片山寛隆
今年も親鸞聖人の報恩講がご本山で厳修され、全国からご門徒をはじめ、有縁の方々が上山されます。
親鸞聖人は法然上人を通して、仏さまの心、智慧と慈悲の心に触れられたことから、法然上人を「よき人」とおっしゃられました。
その親鸞聖人が法然上人をよき人と戴かれた生き方を問い尋ね、確認し合う法要が報恩講でもあります。
あの広い御影堂いっぱいに合掌され、お念仏の響きに会うと円融至德の嘉号のお念仏をということを感じられ戴くことです。
この広い空間で、生まれ育った環境も時代も違った人々がひとつに溶け合って正信偈を唱和する。
拝み合って生活する世界を浄土ということを金子先生は教えて下さっています。人と人との関係がギクシャクするというのはお互いが拝み合わないからです。
ある若いお客様が多いフードショップに入ると店員が一斉に「いらっしゃいませ」また用が済みお店を出るときには「毎度ありがとうございました。またのご来店を」という声を掛けられると、何か違和感をおぼえたことはありませんか。
こころからの言葉ということが言われます。
例えば、今日何か他者からものを戴いたりお世話になったら感謝を込めて「ありがとう」と言います。また、我が子を育てるときにそのように言える子どもに育つようにし、また他者に迷惑をかけたりしたときは「ごめんなさい」と素直に言える子どもに育つように願っているものです。
ある時、その幼い子どもが隣のお家に旅行のお土産を届けに行ったら「お土産をもらってすまんね」と言われたら「ハーイ」と言って帰ったそうです。
その幼い子にとって何もその言葉に違和感がなかったから「ハーイ」と返事をした。「ありがとう」と「ごめんなさい、すみません」は違ったことであるはずが、それが融合する文化が私たちが聞かせて頂いてきた「懺悔と讃嘆」ということではないでしょうか。
(三講組・相願寺住職 二〇一七年十一月下旬)