藤﨑信
半年くらい前になりますが、一歳半になる息子が、ローボードの扉を開けては中の物を散らかすことが何度かありました。中には薬も入っていたので危険と思い、簡易ロックを取り付け、簡単には開かないようにしました。するとどうでしょうか。息子は開かないことが分かると興味を無くし、他の物を探すようになりました。ところが、私はローボードを開けることが面倒になり、自業自得と言いましょうか、今では開かずの扉となってしまいました。
その時の自分は自己中心的な物の考え方しかできないものと感じました。扉の中を荒らされないで済むという思いが簡易ロックで解消されたのだから、有難いと思っていたのに、いざ自分が開けようとする時には不便だと、また欲が生じてしましまいます。欲は欲を生み、さらなる欲へと発展していくのでしょう。
息子からすれば成長の過程で、親のすることを見て真似て学習しているだけなのに、さもすれば怒りの矛先は息子へと向いている浅ましい自分がいるのです。こうした自分本位の考えでいると、私の失敗は他人や環境のせい、成功は私の努力と思い込みがちです。
仏の教えとは、例えて言えば太陽の光のようでしょうか。分け隔てなく老若男女すべての人を照らします。善い行いをしたからあの人には照らす時間を多くしようとか、悪い行いをしたから照らす時間を少なくしようということはありません。まさしく一切平等です。仏の教えも日常生活において、みな等しく出会いの場所・場面があるのでしょう。今回のことで息子からそのような自己中心的な私であったことに気づかされたのです。
藤谷英史
昨年の暮れ、友人から宅配便で小包が届きました。開けてみると「ふろしき」包みが出てきたのです。中身のことはさておき、その風呂敷の柄が凝っていて、幾種類もの風呂敷を使った包み方が、柄になっているのです。さらに、包み方の柄のところどころに「ふろしき」「もったいない」の文字が図案化された柄も混じっていました。隅っこに縫い付けられている品質表示のラベルの中には「MOTTAINAI」のローマ字と、小さく「ワンガリ」と読めるサインが目にとまりました。ここで、2004年にノーベル平和賞を受賞したアフリカのケニアの環境副大臣であったワンガリ・マータイさんが来日された時、日本語の「もったいない」に出会い、この言葉こそ地球環境を守る世界の共通語だと訴えられたことを思い出しました。
この風呂敷包みの贈り物をいただいて、まず思ったのは日々の生活です。「忙しい、忙しい」と言い、一方では豊富な物、便利な物の中で生活しながら、何か物足りないものを感じているのが現代の世相ではないでしょうか。物の無かった子どもの頃、例えば母に新しい足袋を縫ってもらって、翌朝から履いたあの時の言うに言えぬ嬉しかった気持ちは、もう今では体験できないものです。身近な生活の中のふとしたことに、小さな喜びを感じなくなってしまっています。「もったいない」とは反対に、いくらでもある、どうにでもなると知らず知らずのうちに私の心に巣くっていた傲慢な心、つまり煩悩が私を支配していたことに気づかされました。
こんなことですから、まだ使える物でもより良い物が出ればつい欲しくなったり、少し故障でもしようものなら新しく買い替えることを考えてしまいがちです。自然の中で美しい空気が吸え、水が飲め、身体が働き続けて、日々命をいただいていることは当たり前のことだと決め、むしろ「自分の力で生きているのだ」という錯覚すらもっているのが自分なのでしょう。
今回のこの風呂敷包みの贈り物は、マータイさんが指摘した「もったいない」という言葉を通して、煩悩の虜(とりこ)になっていることすら気づかずにいる私を知らせてもらって、何よりも尊い仏法をいただいたものと受け止めさせてもらったことです。
檉歩
私が大学4年の時、自坊で落慶法要が勤められました。その時にある住職から「どうして本堂を修復したのか分かるか」と質問され「だいぶ本堂はあちこち傷んでいましたし、修復する時期だったからだと思います」と、私は何も考えず答えました。すると「まぁ、よく考えてみなさい」と返事が返ってきました。その時は、何を言おうとしているのかがわかりませんでした。
東本願寺が今ご修復の真っ最中で、しばしば明治の再建のことが取り上げられます。1864年(明治元年)の禁門の変で灰燼(かいじん)に帰した境内に門徒さんが集まり、灰の片づけから始まった両堂再建は、15年の歳月をかけて完成しました。また桑名別院は第二次世界大戦で本堂共々焼失しました。京都に解体されていた本堂の木材があり、それを戦後すぐに門徒さんが買い取って建てられたのが、今の桑名別院の本堂だと聞いています。
では、なぜ門徒さんたちはそこまでして本堂を建てられたのでしょう。傷んでいたから直したのでしょうか。無くなったから建て直したのでしょうか。しかし、いろいろなお話を伺っているうちに、ただみんなで聞法する場所が必要だったという、その一人一人の願いのもと建てられたものであることが見えてきました。願いが形となって本堂が建てられたのに、やがて時がたつとその最初の願いが見えなくなり、形だけが残る。その残った形を今度は自分の思いの中で必要なのかどうか評価して、時には自分にとって邪魔な存在にまでしてしまうこともあります。
先人の願い、先人のご苦労ということは口先だけで言えることではないでしょう。来年完成予定の東本願寺の御影堂(ごえいどう)を、単なる立派な建築物という「モノ」にしないためにも「どうして自坊の本堂は修復をしたのか」という数年前に投げかけられた質問とこれからも向き合っていかなければならないと改めて思います。
山阿礼子
休日の朝、新聞を読んでいる私のそばに2人の子どもがそろってやって来て、取り留めのない話が始まりました。何やら楽しげに笑いころげています。子どもたちの話に耳を傾け、笑顔をながめていますと、何とも言えない幸せな気持ちになってきます。ところが、新聞から飛び込んでくるニュースは、いじめによる自殺、親殺し等心痛むものばかりです。なぜ、こんなに思いやりの心、親子の絆(きずな)が薄れてしまったのでしょうか。温かい心が息づかなくなってしまったのでしょうか。今、傍(かたわ)らで笑っている我が子が大人になった頃は…としみじみ考えさせられてしまいます。時代は変わりつつあると言いますが、この先どのように変わっていってしまうのでしょうか。
考えてみますと、昔よく歌った童謡も、最近はあまり聞かなくなったように思います。
「夕焼け小焼けの赤とんぼ、負われて見たのはいつの日か」と、秋の夕焼けの頃、こんな歌を口ずさみながら、友と共に帰路についたことは、今も私のほのぼのとした思い出となって残っています。
この「負われて」というのは「おんぶされて」ということですが、その中で互いの身体のぬくもりが伝わり合い、その温かさから愛情を感じ、そして、心も育っていったのだと思います。「歌は世につれ、世は歌につれ」という言葉もありますが、こんな歌が心の中に浸みてこない今を淋しく思います。
もう一つ思うことは、布施の心ということについてです。布施とは、仏様に捧げる法礼を指すだけのように思いますが、語源はインド語の「ダーナ(dana)で、施しをする行為と言われており、「法施(ほうせ)」「(ざいせ)」「無畏施(むいせ)」の三つがあると聞いたことがあります。
お正月に母と会った折、こんな話を聞きました。80も過ぎ足腰が弱った母が荷物を持ちやっと歩いていますと、通りかかった一人の青年が「持ちましょうか」と声をかけて下さり、荷物を持って一緒に歩んで下さったそうです。母は心より感謝し、お礼を言いましたら、「お気をつけて」と、いたわりの言葉と笑顔を下さったと嬉しそうに話してくれました。
優しい言葉をかけたり、笑顔で人に接したりすること、これこそ布施の一つ「無畏施」ではないでしょうか。私たちの生活の中にこのいたわり合う心や言葉、笑顔あふれることが多くなっていけば、争いやいじめなどの殺伐とした事件も無くなっていく一つの光になるのではないかと思います。
私も「和顔愛語(わげんあいご)」と言うように、いたわりの心と笑顔の布施を大切に日々過ごしていきたいと願っています。
服部拓円
つい最近、私は30年ほど前のアルバムを見ておりました。その一枚の風景写真には、ショッピングセンターやコンビニエンスストアもなく田んぼの広がっている様子が写っていました。写真にはありませんが、50年前の風景だともっと違うでしょうし、100年前では更に違っているのではないでしょうか。写真に写っていたのは、景色だけではなく、昔から現在に至るまで、便利さ快適さを求めてきた歴史のようにも見えました。
便利さ快適さを求めるのは単に生活だけではありません。文明・社会においても同じことで、苦悩ある生活から脱却を求め、その都度改革を行う歴史を繰り返しております。しかし、改善されるどころか、戦争もなくならず武器の発達で酷(ひど)くなり、人以外の生物が脅かされるものとなってしまいました。
人類は「理想郷」を現代に創ろうとしておりながら、破滅へ向かっているのではないでしょうか。
少し話が大きくなってしまいましたが、苦悩の生活とは、有り余るものでも社会の改革をもってしても、一時的にしか満たされず、また新たな苦悩が生まれるだけでしょう。ただ解決を求めるのではなく、本当の願いをはっきりとさせることが大切なのではないでしょうか。私たちはそのことを真宗からもっと学ばなければなりません。
藤井隆信
新しい年を迎え、皆さまのお念仏の生活の更なる深まりをお喜び申し上げます。
「日々新たなり」という言葉がございますが、なかなかそのように受けとることはできません。「今日もまた同じように」というのが、私の望みなのです。それでも人生には新たな出来事が次々と起こってきます。昨年の11月、私のお寺で二つの仏前結婚式がありました。一つは私の長女の結婚式。もう一つは2週間後、ご門徒さんの長男の結婚式でした。
長女の結婚にはとても驚かされました。突然「私この人と結婚します」と紹介されて、父親として「さてどうしたらよいのか」親の立場が示せません。私の父親が、私の姉や妹の結婚について、強い権威をもって臨んだことが思い出されました。しかし、自分には親の権威といったものは何もありません。長女は「“結婚式”はしません」と言います。私はうろたえてしまい、妻が必死に頼んで、どうにか結婚式をしてもらうことになりました。
仏前をお荘厳して、両家の親族の皆さんに集まってもらい、司婚の言葉、二人の結婚の誓いの言葉が述べられました。全く知らない者同士であったこの二人は、今不思議の仏縁に遭い、夫婦となったのです。そして、その因縁の一つを私が担っているのです。そんな深い思いがこみ上げてきました。自分たちが結婚した時の新鮮な感動はとうに忘れてしまいましたが、その自分たちの結婚が、今この長女の結婚の因縁となって現れ、同じこの本堂で仏前に誓いを述べている。誠に不思議なことでした。
ご門徒さんの方は、今ではとても見られないような、昔ながらの盛大な結婚式でした。大勢の人がお祝いに押しかけ、本堂に五色の幕をめぐらせて、高欄の上に緋毛氈(ひもうせん)、その上を白無垢の新郎新婦が入堂、華やかな雅楽が鳴り響き、「村中の人が花嫁を迎える」というお祝いの仏事を勤めさせてもらいました。
結婚式という人生の一大事に遭わせてもらうことが、「大勢の村人」の眼前で行われる素晴らしさ、そして私自身が広大無辺の深い因縁を生かされて生きていることを知らされたのでした。
橘秀憲
謹んで新春のお慶びを申し上げます。昨年は、一年を表す漢字に「偽」の一字が選ばれました。揮毫された清水寺の貫主も「大変恥ずかしいことである」とテレビインタビューに答えておりました。人の為と思いながら、いつのまにか自分のためにルールを破ってしまって偽る。残念なことですが、誰にも覚えのあることです。
大晦日の夜に除夜の鐘の音を聞きながら新しい年を迎えるのが、私たち日本人の年中行事です。あちらこちらから鐘の音が聞こえ、ラジオやテレビでも各地の除夜の鐘が放送されます。仏教では、人間に百八つの煩悩があって、梵鐘の音を聞くと、その煩悩から解脱するというふうに言われているところから広まったようです。一つ一つの煩悩から解き放たれて自由になり、新しい気持ちで年を迎えることができますよう、大晦日に鐘を聞きながら払い清めるということのようです。聞くだけでなく自分で撞けばさらに効き目があるということなのでしょうか。
ここ桑名別院では、年があらたまってから初鐘として撞いていただいています。私たちは生きている限り、さまざまな煩悩が次から次へと起こってきます。そういう煩悩を断つことは難しく、決して無くならない。煩悩から解き放たれることは無いわけです。煩悩まみれであるという自分を確認する除夜の鐘にできたらと思います。
浅田正作さんの『骨道を行く』という詩集の中に『日々新た』という題で、
つまれても つまれても 新しい芽 煩悩の芽
大悲の大地に抱かれて 勿体なし
今日もまた 鮮やかな芽 煩悩の芽
という詩があります。親鸞聖人は、
凡夫(ぼんぶ)というは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終(りんじゅう)の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず(真宗聖典545頁)
と示しておられます。常に自身の在り方を確認しながらこの一年を過ごしていきたいと思います。
真宗大谷派(東本願寺)三重教区・桑名別院本統寺の公式ホームページです。