。

ご門徒の元気な方が、ある日突然亡くなられました。私たちは、明日が保証されているものとして過ごしていますが、通用しないことです。葬儀を終えた後、いつも次のことについて確認させてもらっています。

一つは、お別れした人との出遇いがあったのかということです。最後のお別れですというのは、出遇いがあってのことです。過去に本当に出遇っていただろうかという確認を通して、これから出遇いが始まるということになるのではないでしょうか。

次に、亡き人は私たちを導いてくださる仏さまであり、決して崇ったりする存在ではないということです。ともすれば自分の都合で、亡き人が私たちを苦しみに陥れる存在として考えていないかということです。

最後に、亡き人は私たちに「お前も死ぬぞ」と教えてくださっているということです。無常のことわりを目の前にさらしてくださった存在です。

この三つの確認を通して、私たちの日常の在り方を問い尋ねることが求められていると思います。受けがたし人身を賜った私たちがどのように生きるのかという問いが生まれます。

84歳のおじいさんのお葬式でした。炉に遺体を収め、扉が閉められました。その時、長年連れ添った方が、突然扉の前で、大きな声で「お父さん、ありがとう」と言われました。その言葉が今も耳の底に残ります。

034時間の花

大谷俊子

12月に入りました。子どもの頃は一年がもっと長かったように思ったのですが、大人になってから一年はどんどん短くなっていきます。

最近、ミヒャエル・エンデの童話『モモ』を読み返してみました。時間泥棒から時間を取り返してくれた女の子モモのお話です。

モモは人の話を聞く天才です。モモに話を聞いてもらっていると、生きる勇気が湧いてきたり、自分の存在の大切さに気づいたりするのです。

ある時、人々は大切な時間を盗まれてしまいました。モモはそれを取り返しに出かけます。途中、モモは時間の源を司るマイスターホラに、なぞなぞを出されます。それは時間について尋ねる、とても示唆に富んだ問題です。今この瞬間はあっという間に過去になる、だから今は無いとも言える、でもこの今があるからこそ、未来が過去に変わっていく、そして過去と未来は現在で一つとなる。モモは見事に時間の意味をとらえました。

この謎解きを読みながら、私の中では、私たちお寺が学ぶ「後生」とか「業」とか「いのち」などの言葉が巡りました。続けてマイスターホラは言います。人間には時間を感じ取るために心というものがある。もし、その心が時間を感じ取らなかったなら、その時間は無いも同じなのだよと。そして、ついにモモは時間の源に辿り着きます。そこは美しい殿堂でした。光の振り子に合わせ、美しい花が咲いてはしぼみ、咲いてはしぼみして、辺りはいい香り、不思議なハーモニーの響きに包まれていました。まるでお浄土の光景に似ています。

ところで、私たちは、夢中になったあっという間を、後では長く感じたり、時間の長さをもてあましていると、後ではほんの短い時間にしか感じなかったりします。この逆さまの感覚も、マイスターホラがいうところの心が時間を感じ取ったかどうかだと思います。振り返った時、時間を感じ取るとは、感動を覚えたということでしょう。私の周りのどんな小さなことにも、モモの見つけた時間の花を咲かせたいものです。

真宗大谷派三重教区・桑名別院本統寺の公式ホームページです。