2024年度聖典基礎講座(3年連続講座3年度目)が9月よりスタートいたします。
テキストは『一念多念文意』です。親鸞聖人の八十五歳の著作であり、その最終部分には「浄土真宗のならいには、念仏往生ともうすなり。まったく、一念往生・多念往生ともうすことなし。」(『真宗聖典』五四五~六頁)と述べられています。念仏往生の教えは親鸞聖人二十九歳の出発点です。その教えを八十五歳の親鸞聖人が再確認をしておられます。この聖教を通して、私達自身の出発点を学んでいきたいと思います。
皆様のご参加を心からお待ちしております。
【開催概要】
- 会場:三重同朋会館・Zoom(オンライン併用)
※Zoomでご参加いただく方で、欠席された方にはアーカイブ動画を後日お送りいたします。 - テーマ:「仏に遇う―真の自己・世界に遇う」
- 日程:
■第1回2024年9月26日(木)13:30~16:30
■第2回2024年11月19日(火)13:30~16:30
■第3回2025年1月23日(木)13:30~16:30
■第4回2025年3月6日(水)13:30~16:30
■第5回2025年5月8日(水)13:30~16:30 - 講師:高柳 正裕 (真宗大谷派教学研究所元所員、学仏道場「回光舎」舎主)
講師からのメッセージ 『一念多念文意』は、親鸞聖人最晩年に、ある意味、遺言として著されたものです。
この書を著されたのは、人々に混乱を引き起こしたとして、長男である善鸞を、親鸞聖人が義絶(勘当)された直後です。
今日でこそ、親鸞聖人は偉人のように神格化されたりもしていますが、自分の子供を勘当して縁を切らざるをえないようにしか育てられなかったことに対しては、批判と不信の声が親鸞聖人には浴びせられたことでしょう。しかしそれよりも、親鸞聖人自身、息子の心の闇を感じ取ることができなかった、自身のまなこの曇りを痛感され、深く懺悔され、その懺悔=南無の心において、この『一念多念文意』を著されたのです。
息子の心が見えなかった、それは、息子と深く会えていなかったということです。何故見えなかったのか。それは息子の心が「わかっている」と思っていたからでしょう。
「わかっている」とは、私は「見えている」と思っていたということです。「わかる」とは量ること、評価すること、私の外にあるものとして退けることです。それ故に、敬い、尊ぶことができない。それこそが底なしの無明の実相です。それが自力の執心の底なしの深さです。「わかっている」と思っているのは、相手のことだけではありません。自分のことも自分は「わかっている」と思っている。それゆえに、他者だけではなく、実は自分自身に会えない、無条件に尊べないのです。
わかっている者、高地から俯瞰し量る者から、一文不知の大地に脱落し、自分自身と出会い、一切衆生・一切の存在と共震する、海の時空が開かれる機縁とならんことを、深く念じるものであります。(高柳 正裕)
- テキスト:『一念多念文意』(真宗聖典)
- 参加費:3,000円(年間5回分)
※会場でご参加の方は初回参加時に受付にてご納入いただき、オンラインでご参加の方は振込先銀行口座をメールにてお知らせいたします。 - 申込方法:必ずお電話(0594-21-8000)、又は専用申込フォームhttps://forms.gle/hkznnYWmbd8SAH9s5)から事前にお申込みをお願いします。
- お問い合わせ:三重教務所 TEL 0594-21-8000
【主催】三重教学研究室【共催】三重真宗教学学会・特伝推進連絡協議会