008 人生のコンパス

箕浦 彰巖

サクラの花も散り始め、青葉が目立ち始めています。四月八日は、お釈迦様が誕生された「降誕会」花まつりが、宗派をこえて様々なお寺で開かれました。

さて、お釈迦様が説かれました仏教も含め、皆さんは「宗教」というものをどのように受け止めておられるでしょうか。

 

パンの為、職責の為、人道の為、国家の為、富国強兵の為に、功名栄華の為に宗教あるにはあらざるなり。人心の至奥より出づる至盛の要求の為に宗教あるなり。

(『清沢満之全集 第七巻』)

 

この言葉は、京都にあります大谷大学の初代学長、清沢満之先生の言葉です。

清沢満之先生は明治時代、日本全体が富国強兵・殖(しょく)産(さん)興(こう)業(ぎょう)という様に、国を強く豊かにしていく事が盛んであった中で、人間の確かな拠り処、生きる立脚地を明らかにするために、東京巣鴨の地に真宗大学、今の大谷大学を開きました。

人心の至奥とは、人の心の最も奥底という意味です。そこからわき起こる要求の為に宗教はあるのだと、清沢満之先生は言います。

では、その要求とはどのようなものなのでしょう。

私たちは、日々の生活の中で一生懸命生きています。様々な仕事をし、家族の為、会社の為、社会の為と様々な思いを巡らせて今日を生きています。

しかし、ふとした切っ掛けで、今までの私の人生は何だったのかという空しさや、不安に襲われることがあるのではないでしょうか。

「何が君の幸せ 何をしてよろこぶ わからないまま終わる そんなのは嫌だ」

これは、アンパンマンの作者である「やなせたかし」氏が作詞された「アンパンマンのマーチ」の歌詞の一部ですが、私たちは、何が自分の幸せで、どうなることが本当の満足であるのか、どのように生きることが本当の喜びなのかが、分かっているようで実は分かっていないのが実情ではないでしょうか。

この問題を明らかにし、私の心の奥底から沸き起こってくるものに応えてくれるものが宗教であると清沢満之先生はおっしゃっていると思います。

宗教の「宗」という字は、「根本とするもの」「おおもと」という意味を持ちます。つまりそれは、私にとって最も根本となる教え、人生のコンパスとなるものなのでしょう。

しかし、その「宗」が不確かでは、まわりの風潮に流され、私の上(うわ)ついた表面上の思いのままに生きて、結局は人生が空しく過ぎるのではないでしょうか。そこに本当の意味で人生の喜びは生まれないのではないかと思います。

(三重教区駐在教導 二〇一六年四月下旬)