大橋 眞
私は教員として三六年を過ごしてきました。
その教員生活の中で多くの生徒と出会い、多くの生徒達から生き方を学ぶことがありました。
その学びは、私の人生に多くの影響をあたえるものとなりました。今日はその中の一つをお話しさせていただきます。
私が担任をしていたクラスの、とある生徒は、ある日、隣の学校と大喧嘩をして、仲間をかばい、指導措置を受けて停学処分になりました。
私は、その生徒に自分がしたことを問いただしていくと、彼は、弁解もせず、何も話しません。しかし、自分がしたことは素直に認め、処分も甘んじて受けたのです。
処分期間中に、彼は一度だけ、私に話しかけてきました。「退学したい」と。理由を聞いても何も言わないのです。
数日が経って、彼は再び私に話しかけました。
「こうして学校にいることが、両親に対して申し訳ない。もっとしなければならないことがある。母親は目が見えない。父親は耳が聞こえない。僕が生まれる時、僕を育てることができるだろうか、ちゃんと育つだろうかと両親は迷ったと思う。それでも、僕を生んでくれた。今度は、僕が両親の目や耳になり、見ていくことが必要なんです。
こうして、僕だけが家の役に立たず、いい加減なことをしてしまった。こんな自分が嫌です。両親を支えていきたい。だから退学をしたい。」
私は何も言えませんでした。彼は数日後、退学届を提出し、すっきりした顔で学校を去って行きました。
私は、両親の耳や目となり両親を支えて生きることを決心した彼を立派だと思いました。自分の生き方や生きていく意味を自分と向き合い問いかけて答えを出していると思ったからです。
自分の境遇を引き受けて、生きようとする彼の心に私は仏様を見ました。なぜなら、寺に生まれた自分の境遇を受け入れられていなかった自分を教えられたからです。
私は、彼の自分の境遇を引き受けて生きるということに励まされて、その後も住職を続けることができました。
今でも私は、両親とともに暮らしている彼のことを思いながら、今の自分の生活を生きています。
(員弁組・眞養寺住職 二〇一三年四月中旬)