林 恵美子
こんにちは 私は現在六十五才。元気なおばさんと云われています。
私が仏法に触れていて、よかったと思ったのは四十八才でガンを患った時です。全く青天の霹靂「えー。私が?」ガンの家系でもなく「なんでー?」という思い。そしてこれからどうなるんだろう…という不安。
二ヵ月入院していましたが、がんセンターでは死は日常茶飯事でした。同室で親しくなった人の容態が急変し個室に移され、翌日には亡くなる。またある人は治療の成果が出ず、どんどんつらい治療に変えていく…。「ここは死を待つ道場か」と思いました。
両親も健在、祖父母も長生きで病院には無縁の環境にいた私には全く別世界で、想像以上の恐怖でした。
その時、頭に浮かんだのが「他力本願」という言葉でした。自分の力ではどうしようもない事は、阿弥陀さんにお任せしよう。私はできるだけ、前向きに生きる事を心がけようと思いました。
いろいろな副作用もありましたが、今こうして元気でいます。
仏教讃歌に「生きる」という歌があります。
生かされて、生きてきた
生かされて、生きていく
生かされて生きていこうと
手を合わす 南無阿弥陀仏
(『生きる』作詞 中川静村)
この歌には忘れられない思い出があります。当時、教区合唱団に参加しており、退院して三ヵ月後、桑名別院の報恩講に私も出演しました。
この「生きる」を歌っていた時、ふと前を見ると本堂の一番前に座っていた父が目頭を押さえていました。その後本堂の後方を見ると同じように母が涙をふいていました。私も思わずこみ上げるものがあって、うつむくと楽譜に涙がポタッポタッと落ちました。それを見た両サイドの人ももらい泣き。順々に連鎖していきました。
この曲を知った事、そして一緒に涙して回復を喜んでくれる家族や友がいる事…。私はなんて幸せなんだろうと感謝しました。
病気になっていなかったら、分からなかった事、知らなかった事がいっぱいあります。「ここいらへんで、こいつは病気になった方がよかろう」という阿弥陀さんの計らいなんでしょうね。おかげさまで、今を幸せに生かせてもらっています。
(二〇一八年一月下旬 明圓寺門徒)