033同朋会運動という言葉に託した願い

大賀光範

今年も21日より、真宗本廟で御正忌(しょうき)報恩講が始まりました。今から40年近く前、私が学生の頃ですが、警備という名目で報恩講にお参りさせていただく機会がありました。

大谷派では、昭和44年から様々な事件が起こりました。ご法主(ほっす)の周りには利権を狙う怪しげな人々が出入りし、いわゆる「法主派」と呼ばれた人々と、宗派の本来のあり方を模索しようとする「改革派」と呼ばれた人々とに分かれたようになって、宗派行政は多くの問題を抱えながらの運営でした。

そのような宗派の混乱は御正忌報恩講にまで波及してしまい、その年は宗派を離脱した寺院の関係者が、真夜中にチェーンソーをもって御影堂(ごえいどう)に乱入し、大混乱になったということも聞きました。また、報恩講では必ず拝読されてきた御伝鈔(ごでんしょう)が、御影堂まで運ばれて来ず、拝読中止になったりもしました。そのような状況だったからこそ、それぞれの地区からご門徒や僧侶の皆さんが、二泊三日ずつ交替で、警備の名目で白州や御影堂などで参拝の皆さんのお世話などを行うために真宗本廟に集まって来ておりました。

私が参加した時には、若い学生が私を含め数名いたのですが、北陸や各地のご門徒さんがそういう私たちを相手に信心談義をしてくださいました。意気込んでいた私たちは、大学で勉強していた仏教や宗派混乱の理由等を、夜遅くまでお酒を酌み交わしながら話をしました。お別れする時には、能登から来ていた門徒さんが私たちの手を握り「大谷派を背負う僧侶となって欲しい」と言葉かけしてくださったことを懐かしく思い出します。

その後、昭和56年に新宗憲が発布され、「法主制」から、門徒の首座に座り聴聞する代表者としての「門首制」にかわり、また組門徒会などの制度が整えられて、宗派の混乱は解消されていきました。

それから40年近く経て、改めて能登のご門徒の言葉を思い出すようになりました。「大谷派を背負う」の言葉は、当然のことですが、えらい坊さんになって欲しいということではありません。お念仏に生きる者になること。宗祖のお言葉を大切にして生きる者となることを願ってのお言葉だったのではないでしょうか。

今年の御正忌報恩講を迎えるに当って、混乱の報恩講で警備に集まってくださったたくさんのご門徒の願いに、私は本当に応えるような生き方をしているのだろうか。大谷派の僧侶として宗祖のお言葉を聞き続ける生活をしているのだろうか。その事が、今、改めて重く問われているように感じています。