020新聞記事を見て

吉村 誠幸

 七月二日の新聞に「四歳育児放棄事件」の裁判判決が載っていました。この事件は昨年九月に育児放棄の末に四歳の子が衰弱死したという事件でありました。
 発見された時は、あばら骨が変形するほど痩せて、かすかにまぶたが動くだけという状況だったそうです。新聞には写真も載っており、かわいい盛りの女の子です。父親は酒に逃げ、母親も自分自身が愛情を受けずに育てられたということでした。

 子を亡くした母親は、「自分自身も母親ってなんだろう」とずっと思っていたそうです。 
 この思いを見て私は、「子を持って知る親心、子を持って忘れる子の心」(西口和憲編『いいこと書いてあるなぁ!』法蔵館)という言葉を思い出しました。

 私も親になり親の心を少しずつ分かってきたところがありますが、子どもと一緒に毎日考え悩みながら親になることを努力しています。しかし、この思いが強いがゆえに自分中心に考え、子どもの心というのをすっかり忘れてしまっていると、この言葉に気づかされます。

 「子は親の背中を見て育つ」と言われますが、子どもの姿を見て親も育つのではないでしょうか。
 私たちは亡くなった人を通して「いのち」というものを気づかされ、生きていくことの大事さを学んでいきます。この事件を通して幼くして亡くなった子からいのちというものを深く考えさせられ、その意味を教えられたような気がします。
 
育児放棄した親は心の中で「ごめんね、ごめんね」と話しかけたそうです。答えがないことを知りながら。そして住職に手紙を書き、出所後はお墓を建てたいので、預かってほしいと嘆願したそうです。そして、「同じお墓に入れてもらえるようしっかり更生していく」と記して。この親はわが子の「死」を通して生きることの意味が初めて見えてきたのではないでしょうか。

(三重組・專照寺住職 二〇一三年七月中旬)