カテゴリー別アーカイブ: テレホン法話2017年

004 バーバは何処へ行ったんですか

藤波 淳

中陰参りでの話です。御文を頂いた後で、少し話をさせていただき、門徒さんに「何か聞きたいことありませんか」と話し掛けるのですが、なかなか口を開いてはもらえません。

三・七日なのかの時でした。小学生が手を挙げたので、ハッとしました。何を質問されるのか、戸惑ってしまいました。大人なら大体の見当は付きますが、子供の質問は想像がつきません。ドキドキしながら聞きましたら、その子が「バーバは何処へ行ったんですか? 」と質問され、一瞬止まってしまいました。どう答えたらいいのか、頭の中が混乱して解りません。

私は「私にも良く解りません。でも、私はこう思います。君の中にバーバはずっといると思いますよ、どこへも行っていないと思いますよ。君を今までみたいに応援し続けていますよ」と言ってから、本当にこれで良かったのかなと思いながら、その時、たまたま鞄の中に相田みつをさんの詩集を持っていましたので、『命のバトン』という詩を読ませていただきました。

その子に「この詩を覚えておいて下さいね。私の命は私だけのものではありませんよ。たくさんのご先祖が君を応援し続けてるんですよ。だから命は大切なんです。自分の命を大切にできる人は、他人の命も大切にできますよ。苦しくなったり、悩みごとがあったりした時、一人で抱え込まないで、君を包んでくれてる人に話してください。当然バーバにもですよ。」と申しました。子供さんの一言から、住職の仕事の重さを心から感じ取ったご法事でありました。

(三重組・誓海寺住職 二〇一七年二月下旬)

003 いただきます

平塚明子

私は三年ほど前に大谷派僧侶の方と結婚し、在家からお寺に嫁がせていただいたのですが、お寺に嫁ぐまで、終末期医療の現場で管理栄養士として働いていました。

私が担当させていただいていた無菌病棟の患者さん方は、余命数か月と医師から診断された方がほとんどで、みなさん様々な症状、事情でたいへんな方たちばかりでした。

それにもかかわらず、私が「お食事どうですか?」と伺いにいくと、いつも「ほんとうにありがたい、ありがたい、申し訳ない」とおっしゃり、感謝してくださる一人のお婆ちゃんがいらっしゃいました。

抗癌剤治療のため、ほとんど食べる事ができない状況にもかかわらず、病室で一人「いただきます」と手を合わせられていた事を思い出します。そのお婆ちゃんは、癌との闘いに加えて、私が日々当たり前の如くいただいている食事をすることさえ困難な状況にも関わらず、病院の決して美味しいとは言えない食事に対して「ありがたい」と頭を下げてみえたのです。

そんなお婆ちゃんの姿に対して、毎食「いただきます」と手を合せるどころか、評判のいいお店を探して行くくせに、ダイエットのために、何のためらいもなくご飯を残している私がいました。当時の私に、命をいただくという姿勢はどこにもなく、どこまでも自分のことしか考えていませんでした。

真宗大谷派では、食前の言葉として

み光のもと われ今幸いに

この浄き食をうく いただきます

と唱和します。「われ今幸いに」とは、食事をいただけることは決して当たり前ではなく、数えきれないくらいたくさんの命のおかげでいただくことができると感謝するということだと思います。

また「この浄き食」とは、食べられなければまだ生きられた命が、私の犠牲となっていることをしっかりと自覚していただくという意味ではないかと思います。

現代の日本は飽食の時代です。お腹が減ることはあっても、飢えることはまずありません。本当にありがたいことなのですが、私はこの恵まれた状況に、心からありがたいと思っているかと言うと嘘になってしまいます。私たち人間は柔軟性があり、様々な事に対応して生きていく事ができます。様々な環境、条件に対応できるのですが、逆に言えばどんなにありがたいことであっても、すぐに「あたりまえ」に感じてしまうのが私たちだと思います。

幼いころ、に実家の母に教えてもらった、ご飯の前には「いただきます」、ご飯の後には「ごちそうさまでした」と声に出す本当の意味を、二〇年以上たってから、「いただきます」「ごちそうさま」と、合掌しながら一言つぶやくお婆ちゃんのお姿から教えていただいた気がします。

(三講組・養泉寺衆徒 二〇一七年二月上旬)

002 ご縁

伊藤達雄

「ご縁ですね!」

最近、挨拶のように交わされるこの言葉が耳の奥に留まるようになりました。

戦争終結の二年後に生まれ、十一歳の時、(小学生六年生に)伊勢湾台風という未曾有の自然災害に遭い、五千人余りの尊い命が奪われました。この数の中に、父親も、仲良しだった友達の数も含まれています。その後も、事故・災害・自死など、様々な別れがありました。そのような体験から、「死」は自分の意思に関係なく襲って来ると実感しております。

しかし、全ての事象は「ご縁」の催しにより起きる事だと解っていたように思っていたのですが、六十八歳という年齢から来るものなのか、また、死への恐怖から来るものなのか、人ごとではないと、今更ながらに気付かされております。

人間はなぜ生まれて来たのだろうか。そして、何の為に生きていくのだろうか。そんな疑問に答えられたのが仏陀だと教えて頂きました。

生まれてから社会に出る為の知識・教養を享け、成人し、社会人(つまり人生の修行者)として四十数年働き、停年を迎え残りの人生(終活人生)を十二分に「実りある時間」として過ごしたいと思っております。

そんな思いに応えてくださったのは、そうです! 親鸞聖人との出遇いだったのです。このご縁無くして現在の充実感は得られなかったと思えます。

聖人の深い、深い御教えの一つ一つを理解することはなかなか難しいのですが、響いたお言葉に日々感動しております。

「ご縁のままに」と申しますと「どれだけ努力しても無駄だ」と考えることもできるのですが、蓮如上人の『白骨の御文』には、無常は私達が「後生の一大事」つまり人生の一大事を抱えている身であることに、気付かせてくださる「ご縁」であることを教えられています。

また、曽我量深先生の講義集の中には、

人間の世界は、仏道修行すべき尊い世界である。我等の世界は、生死(しょうじ)無常だから、仏道修行に適している

(『曽我量深講義集六』六十八頁)

とも書かれてありました。

親鸞聖人の「念仏のみぞまこと」の言葉をかみしめ、これからも聞法に励みたく思います。

合掌

(長島組・深行寺門徒 二〇一七年一月下旬)

001 「道徳はいくつになるぞ」

田代賢治

明けましておめでとうございます。

本年も三重教区そして桑名別院本統寺をどうぞよろしくお願い申し上げます。

また、昨年末にはたくさんの方々が報恩講をお荘厳くださいましたこと心から御礼を申し上げます。

さて『蓮如上人御一代記聞書』の冒頭にありますように

勧修寺の道徳、明応二年正月一日に御前へまいりたるに、蓮如上人、おおせられそうろう。「道徳はいくつになるぞ。道徳、念仏もうさるべし (後略)」

(『真宗聖典』八五四頁)

と言われたことはよく知られたエピソードです。

この言葉の主意は、他力の念仏とその御たすけの後の感謝の念仏の一念を、臨終まで保つことの大切さを伝えられたものだと言われています。

「道徳」のところを自分の名前に置きかえて「おまえは、いくつになるぞ」と聞かれると、やはりドキッとするのは私だけでしょうか。虚しくムダな日々を、時間を過ごしているのではないかという、後ろめたさがきっとそうさせるのでしょう。

そのことに気づかされたならば、与えられた時間と日々をどう過ごすのか、それが問われてきます。

「道徳はいくつになるぞ。道徳、念仏もうさるべし」との善知識からのおさとしを、阿弥陀仏からのご催促と受けて、これからの一年を過ごしてまいりたいと思うことであります。

南無阿弥陀仏。

(三重教務所長 二〇一七年一月上旬)