鈴木 勘吾
二〇一一年、三重県でハンセン病問題に関する講演会と、作品展が開催されました。その実施にあたり、療養所で陶芸作りに励む女性から作品をお借りする時に、「園名で出品します」と、お返事を頂き名札を付けました。園名とはハンセン病療養所へ入所された時に、強制的に実名を棄てさせられ、名乗ることを強いられた名前です。園名を今も使われている事に慣れているからかと、私はさして気にも留めずに過ごしました。
作品展が終わり、返却の為に療養所へ伺い、その方のお話を聞かせていただいた時、私が開催場所の近くに住んでいることを話すと、その方は「実はね、開催場の近くに親類が住んでいるから名前は出せないの。迷惑が掛るから」と、陶芸関係の仕事だから間違っても名前が知られるといけないからと話されました。
またある日、別の方を介して、「こっそり三重県内にある、両親のお墓にお参りがしたいのだけど」と連絡を頂きました。昨年ご主人が高齢であることを理由に、免許を返納されたことを聞いていたので、土日以外の日で良ければ車でお迎えに行くと、返事をしました。「まだ、親戚の家には行けないの?」とは聞けませんでした。私の方が気を使っているのかとも思いますが、特別なことは何も望まれない。ただ、隣の人として普通に付き合いたい。そう望まれるままにお付き合いをさせていただいています。
後日、他の地区の方から、ある療養所の調査で、五割以上の方が本名を使われず、園名で過ごされていると報告がありました。名前を名乗ること一つを取って見ても、ハンセン病問題の深さに驚かされます。一人の方との何気ない会話の中で、その人の背景にある問題が見えてきます。
私たちはハンセン病回復者として一括りに対象者と考えるのではなく、改めて一人に出会い、ひとりの思いを聞かせて頂けるように取組んでいかなければならないと思います。
(四日市組・法藏寺衆徒 二〇一七年七月下旬)