三浦 崇
霜月・11月、今年もまた、報恩講をお勤めする季節を迎えました。
東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故から、3年半余が経過しました。今尚、辛く苦しい生活を余儀なくされておられる方々のことを思うと心が痛みます。
「人間の余りの身勝手さに、思わず自然が身震いしたのではなかったのか」との震災後に語られた言葉が今も忘れられません。
先日、ビキニ事件をヒントに、1955年に黒沢明監督によって制作・公開された、三船敏郎主演の映画「生きものの記録」を観る機会がありました。原水爆の危険が身に及ぶのを恐れ、「死ぬのは仕方がないが殺されるのは嫌だ」と、ブラジルに移住して生き延びようとする老人と、その行動を被害妄想と受け取る家族や友人たち、周りの人々の姿を描いた物語です。最後に、主人公が病院の窓から見える真っ赤な夕日を指さしつつ「地球が燃えている」と叫ぶ姿で、「核問題とは何か」を示しつつ映像は終わります。
その映画の中で、放射能の危険から逃げようと、ついに狂気に捕らえられた主人公の姿を見て「こんな時世を平然と生きている我々の方が狂っているのではないか」とつぶやく老医師の言葉が印象に残りました。
「今だけ・金だけ・自分だけ」が、流行語の一つになっていると聞きましたが、それは、平然と狂ってきた我々が招いた結果ではないでしょうか。
そのような私たちの在り様を慙愧する眼を、報恩講をお勤めすることを通して、獲得したいものです。