佐々木 治実
うっかりとぼんやりが、得意な私。まだまだ若いつもりでいますが、物忘れは増えるばかりです。そんな私ですが毎年三月十一日の「勿忘の鐘」だけは忘れないように、午後二時四十六分につき始めます。今年も一人でつき終わると程なく、なにやら賑やかな声が聞こえてきました。そして境内に、小さい子どもたちとそのお母さんがドドドッと駆け込んできました。鐘の音に引き寄せられたのでしょうか?この辺りでは見かけない顔です。「こんなところにお寺があったんだ」という声もします。そこで「鐘つく?」と聞くと、うれしそうに頷く子どもたち。どう見てもあの震災以降に生まれたであろう五人の子どもたち。何のための鐘なのかきっとその意味さえ知らないでしょう。
みんなで鐘楼堂へ上がり、そして「じゃあ、一緒に手を合わせましょう」と、声をかけ合掌しました。すると一人のお母さんの口から「南無阿弥陀仏、南無阿陀仏」と、念仏の声が洩れたのです。私はハッとしました。お念仏がこの若いお母さんの元に確かに届いる。そしてこの私にも届き、改めて称名念仏の意味を教えてくださっているという事実に。
口に出してその声を聞く。その南無阿弥陀仏の願いをきくという、大切な当たり前のことさえ忘れがちな私に「お前は大丈夫か?人間として命をしっかり生きているのか?」という南無阿弥陀仏の呼びかけを思い出させてくれた、貴重な出遇いとなりました。
(員弁組 傳西寺 坊守二〇一七年八月下旬)