カテゴリー別アーカイブ: テレホン法話2011年

037あとがき

テレホン法話集『心をひらく』第33週をお届けします。昨年(2011年)1年間の36人の法話を収めました。今改めて通読しますと、3月11日に発生した東日本大震災に触発されたお話が多いことに気づかされます。自身の実存を揺るがされて、教えを再確認しようと苦闘されたご苦労の跡が窺われます。人間が本当に救われるということはどういうことなのか、真宗の救いとは何なのか、誰もが問い直そうとされたのではないでしょうか。そして、私たちは今もその問いを抱えながら3・11以降を生きています。行動されている方、思索を深めておられる方、生き方はそれぞれですが、皆さまの歩みが言葉となって語られることを期待しています。私事に紛れて発行を大幅に遅らせてしまったことを深くお詫び申し上げます。

036未曾有のいのち

折戸芳章

本年を振り返ると、3月11日の東日本大震災を想い出される方がほとんどだと思います。震災後9ヶ月余りが過ぎて、今なお数千人の方が行方不明のままで「いのち」の確認が取れていません。

この度の大震災を未曾有の激甚災害と言いますが、地球誕生後の何億年の歴史からみれば、このような大地震が何度も繰り返されて現在の地球があるのだと思います。それに比べて、私たち人類の歴史は浅く、3月11日の大震災を今までに一度もなかった出来事と捉えておりますが、私たちが経験していないだけで、地球規模からすれば、大自然がもたらすおよそ千年に一度の繰り返しの出来事の一つなのでしょう。しかし、大震災で犠牲になられた一人一人の尊い命は、地球誕生の何億年前から今日に至るまで、誰一人として存在することのなかった、まさに「未曽有のいのち」なのです。

宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要厳修直前の出来事で、法要が中止と変更される仲、御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」を私に如実に知らせる出来事でした。今年11月の本山報恩講は御遠忌法要の一環として勤まり、法要は終了し、来年2月には御遠忌の総括がされますが、テーマは今後も私の課題としていかなければなりません。

池田勇諦先生が、今年度、三重真宗教学学会総会の挨拶の中で、「大震災を縁にして、御遠忌法要とは何かを問い直すべきであり、千年に一度の大震災だとすると、千年に一度の御遠忌のご縁であった」と述べられていました。50年に一度の御遠忌ですが、未曾有の御遠忌であったのだと思います。私たちは、日常生活の中の些細な一つ一つの出来事さえもが未曾有の出来事であるのに、毎日同じことの繰り返しをしていると錯覚に陥っています。
今一度、大震災と御遠忌を縁にして今年を振り返ってみることができるならば、未曾有のいのちを賜りながら、また新たな一年を迎えさせていただくのだと、この一年に感謝しながら今年を閉じることができる自分でありたいと思います。

035友人の死を通して

山崎信之

3年ほど前、私に自分自身と向き合う大きな出来事が起きました。当時私は、九州は大分県にあるお寺に法務員として勤めさせていただいておりました。自分にとっては大学を卒業したばかりの年であり、いろんなことが初めてという環境で、日々学ぶことの多い生活を送らせていただいておりました。法務員のいるほどのお寺なので、日々の法務は忙しく、葬儀も多いお寺でした。

そのような生活を送り始めて半年と少々、ようやくいろんなことに少しずつ慣れてきた頃、私にとってある大きな出来事が起こりました。大学時代、最も仲が良かった友人を交通事故で亡くしてしまったのです。当時の私は、何が起こったのかということが理解できないような、少しパニック状態に陥ってしまいました。葬儀、通夜も訳が分からないような状態で過ぎていきました。この事故で友人が亡くなる2ヶ月ほど前に、休暇をいただいて再会を交わし、「また今度」と次に会うのが当たり前のように別れたばかりだったのです。この時に初めて、法務での葬儀、通夜と自分が亡くなった方の関係者としてお参りするものとでは、全く違うものであるということを知りました。「白骨の御文」では「我やさき、人やさき」とありますが、どれだけ私たちが普段この言葉を我が身のことであるというように受け取ることができないかと痛感いたしました。それとともに命の尊さの本当の意味を知り、いかに自分自身が無知であるかということを知らされたように思います。

当時はこのようなことは考えることができませんでしたが、この友人によって、私はとても大切なことを教えていただきました。私たちは今日を当たり前のように生きておるように思います。ですが、これがいかに尊いことであるかということを多くのいのちから問われているのではないでしょうか。

034金儲けより大切なこと

山口晃生

仕事仲間から「お前はアホか」と言われたことがある。儲かる仕事を捨ててまで地域のために頑張っているのだから、ある意味アホかもしれない。

しかし、これには訳がある。もう30年以上も前になるが、PTA役員を引き受けた。そして、ドッジボールの選手を選ぶ事になった。ドッジボールなら誰にでもできるし、簡単なことだとお願いするのだが、仕事で行けない、都合が悪い等、5、6人に続けて断られた。「おかしいなぁ」と思いつつ、次に、「Aさん」に電話をすると、二つ返事でOKとの事。しかも、メンバーが足らなかったら連れ合いにも言っとくので、二人分名前を書いとけばと言われた時の嬉しかった事。それ以来、頼まれたら頼む側になってできるだけ引き受けようと決心する。

それからというもの、補導委員、消防団員を始め、地区自治会長の大役も歴任した。中でも一番たいへんなのが消防で、季節や天候に関係なく、火事となれば、仕事中だろうが風呂に入っていようが寝ていようが現場へ急行、鎮火するまで帰れない。また、消防と聞くと、消火活動だけかと思われるが、東北での大津波や県南部を襲った豪雨による水害で消防団員の活動が報道されていたように、台風や大雨で警報が出れば、家の事は二の次にして地区内を巡回し倒木の除去や河川の増水点検も行う。それらすべて本業より優先で、しかも奉仕だからたいへんである。こんなたいへんな役を引き受け頑張っている私を、母はいつも喜んで見守っていてくれた。だが、その母が急死。それがご縁となり、同朋会に参加するようになった。そして、仏法を聞いていくうちにそれまでの「役だからしてやるんだ」から、させていただける力を授かっていた事を知り、その喜びが感謝の気持ちへと変わり、2年任期の処、13年間も勤め上げた。その結果、人との出会いや絆、地域との繋がりを深め、「友」という大きな財産を得ることができた。

以来32年、途切れる事なく地元の役や門徒会等、現役で仕事を持ちながら続けられたのも、あの時「いいよ」と引き受けてくれたAさんのお陰。Aさんは私にとって善知識なのである。

033大掃除

森英雄

年末になると大掃除が始まります。普段、手を入れていないところを丁寧に磨き上げると気づかされることがたくさんあります。

例えばお風呂掃除。普段でも排水溝や床は磨くことがありますが、天井部分や換気扇を外すことはありません。洗面台の裏にも水垢がたくさんたまっていて真っ黒になっています。水は流れる性質がありますが、でこぼことしたところでは、流れが澱みますから結構カビが生えています。目に見えるところは洗って落とせますが、見えないところには目も手も届きません。

まさにそこに光が届くのが仏さまの十二種類の光でしょう。

無量で無辺な光とあります。いつの時代も誰の所へも届かないところはないという意味でしょうか。お掃除をする心まで教えてくださいます。自我がするお掃除は「してやった」がありますから、他人に評価をおねだりする心です。自分だけがすることには抵抗があります。そんな心でする仕事ですから、どうしても雑になりますし、手を抜くことばかりが頭をよぎります。評価を期待しながら手を抜く心。まさに地獄を作り出す心です。

そういう自分に呆れかえる、その一点が仏さまの光に触れる原点です。自分が自分に呆れるのですから、仕事をすること自体が満足となります。南無の門とは、自分に呆れるところに始まる世界が無限に展開するということでしょうか。まさに「無碍(むげ[どんな障害物も越えて働く智慧の光])」と言わずにおれないものに遇うことでしょう。

自分に賜った弥陀の智慧の光、これを「信心」と名づけます。

せめて1年に1回だけは、その総点検をすることが大事です。それを信心の溝さらえとして、勤めてきたのが報恩講ではないでしょうか。

未だ智慧の光に出会っていない人は、日頃の心がどこから出ているのかを深く問い詰め、自分に呆れ、びっくりすることが必要でしょう。そして、既に光に召された人は、分かった立場に留まって、感動を失っていないかを総ざらいする大掃除が必要なのではないでしょうか。

亡くなって750年の時を超えてハタラク、親鸞聖人の慈悲と智慧の心に出会わなければ、あいつが、こいつがと言っている間に火葬場に行くことになってしまい。一生が空しく過ぎてしまいます。

032報恩講

王來王家眞也

私ども真宗同行(門徒)は親鸞という名を遺産として与えられ、今年は750年になりました。その名によって生み出された「正信念仏偈」を今日まで詩(うた)い続けてまいりました。これこそ親鸞の遺産を相続している証しではないでしょうか。

それは「帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい)」と念仏に始まり「唯可信斯高僧説(ゆいかしんしこうそうせ)」と「正信」に終わる仏教讃歌を詩う念仏者即ち本願の行者の存在が「報恩講」の名のもとに、家庭・寺・本山というそれぞれの場所で実働しているからであります。

言うまでもなく、念仏は仏言であり、それを称するのは仏言を信受したことでありましょう。信受して生きる同行の存在は、現今の社会を覆う黒雲、今世紀に入って益々先の見えない下り坂を感ずる時、必ずや「無明長夜(むみょうじょうや)の灯炬(とうこ)」(真宗聖典 503頁)としての意義を担っているのではないでしょうか。

親鸞聖人は念仏の生活者である本願の行者に「御同朋・御同行」と呼びかけ、「御」の字を冠して尊ばれております。身は煩悩を具足する凡愚でありますが、「御」の字をもって対面された聖人は、そこに不動の大地をいただいて歩む生活者への信頼をこよなく寄せておられるのであります。

031琵琶‐聞法

池田真

琵琶を習い始めて一年ぐらいになります。以前、大学でいっしょに仏教を学んだ薩摩琵琶の先生である山内光司さんが私に勧めてくださいました。山内さんは定年後、手次の住職様のお勧めで教師資格(僧籍)を取られ、現在はお寺の手伝いをしておられます。

私が初めて山内さんの琵琶演奏を聞いた時、その素晴らしい音色・響きを感じました。しかし、私の中で琵琶を弾くということは全く考えませんでした。むしろ自分には関係のない楽器として、お誘いいただいてもお断りをしておりました。出会いから一年後ぐらいでしょうか。山内さんが体調を悪くされ、手術することになりました。「元気になったら琵琶を学びましょう」という内容のお手紙と琵琶のご本を送ってくださいました。それが私のスタートとなり、現在も琵琶を教えていただいております。

今、琵琶との出会いを考えると先輩の導きがなければ、後輩は学ぶ縁を持てない…ということを思います。また、後輩も自身の分別・ものさしだけで先輩の導きを否定していたら、何も継承されることはないのでしょう。そして何より、私たちが先輩(仏さま)の言葉に耳を傾けず、自分の分別だけを頼りとしていく姿勢が、せっかくの人生の意義を狭くしていく一番の原因なのでは…と気づかされます。

最後に、亡き諸仏を通してその願いに出会い、帰るべき人生の方向が定まったという曲をお聞きください。

大願の船を荘(かざっ)て 戀慕(れんぼ)の涙に浮べ 正信の帆を挙げて 渇仰(かつごう)の息(いき)に馳(は)す 生死苦海は 無念の朝(あした)の徑(みち) 涅槃彼岸は 無生の暮(ゆうべ)の棲(すみか)なり(「声明 涅槃講式」)

030感謝

藤井静仁

皆さん、感謝について考えてみたことがありますか。日常の中、周りから感謝されたことがありますか。

私は日常の仕事場(介護老人福祉施設)において、利用者様より「すまんな」とか「ありがとう」と声を掛けられると、仕事のやりがいとなり明日への仕事の励みになります。また、このような言葉は人生の最後を老人ホームで迎えた利用者様からの誓いの言葉であります。しかし、昨今、利用者様の高齢化及び重度化により意思表示できない利用者様が増える傾向で、介護者は顔の表情、身体の状態で判断しなければいけないことがあります。

利用者様は、どうしてもマンネリ化しがちな日常生活において、話をすることも無くなり、考えることも無くなると、言葉も減り、やがて表情も無くなります。また、介護者は毎日の介護の仕事に追われて、基本的な声掛けをせずに利用者様に関わりももってしまいがちになります。

私はお世話させていただいているという気持ちを忘れぬよう日々心がけるようにしています。けれども、介護者なのだから感謝されるのが当たり前と錯覚してしまう、それが人間の生身の姿であります。人は何でも自分を中心に物事を考えて判断してしまうものです。ある聞法会の講義に中で先生がそれを「都合感謝」と言われたことが自分の中で引っ掛かっています。

組織の一員として社会の中に浸かると、常に先々のことを考えていかないといけない場面に直面してしまうものです。介護現場は、利用者様のお世話をすること、人が好きなことを仕事のやりがいと感じないと続きはしませんが、その一方で、安定した施設運営のため、極力空きベッドを作らないように神経を尖らさなければいけないのが使命でもあります。時に施設サイドの考えで物事を考えてしまうのが、今の私の姿でもあります。

仏法を学び現実を過ごす中で、今、生かされているという感謝だけは日々忘れぬようにしたいものです。

029限りのない欲望

北畠顕

この度は、私自身の限りない欲望について考えてみたいと思います。

法事や法要を勤めさせていただいた時、お布施をお預かりしますと、その金額によって、私はいつも嬉しくなったりがっかりしたりしてしまいます。そもそも、お布施は仏の教えに感謝し、仏に供えさせていただくものであって、私が頂戴しているものではございません。しかし、どうしても私のものであるかのように感じ、その金額によってあれこれと思ってしまうのです。

その原因を考えてみますと、全てのものごとに対して、自分を中心に考えてしまうという、私の欲望に行きつきます。「お金をたくさん持っていれば幸せになれる」「少ないよりは多い方が優れている」「無いよりは有る方が良い」という思いは、自身の欲望を中心としたものの見方であり、この自己中心的なものの見方を仏教では「我執」と言います。

自分の望む結果であれば嬉しくなり、そうでなければがっかりしている。つまり、私は自分で勝手に定めたものの見方でもって一喜一憂してしまっていたということです。しかし、この自分中心の考え方に気づかされ、お布施をお預かりして自らの欲深さをつくづく思い知らされるその一方で「たくさんいただいた方が嬉しい」と思ってしまう気持ちから、私はどうしても離れることができずにいます。この何処まで行っても「我執」から離れることができない私を思い知らされた時、『歎異抄』後序の

自身はこれ現に罪悪生死(ざいあくしょうじ)の凡夫(ぼんぶ)、曠劫(こうごう)よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ(真宗聖典640頁)

という言葉が浮かんできました。煩悩は人の身に備わってしまっているもので、人間は煩悩から離れることなしに生きてはいけない。何とか離れたと思ってもすぐにまた戻ってきてしまう。煩悩から離れられない浅ましい身であるとこと、親鸞聖人自身も自らのこととして自覚しておられ、そんな我らこそ救われるのが弥陀の本願であることを「普段煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん[煩悩を断ぜずして涅槃を得る])」という言葉で仰っておられます。

日々の生活を過ごす中で否応なく感じさせられる「我執」。それを自らの一部として自覚し、受け入れ、その上で救われていく。私はこの教えをわが身のこととして有難くいただいていきたく思っております。

028私の頑なな価値観

服部拓円

ご門徒さんのお宅の法要に参らせていただいた時、ご門徒のお年寄りの方から、「もう年を取ってだめですわ」や「若い方の邪魔になってしまいまして」などと聞かせてもらうことがあります。

私自身はまだおじいさんではないので、同じ立場としてのお話ができないのですが、そういった話をお聞きさせていただく度に、病で亡くした父のことを思い出してよくお話させていただきます。

父が病に倒れてからは、介護としての関わりが日常となりました。その時に「早く元気になって欲しい」「健康であった父に戻って欲しい」という気持ちで介護していました。当然といえば当然の気持ちですし、この気持ちなくして介護はできないのですが、大切なことが抜けていたのです。「良くなれ」「早く良くなれ」という気持ちだけでは「今、病に倒れている父は本来の父の姿ではない」と、現状を受け入れられない自分の感情が強くなるばかりか、介護を通してお互いが疲れ果ててしまいます。私自身も、初めはこの受け入れられない気持ちで非常に疲れていました。

そういった気持ちで介護する中、ふと気づいたのが現状を頑なに「普通」であると認めようとしない私自身の姿でした。病である父の今の姿が「普通」であり、病である父を「普通」として私も受け入れる、この気持ちが抜けていたのです。

「歳を取る」よりも「若い」方が良い。「病に倒れる」よりも「健康」の方が良い。「死ぬ」よりも「生きている」方が良い。このような非常に二元的な考え方では、比較することでしか価値は見いだせないでしょう。そこで基準となるのが「普通」であって、自分自身の持つ「普通」から外れることは「だめなこと」であり「邪魔なもの」と見てしまう、ここに私自身の行き詰まりがあるように思います。

そういった頑なな価値観から一歩下がって、今現在の自分をそのままとして受け入れることが大切なのではないでしょうか。

みなさまもご自身が「普通」としていることを一度考えていただけたらと願っております。