最近法話というものの難しさを痛感しています。一時期法話は古いもの、講義が新鮮に感じられた時がありました。しかし、それはとんでもないことでした。ある先生から「法話というのは仏様のお声の響きを身を通して味わった事実を語るのであって、人間の思想や考えではない」と静かな口調で説かれた時「はっ」とさせられました。ちょうど放蕩息子が親の思いが身に響いて、思わず頭が下がって、その慈悲を感じながら語る言葉は、どんなに学歴がなくても経験が浅くてもすべての人の心に染みとおるようなものでしょうか。何かができる者になろう、バカにされたくない、どうにかして理解しようとするすべての手立てが壊れた時、分かろうとするその手が撤回された時に聞こえてくるものとでも言えましょうか。
厳粛な今・この時をいただいて、罪深い身をおしいただいて生きる。そういう生活者には疲れや虚しさを通ったからこその底抜けの柔らかさがあるといえます。そういう世界をすべての人がいただける道が念仏往生の道として開かれている。その道を私も皆様とともに歩ませていただきたいと思います。
片山寛隆
情報社会という時代は、知っていなければ時代遅れであるとか、ITについていけなければ取り残されるという風潮が、大手を振ってまかり通っている時代、機械万能の現代といっても過言ではありません。しかし、一旦銀行のITシステムが故障してしまうとパニックになってしまって大混乱が起きたこと、万全のシステムが整備され、間違いが起こることはありえないと人間の理性を過信している中で、いろいろなひび割れが生じてきている時代でもあります。
今年もこの年末に、1年の世相を表す漢字が発表され、それは「災」という字だそうです。そして、その災いの多かった1年から、来年こそはとまた新しい1年の繰り返しが始まっていくことでしょう。
人間の「災い」とは、『末燈鈔』に人間の「ききわけ、しりわくるなんど、わずらわしくはおおせ候やらん。これみなひがごとにて候うなり」(真宗聖典605頁)と、理性万能に疑いをもたない在り方への問いかけがあります。
「聴聞」とは、ただ聞くということであり、そのただができない思い込みで聞くという在り方は間違いであると、人間至上主義の在り方を厳しく教えられていることを大切にしていきたいものであります。
大賀ゆかり
私には2人の子どもがおりますが、今年は2人ともに受験を控え、親子で落ち着かない日々を送っています。
受験に当たり、学校や塾が開催する説明会に参加しますと、近頃よく耳にする「勝ち組」「負け組」という言葉が引用され、とても不快な言葉で、反発心が芽生えてくるのですが、みなさんはどう思われますか?
「勝ち組」になったら、いったいどのような人生を送れるのでしょうか。「負け組」になると、無惨な一生になるのでしょうか。でも、「勝ち組」と位置づけられるのは、ほんのわずかな人数でしょうし、ほとんどの人は「負け組」と位置づけられてしまうことになります。
また先日、とある県の副知事がPTA研究大会の挨拶で、不登校の子どもを「不良品」と発言した問題も記憶に新しいことですが、どちらも企業の不況に立ち向かう生き残り戦略や、製品管理から出てきた言葉のようです。能力主義とか、すべてに白黒をつけていくような社会的な流れが影響しているのでしょうか。
企業や製品ならまだしも、子どもたちを物と同じ扱いにして、人の生き方や価値を「勝ち組」「負け組」という簡単な言葉で判断してしまうのは、おかしいことだと思います。
お釈迦さまは「汝は汝になればよい、汝は汝であればよい」とおっしゃっていますが、私が私になるには、勝ちも負けもないことだと思います。他人や世の中の偏った判断に振り回されない自分らしい生き方を求め、自分という存在はかけがえのないものだということに気づくことが大事なのではないでしょうか。
保井秀孝
私たち地球上の生物は全て遺伝子という同じ情報源からできており、祖先は同じで、今から約三十八億年前に遡るということが近年明らかになってきました。この生命の流れに耳を澄ますと、私たち生き物がみんな遺伝子という鎖でつながっているという、驚異の世界が見えてきます。
人間は、この祖先を共有する生き物の一つの種にすぎないのであって、私たちの生きる世界は人間中心に成り立っていないことが明らかになってきます。遺伝子の世界は、人間中心・自己中心の生き方や考え方を改めること、即ち、発想の転換の必要性を語っているように思うのです。
仏教の世界とは、実はそのような阿弥陀仏の真実に目を向けなさいと語りかけている世界なのです。自己中心に自分のことや世の中を見ることしかできない私たちの愚かさを指摘しているのが、阿弥陀仏の説かれている真実の世界なのです。しかし、人間はそのことに気づくことなく、相変わらず自己中心に世界を見、自分たちの目先の都合で自然を作りかえようと躍起になり、逆に自然にしばしばしっぺ返しを食らうようになってきています。そして、私たち自身も相変わらず自己中心に生きています。自分に都合よく家族を見、地域を見、社会を見、そして他人を見ています。そのことに気づかず、それが正しいことであるように錯覚しているのです。
生命の流れに身を置く時、私たちを育んできた世界や社会の大切さを思わずにはおれないのです。私たちはこの流れの中で生命を与えられて、今生きていることに気づいていかなければなりません。そこに新しい世界が見えてくるのです。こんな世界を親鸞さんは私たちに示されているのです。
川瀬智
10月中旬本山同朋会館において、久留米教区組門徒会本廟奉仕団の方と研修会をさせていただきました。その中のお一人76才の男性が、お念仏との出遇いを次のように語られました。
私にはたいへん物静かで無駄口を言わない祖父がいた。しかし、一つだけ頑固なところがあった。どんなことがあっても夕事勤行を毎晩必ず勤める人であった。私も学校を出るまではいつも家族全員とお勤めをしていた。しかし、卒業をし青年団に入って外に遊び仲間ができた頃から、遊びが面白く、酒がすすめば時間を忘れ、ついつい午前様の日々が続いた。
それでも祖父は自分が帰るまで夕事勤行を待っていた。午前様になって帰ると、祖父が「帰ったか。お夕事をするぞ」と、仏間に入り灯心に火をつけ、ただお勤めをする。そんな祖父が疎ましく思え、待っとらないいなといつも思って午前様をしていた。
九州の夕刻は本州とは半時間ほど遅く、野良仕事を終え片づけが済むのは8時半頃であり、父や母は野良仕事の疲れから早く寝たいが、私が帰るまで夕事勤行をしない祖父に遠慮をし眠れなかった。ある日母より、皆困っているから早く帰るようたしなめられた。それからは、早く帰るよう心がけたが、よく午前様になった。だが祖父は文句の一つも言わず、ただただ自分が家に戻るのを待ち、一緒にお夕事をする生活をしてくださった。
おかげで、現在も必ずお内仏に手を合わせて、お勤めをし念仏申さないと眠れない身にしていただいた。本当に祖父こそ、私に念仏を教えてくださった人です。と、このように祖父を善知識といただかれておりました。
中村元氏の『仏教語大辞典』には、恩を知る人の言語は「カタンニュー」、直訳すれば「なされたことを知る者」とあります。
如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし
と、恩徳讃をいただく度、「なされたことを知る者」どころか、弥陀大悲の恩徳を忘れ、釈尊そして三国七祖をはじめ善知識の恩徳を忘れる生活に身が縮む私です。
金森了圓
今年も報恩講の季節となり、本山をはじめ各末寺、門徒で報恩講が勤められます。報恩講は、親鸞聖人が亡くなられた日を縁として聖人のご苦労を偲び、一人ひとりが念仏に生き、仏恩を報ずる身となることを願う、真宗門徒として一年を通じ最も重要な仏事であります。
私は物心ついた幼少の頃より『正信偈』をいただき育てられました。「帰命無量寿如来」→「無量なる寿(いのち)として如来の命に帰ります」と聖人は、私たちに生まれた意義といのちの尊さを教えてくださいました。
私たちはすべてが自己中心的で、いのちまでも自分のものと思っていますが、果たして自分のものなんでしょうか。自分のものは何事も自由に指定できるものが自分のものです。しかし「生老病死(しょうろうびょうし)」を見れば、どれ一つ思うようにはなりませんので、私のものではありません。無量寿とは仏より賜ったいのちであります。だから尊いのです。
今年もあと僅かになりました。物は豊かになり夢のようなことが達成され、誠に喜ばしいことでありますが、その反面自殺者が毎年増加をたどり3万4千人を越すと報じられ、過日は小学6年生女子の殺人等、誠に悲しいことです。これにはいろいろと原因があると思いますが、現代はいのちの尊さが次第に失われつつあるのではないかと思います。今この時にあたり、以前読んだ宇野正一さんの「不運」という詩が思い出されます。
生きる望みがありません
私は死にます
ごめんなさい
お母さんと
二人の少女が鉄道自殺をした
それは彼女たちが
十七才の今日までに
「人身受け難し」の一言を
ただ一言を誰からも聞かなかった不運であったと悲しんでおられます。私はこの詩を聞き、平素軽く口癖に「人身(にんじん)受け難(がた)し」の三帰依文(さんきえもん)をいただいている自分が恥ずかしく思われ、同時にいのちの重さを感じました。
聖人のご出世がなかったならば、私はいのちの尊さを知らず流転をしなければならなかったことを思うにつけ、聖人のご恩の深さを思わずにはおれません。
員辨暁
以前、マスコミの方が、本山報恩講に参られたおばあさんに次のような質問をされたそうです。「おばあさん、今日はここで何をお願いされましたか?」するとおばあさんは「御開山に申し訳ないと報告に来ました」と答えたそうです。なんだか、その答えにキョトンとしたマスコミの方の顔が浮かぶようです。
さて、昨年の法語カレンダーに「人間はものを要求するが、仏はものを見る眼(まなこ)を与えようとされる」という言葉が書いてありました。普段、私たちは仏さまに手を合わす時には、何かものを要求していることが多いようです。
しかし、浄土真宗のご本尊である阿弥陀さまは、そんな「私たちが何かを要求し、ものを与えていただく仏さま」ではございません。そうではなくて、私たちに「ものを見る眼を与えようとされる仏さま」なのです。このことを逆に言うと、私たちは「ものを見る眼」を持っていないということになります。
では、どこで私たちは「ものを見る眼」を持ってないということが言えるでしょうか?
私たちは日常生活の中で、よく「こんなはずではなかった」という言葉を口にします。つまり、私たちは当てにならないものを、常に当てにしているのです。最初から最後まで、きちっと当てになるものを当てにすればいいのですが、悲しいかな私たちは、この「ものを見る眼」を持っていません。勝手な自分の思いの中で、「あれさえあれば幸せになるだろう、これさえ手に入れば幸せになるだろう」と、あれやこれやといろんなものを手に入れるわけです。でも、その手に入れたものは本物ではないですから、いずれ当てにならなくなって「こんなはずではなかった」という言葉が出てくるのです。
今年も報恩講の時期がやってまいりました。私たちが「阿弥陀さまに何かを願う」のではなく、「阿弥陀さまは私たちに何を願われているのか」を聞いていくことが大切なのです。
桑原克
今年の春、手次のお寺の住職交代に際し、本山での住職修習に門徒総代として参加させていただき、真宗門徒として生きる使命の重大さを感じました。
毎月の同朋会で、真宗の教えを聞かせていただいておりますが、ただ真宗に関する知識が増えるだけで生活が開かれない。一体我々の学びとは何か、日々問われておるのが、同朋会運動だと思うのです。同朋会運動とは答えを出す運動ではなく、限りなく限りなく、私ども念仏者の信心を問い、我々の生活それ自体を問い続けてくださるのが、同朋会運動ではないでしょうか。そういうことをお互い一人ひとりが、同朋会運動を自分の生きる生きざまにまで具体化していくという、新しい真宗門徒としての使命をいただく、ご用をいただく、そのご用をいただくということが助かるということではないでしょうか。限りのないご用をどこまでもどこまでも生涯をかけていただくということ、それが恩徳であり、真宗に遇い得た恩徳です。
私たちの聞法が、自分だけの幸せを喜んで感謝している。自分だけの世界の中に閉じこもって、自分だけのことを喜んでいる。そんなところには同朋と呼ばれる世界は開かれません。いま一度、私にとって聞法とは何か、常識を問い返すこと、心理問題にまで深めること、問題を見逃さない、見識をもった生活を行うことです。そして、真宗は感謝の教えではない、感動の教えと聞いています。また仏法は聞きぬけ、聞き破れ。身で聞けとも教えられています。
まことの言葉に出遇うとハッとします。一瞬、真実の言葉に出遇ったから、ハッと響く、一瞬響く、その世界。仏法に出遇わせていただいて、初めて生活が始まる。
毎日、毎日が初事でございます。「なんまんだぶつ なんまんだぶつ」
池田徹
念仏によって「たすけられる」ということは、どういうことでしょうか。思いますに「すでにたすかっている」ということに気づくことが「たすけられる」ということではないかと考えています。
では「すでにたすかっている」ということの意味は、どういうことでしょうか。いつでも・どこでも・どういう状況でも、「今・ここの・私」として「しなければならないこと・できること・したいこと」があるということです。その人にだけ与えられた「現場」と、その人にしかできない使命と責任があるということです。「もともと特別なオンリーワン」という歌がありましたが、その言葉と相通じていきます。しかし、我々は、その使命と責任が与えられているにも拘らず、都合のいい現実には向き合いますが、都合の悪い現実に対しては、絶対拒否します。存在自体は都合の善し悪しに関係なく、出会っている現実を受け入れて生きているのですが、心が認めないのです。よく考えますと、それがたとえどんな現実であっても、まずそれを受け入れるということがないと何も始まらないのです。受け入れればそこから新しく始めていけるのです。「一歩」足を挙げて、立ち上がっていけるのです。
しかし、我々は、先ほど述べたように、いつでも現実に対して自己中心的に善し悪しを決めつけ、善きものは受け入れ、悪しきものは排除するという生き方になっているのです。だから都合の悪い現実に出会ってしまうと、それを徹底的に排除し、生きることが始まらないのです。その「現場」を本当に生きることにはならないのです。事実はその現実を生きているけれども、自己中心的な心によって、生活が生き生きしないのです。自分が生きているのに、自分を生きたことにしない傍観者的・被害者的人生としてしまうのです。
実は我々のこの生き方が、どれほどいのちに対して、自己に対して、他者に対して暴力的であるか。我々の日常の心、善し悪しの心は「存在への暴力」としてはたらいているのです。
念仏による救いとは、その罪の身を知らされることを通して、「今・ここの・現実」に還り続けていくこと、「今・ここの身を生きるもの」に育てられていくことです。具体的に「普(あまね)くもろもろの衆生と共に」苦労していける人間に育てられていくことです。他者と関わり続けていける意欲を賜ることだと思っています。
佐々木達宣
今年の夏休み、家族旅行で上高地へ出かけました。ご存知のように、上高地は穂高連峰に囲まれており、そのすばらしい眺望で有名な観光地です。若い頃は重いザックを背負って、北アルプスの槍や穂高と渡り歩いたものですが、今ではそうした山々を麓(ふもと)から見上げることが多くなってきました。今回の旅行も上高地散策が目的だったのですが、梓川沿いの山道を徳沢方面から若い登山者が日焼けした顔で満足げに下山して来るのを見ると、自分もまたチャンスがあれば、などと突き出たお腹を見ながら少し寂しく考えておりました。
河童橋で写真を撮っていると、初老の男性が奥さんに「20年前とちっとも変わっていないねぇ」と話しかけておられました。きっと20年前にもお二人で来られたのでしょうか。その日も河童橋界隈は、街中のような賑わいでした。ここを訪れる人々の中には、変わらないものに対する憧れ、尊敬、畏れ、安心、そうした様々の思いで訪れる方もおられるでしょう。確かに上高地は観光地として日々変化しています。でもそこから見上げる穂高の山並みは、太古の昔より変わらない姿を我々に見せているのです。
蓮如上人は『御一代記聞書(ごいちだいきききがき)』において「仏法をあるじとし、世間を客人とせよ」(真宗聖典883頁)と教えられました。私たちは日々社会の中で生活を営んでおります。ですから我々の考えや行動を具体化する場として、世間は大切にしなくてはいけない。でもそれより大事なことがあります。世間での約束事や価値観は、社会がめまぐるしく変化するのに応じて変わってしまいますが、仏法は普遍であるということです。そうした「普遍なるもの」を拠り所として生きることこそが「仏法をあるじとする」生き方なのです。
現実社会に生きる我々は便利さを求めて、変化するものはすぐに古くなることに気づかず、新しいものに飛びつきます。本当に新しいものとは、私たちの意識や生活の中に形を変えず、そっと寄り添っておるものではないでしょうか。
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