001 「道徳はいくつになるぞ」

田代賢治

明けましておめでとうございます。

本年も三重教区そして桑名別院本統寺をどうぞよろしくお願い申し上げます。

また、昨年末にはたくさんの方々が報恩講をお荘厳くださいましたこと心から御礼を申し上げます。

さて『蓮如上人御一代記聞書』の冒頭にありますように

勧修寺の道徳、明応二年正月一日に御前へまいりたるに、蓮如上人、おおせられそうろう。「道徳はいくつになるぞ。道徳、念仏もうさるべし (後略)」

(『真宗聖典』八五四頁)

と言われたことはよく知られたエピソードです。

この言葉の主意は、他力の念仏とその御たすけの後の感謝の念仏の一念を、臨終まで保つことの大切さを伝えられたものだと言われています。

「道徳」のところを自分の名前に置きかえて「おまえは、いくつになるぞ」と聞かれると、やはりドキッとするのは私だけでしょうか。虚しくムダな日々を、時間を過ごしているのではないかという、後ろめたさがきっとそうさせるのでしょう。

そのことに気づかされたならば、与えられた時間と日々をどう過ごすのか、それが問われてきます。

「道徳はいくつになるぞ。道徳、念仏もうさるべし」との善知識からのおさとしを、阿弥陀仏からのご催促と受けて、これからの一年を過ごしてまいりたいと思うことであります。

南無阿弥陀仏。

(三重教務所長 二〇一七年一月上旬)