花山孝介
親鸞聖人は、今から七五〇年ほど前の弘長二年(一二六二)十一月二八日に九〇年の生涯を閉じられました。当時としては、破格の長生きをされた聖人ですが、その人生は決して順風満帆ではありませんでした。
無実の罪を背負わされたり、家族を持つ中で様々な心労や苦難を経験されました。「何故私だけが・・・」という愚痴が出たことも想像できます。しかし、そのような人生であっても、自分を見捨てることなく最後まで生き尽くされました。何故、その様な人生を歩めたのか。そこには法然上人との出遇いを通して、人生の灯となる「ただ念仏せよ」という真理の言葉との出遇いがあったからです。そして、私に呼びかける仏陀の言葉を聞き続けながら、人生を完全燃焼されました。
迷いの原因も知らず、ましてや深い迷いの中にいることさえも知らず、ひたすら自分の都合にあうご利益のみを求めたり、平生は仏の教えにも耳を傾けることもせず、不都合が起これば一喜一憂しながら、その場しのぎ的に祈っている私に対し、「本当に今のままでいいのですか?」「自分の人生を大事にしていますか」と呼びかけられている親鸞聖人の教えに、今こそ人生を尽くす道を聞き開いていく時だと思います。そのために、まず「聞法」の第一歩を踏み出すことが大事です。
(員弁組・遍祟寺住職 二〇一五年十二月下旬)