渡邊 浩昌
親鸞聖人は三五才の時に流罪に処せられ、遠く越後の国へと旅立たれます。琵琶湖を渡り、北陸に向かい、そして日本海に出られます。その時に、初めて海を見られたのではないかと思います。
聖人は「海」という言葉を大切にされていますが、九〇才での死去を前にして述べられたと伝えられています『ご臨末の書』には次のような詩が書かれています。
和歌の浦曲(うらわ)の片男浪(かたおなみ)の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人(みたり)と思うべし、その一人は親鸞なり。
法難に対する恩讐の念が寄せては返す波に打ち消され、師・法然上人への想いを一層深められていると思います。
その後、聖人は豪雪の季節から解放された越後の国に到着されます。そこで目の当たりにされたのは、果てしなく広がる大地とそこに生きる、後に聖人が「群萌」といわれる人々の生き様ではなかったかと思います。
曽我量深先生は『地涌の人』という文章の中で、「いつわりの名誉と、浮世の権力と、小ざかしき智慧と、仮面の道徳を有せない人々」と表現されています。
我なくも法は盡きまじ和歌の浦
あをくさ人のあらんかぎりは
『ご臨末の書』はこのように続きます。
聖人は流罪の地・越後で、大地から涌くがごとくに生まれ出る、共に念仏申す人々に驚かれ、その人々を「あをくさ人」とよばれたのでしょう。
われら一向に念仏申して
仏天のもと青草びととなりて
祖聖(親鸞)に続かん
故信國淳先生が私達に残された言葉です。
親鸞聖人七百五十回御遠忌の三重教区のスローガンは「共に、大地に立たん」です。
更なる深まりが私達に求められています。
(員弁組・西願寺住職 二〇一三年一一月上旬)