高科えりか
一九八四年、私は父の仕事でブラジルへ行きました。当時私は教育学部を出て、大阪の商社に就職していたのですが、外国に行きたくて決心しました。ブラジルは明るくて楽しい国で、友達もすぐに大勢できました。農場や教育関係の仕事をしながら、大学にもまた通って充実した日々を過ごしていました。
しかしある年のクリスマス、私はサンパウロ市内で目の前で銀行強盗に人が殺されたのを目撃してしまったのです。大変なショックでした。
この事件のために、私の心に大きな変化がおきました。世界が人間社会の真実のすがたを、私に見せつけたのです。残酷な暴力が生まれる無法社会と、無力な自分を心底実感したのに、これから一体何をすればいいのか分からないままでした。
そして一九八六年にサンパウロ市で東本願寺世界同朋大会が開催され、私はそこで能明院 大谷暢慶先生に出遇いました。ここから私たち家族がブラジルの大谷派サンガの中で、お育てに預かってゆくご縁が始まったのでした。
そして今、世界の潮流は経済第一主義の波となり、時代を押し流しています。その大きな渦の中、私の周囲にも病気や事故により、道半ばで亡くなっていった友人たちがいます。また日本では毎年三万人近い人が自ら命を絶っています。戦争をしていないのに、こんな国がどこにあるのでしょうか。この流れをなんとか止めようと一所懸命に活動している方々が、私の周囲には大勢おられます。
ただ一度の人生を、本当に生きたいと願っている人に、私たちがいつもお伝えする言葉があります。
貴方は今、誰かを助けていますか。
助けたいと思っていますか。
人生は予測できないことが次々と起こります。時に耐え難い困難がきたとしても、人はそれを乗り越えていける存在なのです。その力の源は、誰かが誰かと支え合っているという実感です。苦しむ人や孤独な人が、最後まで本当に求めているのは、この温かい気持ちなのです。
ブラジルという広大な地で、日本仏教の真髄を具現されていた大谷暢慶先生。そしてブラジル別院のサンガの方々に私は教えられ、助けられてきました。今もこれからも、私の道をずっと照らしつづけて下さっています。
ありがとうございます。
(二〇一八年四月上旬 長島組・仁了寺坊守)