016 母の手

本田武彦

先日、実家の母の見舞いに行った。

琵琶湖と比叡山を見渡せる病院に、もうずいぶん長い間、私の母は暮らしている。母は心を病んでいるために、一般の社会で生活することが困難なのだ。

その兆候は、私が思春期を迎えた頃からあったようだ。しかし、私は母の言動に少々違和感があっても、あえて無関心を決め込んでいた。実際その頃の私は、あって当然、居て当たり前の家族のことなどまるで顧みることはなく、むしろ重く、面倒なものとして目をそらし続けていた。

やがて母の頭の中にある世界は、私たちが思い描くそれとは大きく異なるものになっていった。他の人には聞こえないものが聞こえる母には、自分以外の誰もが、何か間違いを犯しているように感じるらしかった。

その後、家族内での様々な葛藤の末、母はこの病院の住人となった。正直ホッとした。しばらくは見舞いに行くことすら避けていた。

もしその後、仏の教えに出会うことがなければ、私は未だに母をただの厄介者だと思っていたかもしれない。だがそもそも母の存在がなければ、私は仏の教えに耳を傾けるような自分であっただろうか。分かり合いたくてもどこまでも共感出来得ない相手から、それでも逃げることができないという厄介さが、実は私という存在をどこまでも問い、動かし続ける働きとなっていたのだ。

母を厄介者だとする私は、全く傲慢である。仏の教えに触れることで、傲慢にして矛盾に満ちた自分であることをいよいよ思い知らされる。だが、そういう自分であると知らしめられるからこそ、どこまでも明るく開かれた、すべての存在を包み込んで余りある仏の世界を求めずにはいられない。そこに立ってはじめて、母に頭の下がる自分になることができるのだ。

病室を後にするとき、ふと母の手が目についた。すっかり細くなってしまったその手を思わず握ると、今にも折れそうな、それでいて案外滑らかで温かな感触が、私の手の中に残った。悲しさと嬉しさの混じった何かが、深く心に刻まれたようだった。

(四日市組・蓮正寺候補衆徒 二〇一六年八月下旬)