藤本 愛吉
二十四歳のときでした。通信教育の大学のスクリーングという、直接授業を受けるなかで、「インド哲学史」の先生が教室に入ってこられ、念珠を手にして合掌され、「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」…と、称えられました。驚きと畏怖、畏敬の念が起こりました。何かがその先生のところにはたらいている、いわば「生きて行(はた)らいている念仏」という感じがしました。畏れと憧れが入りまじった心が起こっていました。話された言葉は今も、私の人生の方向をさししめしてくれています。
授業で紹介されたタゴールの詩の一節、
咲く花の喜びは 花びらを落として実を結ぶ
急げ我が心よ 一日の終わらぬうちに
大いなる愛の中に おまえを使い切れ
とか、後に送っていただいた信仰誌『大信海』の中の、
もしこの大空が愛に満ちているのでなかったら、誰がうごきはげみ生きることができようぞ
などの言葉は、今も新鮮に響いてきます。
青年期に『魂の出発』(リルケ)を促されたことの、かけがえのないこの出会いを「よくぞ、ようこそ」と憶い起こすことです。
(中勢二組・正寶寺住職 二〇一七年四月上旬)