池田 徹
お念仏のいただき方が問われています。法然上人を中心とした吉水の集まりが、国家によって解体、解散させられました。1207年「承元の法難」といわれる事件です。親鸞聖人35歳の時です。その引き金となったのが『興福寺奏状』です。この『興福寺奏状』は1205年、奈良興福寺の僧侶たちによって提出された、「念仏停止(ちょうじ)」の訴えです。
なぜ、念仏を生きる者が、批判され、国家によって解散させられ、死罪、流罪という現実を突きつけられたのでしょうか。それは、念仏に生きることが、少なからず「社会」に影響を及ぼしていることをあらわしているのでしょう。
それに対しいま、私たちの念仏は、どうでしょうか。社会とか、国家からは、見向きもされず、自己満足の手段に念仏を終わらせていないでしょうか。いま、様々な問題を抱える時代だからこそ、あえて「念仏」の受け止め方が、厳しく問われているのではないでしょうか。
さて、その『興福寺奏状』には、念仏の教えに集う人々の過ちを九つ挙げていますが、その批判の内容を考えると、念仏の教えに生きるということが、どういうことなのか、念仏の教えによって、生み出される人間が、逆に読み取れるように思います。
その第9番目には、「国土を乱る失」と言われ、国土、国を乱すという過失が、念仏を生きる人のあり方として、批判されています。念仏者が、「国を乱す」ということは、その国のシステムや、価値観に呑み込まれず、自由になっていたことを表しているのではないでしょうか。当然、その国を運営する権力者からすれば、困った存在になります。また第4番目には、「万善を妨げる失」といって、その社会を中心とした善悪、優劣、上下などの価値を「無化」していたことを語っています。その国が目指している方向性を妨げ、権威、権力からも自由であった集団だからこそ、為政者は恐怖を感じて、念仏者を訴え、排除したのではないでしょうか。念仏にはそういうはたらきがあるということです。
改めて、「現代」という時代の中で、「念仏に生きる」ということが、問われています。